L・トム・ペリー
出典: MormonWiki
L・トム・ペリーは、末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会の現在の会員の一人です。ローウェル・トム・ペリーは、1922年8月5日、ユタ州ローガンで生まれました。彼は長男で5人の兄弟がいました。両親は教会の熱心な会員で、彼らの教会の召しに参加させて教会に熱心に集うよう促しました。両親の良い模範を見て育ったことで、ペリー長老にとって、証を得るのは難しいことではありませんでした。
1949年、L・トム・ペリー長老は、米国北部地域に伝道に召されました。伝道中、モルモン書に対する愛着と理解を深めました。ペリー長老は伝道で最初にした経験を楽しく語っています。
ねずみのバプテスマ
- 「伝道部に着任直後、私はオハイオ州コロンバスに赴任させられました。伝道活動についてはまったくの無知で、私よりもたった3ヶ月しか変わらない私の先輩宣教師は、私よりも知っているわけではありませんでした。私の証は試されたことはなかったのですが、教会に対しては常に熱心だったので、決して証がなくなることは考えたことはありませんでした。
- ところで私の最初の伝道経験は、家々を訪問することでした。親切な南部バプテスト教会の女性が彼女の家に招きいれてくるまでは、誰も私たちを家に入れてくれませんでした。彼女は聖典に関して膨大な知識を備えていて、彼女の説得力のある議論に対応することができないと思われました。その日、私は南部バプテスト教会に改宗してしまいました。
- 次の日は、前の日よりもずっとましでした。私はメソジスト教会に改宗してしまいました。そしてその次の日は、ルーテル教会にたなびいてしまいました。遂に私は、モルモン教会の宣教師にこんなことがあってはだめだと決心しました。そこで福音を教えて証を述べる前に、自分でまず福音をよく知っていなければならないと決めました。
- 同僚と私は、4階建てのアパートに住んでいました。女家主さんは、地下にあるキッチンを使わせてくれました。そこで毎晩、同僚が寝た後、キッチンに行って話す準備をし、まず福音の第一原則の四つの原則と儀式から始めました。
- 最初の晩、信仰について勉強し、話を準備してから、クラッカーで穴からおびき出したねずみを聞き手に始めました。ねずみはちょっと私を見てから、クラッカーを加えて穴に戻っていきました。
- 次の晩、悔い改めについて勉強しました。ねずみが出てきて昨日の晩よりもすこし長く聞いてくれましたが、また穴の中へ帰って行きました。私の話しは上手になっていきました。
- 三日目の晩、バプテスマの話を準備する前に、皿洗いの桶に水を溜めて、何枚かお皿を洗いました。するとともだちのねずみが私の話を聞くために穴から出て来ました。ねずみはそこにずっとたたずんで、私が話を終えたとき、深く考えながら穴に戻っていきました。ねずみを随分感心させたのだと、ちょっと自慢しながら、上の階へ戻って行きました。
- 次の朝、同僚と私はキッチンに朝食をしに行くと、昨日の晩使った皿洗いの桶の水を捨てていないのに気づきました。桶の底を見たとき、私はたいそう驚きました。私のともだちのねずみが底に沈んでいるではありませんか。私のちょっとした話がかなり印象に残ったのでしょう。ねずみはボンヤリと、桶の中へ入っていったに違いありません。まさに水に沈められるバプテスマだったんです!
伝道から帰還してわずか6週間後、L.トム・ペリー長老は、第二次世界大戦に徴兵されました。彼は海兵隊に志願し、事務官として海外に赴任させられました。彼は日本に原子爆弾が投降された後に最初に日本に上陸した軍隊の一人で、日本の国家の再建の為に最善を尽くして日本人を助けました。彼の軍友はペリー長老を尊敬しており、彼が快く福音を分かち合ってくれるので、多数の軍友が教会に改宗しました。
ペリー長老は、1949年、ユタ州立大学でビジネスの専攻して卒業しました。大学に在学中、彼はバージニア・リーにめぐり合い、二人は4947年7月18日に結婚し、三人の子供に恵まれました。ペリー長老は、アイダホ州にある会社に勤務し、着任間もなく地元の教会でビショップリックの第二顧問に召されました。ペリー長老の仕事の関係で彼の家族は何度も引越しをしました。引っ越すたびにさまざまな教会の召しを受けました。彼はセミナリーの教師、ビッショップリック、高等評議員、ステーク会長会などを歴任しました。召しを果たすにあたって、常に高い標準を保ち、他の人々に次のようにアドバイスをしました。
価値標準を持ち、決して妥協してはいけません。福音に根ざした標準を持ちなさい。自分が信じていること、実践している原則を人に知らせるのを怖がってはいけません。
- ~Loren C. Dunn, “Elder L. Tom Perry: Serving with Enthusiasm,” Ensign, Aug. 1986, 17
1972年10月6日、ペリー長老は十二使徒補助として指示を受けました。その二年後の4月11日、使徒として聖任されました。使徒として、ペリー長老は、神殿及び系図管理委員会、中央福祉サービス委員会、教会教育委員会で奉仕しました。
1974年12月、ペリー長老の妻、バージニア夫人が亡くなりました。そして1983年には娘が亡くなり、悲しい事に二人の孫も無くしました。これらの試しにも関わらず、ペリー長老はキリストに対する信仰を持っています。
主は大変親切な方です。幾つかの経験はつらいものでも、思い出であなたの心を満たしてくださり、別の機会を与えてくださいます。人生は悲劇があったからそれで終わりということではありません。いつも上らなければならない新しい山があります。失ったものにたいしていつまでも不機嫌にしていてはいけません。次の山に向かって上り始めなさい(Ibid.)。
1976年、ペリー長老はバーバラ・デイトンを紹介され、その春、結婚しました。 ペリー長老は、彼の娘、リンダ・ゲイ・ペリー・ネルソンが書いた「私の3着目のドレス」という題の詩を1993年10月の総大会の説教「正義を選べ」(聖徒の道1994年1月号72)で引用しました。尚、この詩はLDSブックストアで常時販売されています。
「私の3着の白いドレス」("My Three white Dresses")
- 「お母さんが白いドレスを買ってくれた。
- 赤でも, 青でも, ピンクでもない。
- お母さんは, それはほかにあまりない特別なドレスと言った。
- 前にそれに似たドレスを着たことが一度だけある。
- 今はしまわれているそのドレス。
- ずっと前に私がそれを着たのは命名式の日。
- 小さな赤ちゃんだった私が初めて着た白いドレス。
- お父さんが腕にかかえて名前と祝福を授けてくれた。
- あの時私は汚れがなくて成長し, 天のお父さまの計画を
- 学ぶ時を与えられていた。
- 自分の栄光は, 自分でつかむもの。
- 今私は悪の道と正しい道を自分で選べる年になり,
- バプテスマのためにここにいる,この白いドレスを身につけて。
- もう一度罪が洗われる。
- 選ぶ道ははっきり見えて,私は固く誓う,
- 鉄の棒を放さないと。
- 汚れがドレスのしみになるように
- 罪は私の心のしみとなる。
- 大切なのは悔い改め
- 清くなるのが目標だから。」
自分の最善を尽くすならあふれる祝福を注がれて 神の宮居で3番目の白いドレスを身につける。 だからきょう心に誓う。 力を尽くして正義を選ぼう。 聖なるバプテスマの儀式に誓う 2番目の白いドレスに身を包み。」 (リンダ・ゲイ・ペリー・ネルソン“Linda Gay Perry Nelson,”1993年)
L・トム・ペリー長老の言葉
わたしには,サタンの攻撃は特に夫と父親に向けられているように見えます。例えば今日のメディアは,夫や父親の神聖な役割をあざけり,卑しめるために,執拗な攻撃を続けています。…家族を崩壊させるため,サタンは巧妙なわなを仕掛け,父親の役割を軽んじさせています。若者の暴力や青少年の犯罪が増加していること,貧困や経済不安の深刻化,授業についていけない児童数の増加は,家庭で父親の影響力が足りないことを明確に示しています。家族は父親の支えが必要なのです。
- ~「父親、永遠の召し」2004年5月号69
聖徒の共同体は,ほかの人々を寄せつけない隔離されたものではなく,入々と交流し受け人れる場所です、,それは使徒たちや預言著たちという十台の上に建てられたものであって,キリスト・イエス御自身が隅のかしら石です。天父の子どもたちを愛し,思いやり,その価値を認めるすべての人々に開かれた場所です。経済的な安定と幸福の基となる二つの原則は,慈愛と勤勉な働きです。この将来性の高い共同体において,わたしたちは若人に礼儀と礼節を教え,彼らの心に回復された福音に対するより深い信仰を育てます。共同体が霊的な面での焦点としていることの・つは,わたしたちが聖なる御霊を伴侶とし,生活の中でその導きを受けることです。
- ~「聖徒の共同体を築く」リアホナ2001年7月号69
外部リンク
- L. Tom Perry -- Grampa Bill's General Authority Pages
- LDS Newsroom article on L. Tom Perry

