黙示録

出典: MormonWiki

黙示録は、聖書の中の新約聖書の最後に収められている正典です。この書は単に「黙示録」と呼ばれる場合がありますが、「ヨハネの黙示録」、「ヨハネによる黙示録」、「神学者聖イオアンの黙示録」とも言われ、プロテスタント福音派の一部では、冒頭の言葉にちなんで、「イエス・キリストの黙示」と呼ばれることもあります。黙示録は、新約聖書の中で唯一世界の終焉を述べた預言的性格をもつ書です。

タイトルの「黙示」はギリシャ語の「アポカリュプス」の訳で、原義は「覆いを取る」ことから転化し「隠されていたものが明らかにされる」という意味を持っています。キリスト教の長い歴史の中でも、その解釈の困難さと正典として受け入れるかどうかをめぐって、多くの論議を呼んできた書物です。

簡単な前書き(第1章1-10節)の後、黙示録にはヨハネの著者自らの出来事が記述され、彼がパトモス島にいた時に受けた二つの啓示が書かれています。最初に経験した示現(1:11-3:22)は、小アジアの7つの主な教会に宛てて書かれた書簡という形式を取っています。7つの教会とは、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオデキアです。黙示録は、「らっぱのような大きな声」で話す「人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた」というお方について記述しています。

第二の啓示は、残る章(4章~22章)に書かれており、「天の…扉が開かれた」ことから始まり、世界の終わりについて述べています。それはハルマゲドンにおけるサタンの最後の反乱で、神が最後にサタンを打ち負かされること、世界に平和が回復されることに触れています。

目次

構成

  • メッセージ
    • 初めの言葉(1:1-3)
    • 七つの教会への挨拶(1:4-8)
    • ヨハネへの啓示が示された顛末(1:9-20)
    • 七つの教会へのメッセージ(2~3章)
  • 黙示の内容
    • 天における礼拝と子羊の登場(4~5章)
    • 七つの封印の開封(6章~8:5)
    • 七人の天使と災い(8:6~11:19)
    • 女と竜、ミカエルの勝利(12章)
    • 二匹の獣、バビロン崩壊の宣言(13~14章)
    • 七つの災いと七つの鉢(15~16章)
    • 大淫婦の裁きとバビロンの滅亡(17~18章)
    • 天における礼拝(19章)
    • キリストの千年の統治の開始、サタンと人々の裁き(20章)
    • 新エルサレム
  • 結びの言葉
    • 全体の結び(22:18~21)

黙示録は、多くのキリスト教徒にとって、最も論議されているトピックであり、難解な書物と考えられ、多様な意味の解釈がなされてきました。マーチン・ルターが設立したプロテスタント教会は、最初、黙示録を「使徒の証しでもなければ、預言でもない」と考え、「キリストについて教えてもいなければ、キリストについて知ってもいない」と断定しました[1]。 しかし、後に彼は考えを変えました。ジョン・カルビンは、黙示録は正典と考えるべきだと宣言しながらも、新約聖書の中で彼が解説を加えなかった唯一の書物でした。

成立

著者ヨハネについては、伝統的な理解によると、「ヨハネの福音書、「ヨハネの手紙1・2」「ヨハネの黙示録」の著書をすべて使徒ヨハネと考えています。

2世紀のパピアスは、この書を使徒の作と見做し、同世紀の殉教者ユスティヌスは自著、「ユダヤ人トリュフォンとの対話」の中で、「キリストの使徒の一人で、名をヨハネという、ある人が私たちと共にいた。彼は自分の受けた啓示によって預言をした」と述べています。

エイレナイオスは、2世紀末及び3世紀初頭のアレクサンドリアのクレメンスやテルトゥルアヌスと同様、使徒ヨハネがその筆者であることを述べています。

3世紀の聖書学者のオリゲネスは、「私はイエスの胸に寄りかかったヨハネについて語っているが、…彼は一つの福音書を残した…彼はまた、黙示録も記した。」と述べています。

4世紀に、聖ヨハネス・クリュソストモスとその他の主教たちの間で、黙示録を新約聖書の中に正典として加えることに関して論議が巻き起こりました。それは主に、解釈が極めて困難なことと、そのために都合よく解釈して悪用される恐れが考えられた為です。またシリアのキリスト教徒の間においても、モンタノス派が黙示録を自らの正当化に利用したため排斥されていることから、正典加入は反対されていました。9世紀においては、、コンスタンチノープルの総大司教だった聖ニケフォロスの著書、行分け法(句読点が発達する時代以前の書記法)の正典一覧表の中で、正典とするかどうかを「論争」された書の中の「ペトロの黙示録」と共に「真実性に疑問あり」と扱われていました。最終的には中世末期、正教会でも正典として受け入れられるのですが、東方正教会の奉神礼では朗読されない新約聖書唯一の書として残っています。

黙示者ヨハネとは誰か

教会聖書辞典によると、黙示者が誰であるか、末日の聖典を通して明らかにされています。

  • モルモン書の預言者ニーファイは、示現で黙示者ヨハネを見ることが許されました。そして、黙示者が主イエス・キリストの最初の十二使徒の一人、ヨハネであることを確認しています。また、なぜ難解な書となったか、その理由に触れています。
    • 1ニーファイ14:18-27
「そこで、天使はわたしに語って、「見なさい」と言った。
眺めると、白い衣を着ている一人の男の人が見えた。
すると天使はわたしに言った。「子羊の十二使徒の一人を見なさい。」
見よ、彼は、これらのことの残りの部分と、また今までにあった多くのことを見て書き記す。
彼が書き記すことは正しく真実である。そして見よ、それらのことは、あなたがユダヤ人の口から出るのを見た書物の中に書き記される。そして、それらがユダヤ人の口から出てきた当時、すなわちその書物がユダヤ人の口から出てきた当時は、書き記されたことは分かりやすくて純粋であり、また大変貴くて、すべての人に理解しやすいものであった
見よ、この子羊の使徒の書き記すことの多くを、あなたは見た。そして見よ、これからあなたはその残りの部分を見るであろう。
しかし、これからあなたが見ることは書き留めてはならない。主なる神が、それらのことを書き記すように、あの神の子羊の使徒を任じられたからである。
神はまた、かつてこの世に生きたほかの人々にも、すべてのことを示され、彼らはそれらのことを書き記した。そしてそれらの記録は、主御自身がふさわしいと思われるときに、子羊の内にある真理によって純粋なままでイスラエルの家に伝わるように、今は封じてある。
わたしニーファイは、天使の言葉により、この子羊の使徒の名がヨハネであることを聞き、ここに証する。

尚、イエス・キリストを「子羊」と称している新約聖書の著者は、ヨハネの福音書とヨハネの手紙1・2と黙示録の著者のみです。しかし、モルモン書や教義と聖約には、イエス・キリストを「子羊」という象徴で呼ぶ例は枚挙に暇がなく、ニーファイはその一人です。

また教会聖書辞典には次の通り、書かれています。

「ヨハネは救い主の最初に選ばれた使徒の一人だ。彼はローマ政府によってイエス・キリストについて証したため、現在トルコ領の西海岸にある小さな島、パトモス島に流刑にされた。そこにいる間にヨハネは、一人の天使の訪れを受け、小アジアの七つの教会支部に当てた書簡に記録した啓示を与えられた(黙示録1:1、9-11)。これらの書簡が黙示録となった。
黙示録は、主に象徴的な言葉で書かれている。そのテーマは、この地上で神が最終的に悪魔に打ち勝つことだ。つまり善が悪に、聖徒が迫害者に、神の王国が人とサタンの王国に対して永久の勝利を収めるということだ。…獣、選祖、天使、人などの詳細は、このテーマの展開に寄与している。少し勉強することで、詳細が完全に明らかに見分けられていなくてもこのテーマを理解することはできる(教会聖書辞典「黙示者ヨハネ」、762)。

さらに黙示録第12章に関して、ウィルフォード・ウッドラフ大管長は次のように述べました。

「この地上とそこに住む人々の中にはふたつの力が存在しています。神の力と悪魔の力です。…神が地上に人を置かれて以来常に, 時代を問わず,暁の子ルシフェルと天から投げ落とされた無数の堕落した霊は, 神やキリスト,神のみ業1そして神の民に戦いを挑んできました。彼らは今のこの時代の人々の中においても手を控えているわけではありません。何であれ主がみ業に着手されると必ず, この悪の力はそれを覆そうとするのです。」[1]

啓示の付け加え

モルモン教会以外の人々は、黙示録に聖典を加える可能性に反対する黙示者ヨハネの警告を引用して、末日聖徒はしばしば聖典に付け加えていると非難します。:

「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。:

エルディン・リックス博士は黙示録22:18-19の解釈について次のように述べました。

「また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」(黙示録22:18–19).
まずヨハネが「この書」といった意味を考慮し、その後、彼が「書き加える」或いは「とり除く」と言った意味を考えてみよう。ヨハネが紀元1世紀後半に黙示録を書いた時は、新約聖書が存在していなかったので、彼は新約聖書の完結するページを書いていたのではない。彼はパトモス島に流刑になっており、今日私たちがトルコと呼ぶ国の西側にある教会の七つの支部に宛てた巻物を書いていたのだ。彼の原稿は、私たちが後に新約聖書として知るようになった選集を成す27巻の別々の原稿の残りから全く独立したものだった。また彼の原稿は必ずしも最後に書かれたものでもなかった。この議題について著を表した人の総意は、27巻の内の幾つかは、黙示録が書かれた後に書かれたものだということで一致している。新約聖書を構成する数々の神聖な書き物の集まりが、今日私たちが本質的に新約聖書として知っている書物として出現するのは、紀元4世紀に至るまでなかった。これらの事実に照らし合わせて、ヨハネが「この書」と言ったのは、未だ構成されていなかった新約聖書を指しているのではなく、単に彼自身の巻物、つまり黙示録自体を指して言っていることが分かる。
そうだとすると、ヨハネが彼の書を読む人に追加や削除を禁じた意味はどういう意味なのか?彼の意図は、誰も彼の巻物にどんな形であっても改ざんしてはいけないことを戒めることにあった。彼は模倣者、偽る者、善意でも誤って導く信者、その読み方にいかなる変更を加える者などがあってはならないことを望んだ。彼は主の霊感の下に彼が書きとめた通り正確に残ることを望んだ。
旧約聖書の第4番目の書、申命記の著者が彼の書の読者たちへ類似した警告を発していることは興味深い。「わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。」(申命記4:2;申命記12:32と比較せよ。)いずれの場合も、著者は彼らの神聖な原稿を目にする将来の読者に対して、それに書かれた事は何であれ手を加えてはならないと戒めている。幸いこの警告に議論する者はないようだが、申命記の命令の原則に従って言うなら、申命記以上の聖典は決して存在してはならないことになり、ある人にとっては聖書の残りの書を拒否する結果になってしまうと言えよう。
ヨハネは、後続の聖典があってはならないと言ったのではないばかりか、黙示録から当然出さなければならない結論は、黙示録全体から見ると、ヨハネは末日には疑いなく後続の聖典があることを認識していた。
なぜそうなるのか?まず「聖典」とは何かを考えてみると、文書という形で記録された神聖な啓示ということに他ならないではないか?いわば、神聖な啓示を書いたものが聖典となるのだ。(ちなみにラテン語では”Scriptura”で、その意味は「書き物、文書」だ。)(注:「聖典」という言葉は言うまでもなく、聖なる「典」、即ち「典」は、「ふみ、書物、大切な本、手本となる本」という意味だから、神聖な事柄を書いた書物ということになる。)

そこで考えるべきことは、黙示者ヨハネが、神聖な事柄を書くという使命について、どのように理解していたかが重要となります。リックス博士は、聖典の性質について次のように説明しています。

「黙示録の大部分が、ヨハネの時代の後のある時代に地上を訪れる天のみ使いについての預言であることだ。
このようなみ使いたちが訪れてある記録が、その訪問と彼らのメッセージを書き留めたものであれば、おのずから新しい聖典となる訳だ。黙示録第11章に、ヨハネは終わりの時にエルサレムで預言する二人の預言者の使命について預言している。彼らが預言し、彼らの神からの神聖なメッセージが明らかにされ、記録として書き留められ保存されると、その文書は新しい聖典ということになる。黙示録の中で他の何よりも最も重要な出来事の預言は、イエス・キリストの再降臨の預言だ。キリストが来臨され、神の民がキリストの訪れを記録すれば、それも新しい聖典となる。
つまり人類一族には決して後続の聖典が与えられないと黙示録が教えているのではなく、むしろ、黙示録という「小さな巻物」(黙示録10:2,9,10)の最初から終わりを見れば、終わりの日に後続の聖典が存在し、またなければならないというすばらしい証拠となる[2]

黙示録の象徴の説明

預言者ジョセフ・スミスが聖書の翻訳をしているとき、その説明を啓示を通して受けました。彼は、「黙示録は神が(預言者に)書かせた書の中で最もわかりやすい書の一つだ。」と言いました。ジョセフ・スミスは、教会員が彼らの生活のために、この書の重要なメッセージが理解できるように、聖霊を求めるよう勧めています。 ジョセフに与えられた黙示録に関する啓示は、教義と聖約77章に書かれています。

教義と聖約77章
  • 黙示録4:6「ガラスの海」: 
「聖められた、不滅かつ永遠の状態にある地球」(教義と聖約77:1)
  • 黙示録4:6「四つの生き物」:
「黙示者ヨハネが神のパラダイスである天、及び人と獣と這うものと空の鳥の幸福を描写するのに用いた比ゆ的な表現である。霊のものは現世のものの形であり、現世のものは霊のものの形である。人間の霊はその体の形であり、また獣の霊、及び神が創造されたほかのあらゆる生き物の霊も同様である。」(教義と聖約77:2)
  • 黙示録4:6「四つの生き物はここの生き物に限られるか。それとも、それらは種類や懐旧を表すか」:
「それらは四つの個々の生き物に限られる。これは、幾つかの種類の生き物が永遠の幸いを享受する際の、それらに定められた創造の階級や領域における栄光を表すために、ヨハネに示されたものである。」(教義と聖約77:3)
  • 「それらの生き物が持っていた目と翼によって、わたしたちは何を理解すべきか。」:
「それらの目は、光と知識の表れである。すなわち、それらは知識に満ちている。また、それらの翼は力の表れであり、動く力や、行動する力などを表す。」(教義と聖約77:4)
  • 「ヨハネにより述べられている二十四人の長老によって、わたしたちは何を理解すべきか。」:
「これらの長老たちは、奉仕の業に忠実であって、すでに亡くなっていた長老である。彼らは七つの教会に属し、そのときには神のパラダイスにいた。」(教義と聖約77:5)
  • 「ヨハネが見た七つの封印で裏を封じられている巻物によって、わたしたちは何を理解すべきか」:
「それには明らかにされた神の御心と奥義と業が載っている。また、この地球が存続する七千年間、すなわち現世の存在の間のこの地球に関する神の摂理についての隠された事柄も載っている。」(教義と聖約77:6)
  • 「それを封じている七つの封印によって、わたしたちは何を理解すべきか。」:
「最初の封印には最初の千年のことが載っており、また第二の封印には第二の千年のこと、というようにして第七に至る。」(教義と聖約77:7)
  • 黙示録7:1「四人の天使によって、わたしたちは何を理解すべきか。」:
「彼らは神から遣わされた四人の天使であり、地の四方を支配する力を与えられていて、命を救ったり、滅ぼしたりする。これらの者は、あらゆる国民、部族、国語の民、民族に託す永遠の福音を持っており、また天を閉じる力、命に結び固める力、あるいは暗闇の境に投げ落とす力を持っている。」(教義と聖約77:8)
  • 黙示録7:2「東から上ってくる天使によって、わたしたちは何を理解すべきか。」:
「東から上ってくる天使は、イスラエル十二部族を治めるために生ける神の印を与えられている者である。それゆえ、彼は永遠の福音を持っている四人の天使に叫んで、「わたしたちの神の僕たちの額に、わたしたちが印を押してしまうまでは、地も、海も、木も損なってはならない。」と言う。またもしあなたがたがそれを受け入れることを望めば、この人こそ、イスラエルの部族を集め、万事を元どおりにするために来ることになっているエライアスである。」(教義と聖約77:9)
  • 「この章に述べられていることが完了するのはいつか。」:
「これらのことは第六の千年、すなわち第六の封印が解かれるときに完了する。」(教義と聖約77:10)
  • 「イスラエルの部族から十四万四千人、すなわち各部族から一万二千人ずつ印を押すことによって、わたしたちは何を理解すべきか。」:
「印を押される者たちは、永遠の福音をつかさどるために神の聖なる位に聖任されつ大祭司である。彼らは、長子の教会に来たいと望むすべての者を導くために、地のもろもろの国民を治める力を与えられている天使たちによって、あらゆる国民、部族、国語の民、民族の中から聖任される者である。」(教義と聖約77:11)
  • 黙示録8章「ラッパを吹き鳴らすことによって、わたしたちは何を理解すべきか。」
「すなわち、神が六日の間に世界を造り、七日目にその業を終えて、それを聖なるものとしまた地のちりから人を造られたように、まさにそのように第七の千年の初めに主なる神は地球を聖なるものとし、人の救いを完了し、すべてのものを裁き、そしてすべてのものの終わりに至るまですべてのものを結び固め終えるときにその力の下に置かれなかったもののほか、すべてのものを贖われる。また、七人の天使がラッパを吹き鳴らすのは、第七の千年の初めにおける主なる神の業の備えと完了、すなわち主の来臨のときに先立つ道の備えである。」(教義と聖約77:12)
  • 黙示録9章に記されている様々なことが完了するのはいつか。:
「これらのことは、第七の封印が解かれた後、キリストの来臨前に完了する。」(教義と聖約77:13)
  • 黙示録10章に述べられれている、ヨハネが食べた小さな巻物によって、わたしたちは何を理解すべきか。
「それは彼がイスラエルのもろもろの部族を集めるという使命であり、定めであった。見よ、この人こそ、書き記されているように、必ずきて万事を元どおりにするエライアスである。」(教義と聖約77:14)
  • 黙示録11章の二人の証人によって、何を理解すべきか。
「彼らは終わりの時、回復の時にユダヤ民族にたいして立てられ、ユダヤ人が集められて彼らの先祖の地にエルサレムの都を築いた後に彼らに預言することになっている、二人の預言者である。」(教義と聖約77:15)

参考資料

  1. (「勝利の戦い」聖徒の道、1986年1月大会特集号、84、ヒンクレー長老がウッドラフ大管長の言葉を引用。ヒンクレー長老の説教「勝利の戦い」全文は84ページを参照)
  2. エルディン・リックス、ニューエラ、「質疑応答:黙示録22:18」1977年9月号(Eldin Ricks, “Q&A: Questions and Answers:How do we explain Revelation 22:18 that says not to add to the scriptures?” New Era, Sept. 1977, 44.)

末日聖徒イエス・キリスト教会日曜学校の教科課程が新約聖書の年には、福音の教義クラスで黙示録のメッセージが教えられます。[3]

外部リンク