M・ラッセル・バラード
出典: MormonWiki
M・ラッセル・バラードは現在の十二使徒定員会会員です。
メルビン・ラッセル・バラードは1928年10月8日、ユタ州ソルトレークで生まれました。4人の子供のうち、ただ一人の男の子でした。1948年、英国への伝道に召され、伝道部会長の顧問として働きました。1950年に円満解任され、ユタへ戻ってきました。それから間もなく、ユタ大学で開かれたダンスパーティーでバーバラ・ボーウエンに会いました。二人は11ヶ月間デートを続けました。バラード長老はその交際についてこう述べています。
- 「彼女は美しいだけでなく、輝くような人格の持ち主でした。一目見たときから、彼女と結婚したいと思いましたが、彼女の方はそうは思わなかったようです。彼女を口説くのは、ちょっと努力が要りました。彼女に結婚してもらうように説得するのは、一生で最高の売り込み作戦だったと、今になって冗談を言っています。」(『Ensign』、1986年3月号、6)
二人は1951年8月28日に結婚し、二男五女が授かりました。
結婚後、バラード長老はビショプリックに召され、1974年にはカナダ、トロント伝道部会長に召されました。1976年、七十人第一定員会に召され、教科課程部の管理ディレクター、コーリレーション部の管理ディレクター、宣教師管理部の管理ディレクター、さらには国際伝道部会長として務めました。1980年には、七十人第一定員会会長会に召されています。
1985年10月6日、M・ラッセル・バラードは十二使徒定員会会員として支持を受けました。バラード姉妹はその時の模様を、次のように話しています。
- もう本当にびっくりしました。総大会へ出席するために家を出ようとしていた時に、電話が鳴りました。オフィスへ来るようにというゴードン・B・ヒンクレー大管長からの電話でした。夫は総大会での話者の一人が体調を崩したので、ひょっとして代わりに話すようにということなのかと思っていました。ヒンクレー大管長のオフィスへ行く途中ものんびりとした気分で、もし話すように言われたら、何について話そうかと話し合っていました。オフィスに着いた時、ヒンクレー大管長は夫を使徒に召されたのです。その時私は、もう一度おっしゃっていただけませんか、もしかしたら聞き違えたかもしれない、と考えていました。ラッセルは目に涙を浮かべて、私を見ました。それは本当に厳粛な経験でした。(同上.)
バラード長老はその朝召しを受け、その午後、総大会の最後の部で教会員の支持を受けました。バラード長老は福音の真理について、強い証を持っています。
M・ラッセル・バラード長老の言葉
- 「兄弟姉妹のみなさん、利用されないように、操られたりしないように気をつけてください。昔からある家族の価値観を侵すようなプログラムを支持しないでください。初めは小さな声であっても、堂々と意見を述べ、人を高め、奮い立たせ、好ましいメディアを助長するようにしましょう。」
- 「Let Our Voices Be Heard」『Ensign』、2003年11月号)
- 「私たちについて、その素質や永遠の可能性について最も良く知っておられる御方が、そのマニュアルである聖典の中で、勧告と戒めを与えてくださっています。私たちがその指示を理解して、それに従えば、私たちの生活には目的と価値がでてきます。創造主は私たちを愛し、幸せになるよう望んでおられることが分かります。私たちへの比類なき愛を示されるために、独り子であるイエス・キリストを送ってくださったのです。」
- 「God’s Love for His Children」『Ensign』、1988年5月号)
その他の興味深い情報
バラード長老はまた、ハンツマン・コーポレーションの最高経営責任者ピーター・ハンツマン(大富豪の慈善家ジョン・ハンツマン・ジュニアの息子)の義父に当たります。.
