高ぶりを心せよ
出典: MormonWiki
高ぶりを心せよ:「高慢は至る所こ見受けられる罪であり, 大きな悪です。ている大きな悪なのです。」
- 聖徒の道 1989年7月号
- 工ズラ・クフト・ベンソン大管長
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汝ら高ぶりを心せよ
愛する兄弟姉妹の皆さん, 教会の栄えある総大会で再びお会いすることができ, うれしく思います。全世界の献身的な教会員の愛と祈り, 奉仕に心から感謝しております。モルモン経で地と自分自身の生活を洪水のごとく満たすために努力している,忠実な聖徒の皆さんをほめたたえたいと思います。私たちは画期的な方法を講じて, より多くのモルモン経を世に広めなければなりません。しかし, 求められているのは, それだけではありません。私たちは意を決して, この大いなるメッセージを自分自身の生活に, ひいては地の隅々に浸透させなければなりません。この神聖な書物は現代の私たちのために書かれました。その聖文は「自分自身…に見立てるべき」ものです (1ニーファイ19:23) 。教義と聖約には, モルモン経について,「堕落したる或る民の記録」と記されています。(教義と聖約20:9参照)彼らはなぜ堕落したのでしょうか。これはモルモン経の重要なメッセージのひとつです。モルモンはモルモン経の終わりの方の章にその答えを記しています。「この民であるニーファイ人は… … その高慢のためにみな亡びるにちがいない。」(モロナイ8:27)主はさらに, 私たちがモルモン経の堕落した民から伝えられたこの重要なメッセージを見落とさないように,教義と聖約の中で次のように警告されました。
- 「汝ら高ぶりを心せよ。然らずば汝ら古えのニーファイ人の如くなるおそれあり。」(教義と聖約38:39)
私は今からモルモン経のこのメッセージ, すなわち高慢の罪とは何かについて明らかにしたいと思います。皆さんの信仰と祈りによる助けを心からお願いします。このメッセージがここしばらくの間,私の心に重くのしかかっていました。主は今私にこのメッセージを伝えるように望んでおられます。
前世の会議において, あの「暁の子」ルシフェルが投げ落とされたのは, その高慢さのゆえでした。(IIニーファイ24:12-15;教義と聖約76:25-27;モーセ4:3参照)神がこの世の終わりに火で地を清めるとき, 誇り高ぶる者はわらのように焼かれますが, 柔和な人は地を受け継ぎます (IIIニーファイ12:5;25:1;教義と聖約29:9;ジョセフ・スミス1:37;マラキ4:1参照) 。主は教義と聖約の中で何度か, その高ぶりに注意するようにと命じておられます。その中には, 教会の第二の長老であるオリヴァ・カウドリと, 予言者の妻であるエマ・スミスに対する警告もあります。(教義と聖約23:1;25:14;38:39参照)。
高慢の核心は「敵対心」
高慢は, はなはだしく誤った解釈をされている罪であり, 多くの人が無意識のうちにこの罪を犯しています。(モーサヤ3:11;IIIニーファイ6:18参照)聖典の中には, 義にかなった高ぶりというようなことを教えている箇所はひとつもありません。高慢は常に罪と見なされています。ですから, 世の中でこの言葉がどのように使われているかは問題ではありません。私たちが理解しなければならないのは, 神がこの言葉をどのように使われているかです。そうすれば聖典の言葉を理解して, その恩恵にあずかることができるのです。ほとんどの人は, 高慢というと「自己中心」, 「うぬぼれ」, 「自慢」, 「尊大」,「傲慢」などの言葉を思い浮かべます。確かにこれらはみな, 高慢の罪の中に数えることができますが, 核心となるものが抜けています。高慢の中心をなすのは「敵対心」, すなわち神と同胞に対する敵対心です。敵対心は「憎悪, 敵意, 反感」などを意味します。サタンは, この力によって私たちを支配しようとします。高慢は本質的に闘争的な性質を持っています。私たちは, 自分の思いを押し通して, 神のみこころに刃向かうことがあります。それは, 「みこころではなく自分の思いが成るように」と言っているのも同じことです。パウロはそのような人についてこう言いました。「自分のことを求めるだけで, キリスト・イエスのことは求めていない。」(ピリピ2:21)神のみこころに対する敵意は, 欲望や欲求, 激情の歯止めを失わせてしまいます。(アルマ38:12;IIIニーファイ12:30参照)
高慢な人は, 自分の生活を律する神の権能を認めることができません。自分なりに真理を解釈して, 神の偉大な真理に挑むのです。また, 自分の能力をもって神権の力に対抗したり, 自分の功業を挙げて偉大な神のみ業に敵対したりするのです。神への敵意は, 反抗, かたくなな心,強情さとなって現われることもあれば,罪を悔い改めない, 誇り高ぶる, すぐに怒る, しるしを求めるといった形で現われる場合もあり, 実に様々です。高慢な人は, 神に対して, 自分の考えに同意するよう求めます。神のみこころに合わせて, 自分の考えを変えるなどということは念頭にありません。どこにでも見受け噛られるこの高慢という罪悪にはもうひとつ重大な要素があります。それは同胞に対する敵対心です。私たちは, 人よりも上に立ち, ほかの人をおとしめようとする誘惑に毎日直面しています。(ヒラマン6:17;教義と聖約58:41参照)
高慢な人は, 自分の知性, 意見, 仕事,財産, 才能など, この世的な尺度をもって張り合い, すべての人を敵にまわします。C・S・ルイスはこう書いています。
- 「高慢な者は何かを所有しただけでは喜ばない。人より多く持って初めて喜ぶのである。… … 人を高慢にするのは比較である。すなわち, 自分は他よりも優れているという優越感である。競争心という要素がなくなれば, 高慢もその姿を消すのである。」(「キリスト教精神」pp.109-10)
ルシフェルは前世の大会議で, イエス・キリストが擁護する御父の計画に反抗して, 自分の考えを押し立てました。(モーセ4:1-3参照)彼の願いは,すべての人に勝る誉れを得ることでした。(IIニーファイ24:13参照)要するに,ルシフェルは高慢にも神をその位から退けようとしたのです。(教i義と聖約29:36;76:28参照) 聖典には, この高慢の罪が個々の人間,あるいは民, 町, 国家に悲惨な結果を及ぼした実例が数多く記録されています。確かに「高ぶりは亡びに… … さきだつ」のです。(箴言16:18)ニーファイ人の国やソドムの町を滅ぼしたのも, この高慢の罪です。(モロナイ8:27;エゼキエル16:49-50参照) キリストを十字架につけたのも, この高慢でした。パリサイ人は, ご自身を神の子と主張するイエスの言葉に激怒しました。彼らにとってイエスのその言葉は,自分たちの地位を危うくする大きな脅威でした。それで彼らは, イエスの殺害を謀ったのです。(ヨハネ11:53参照)サウルがダビデの敵になったのも, 高慢のゆえでした。イスラエルの女たちが次のように歌うのを聞いて嫉妬したのです。「サウルは千を撃ち殺し, ダビデは万を撃ち殺した。」(サムエル上18:6-8参照)
高慢な人は, 神の裁きよりも, 人にどう思われるかを恐れます
高慢な人は, 神の裁きよりも, 人にどう思われるかを恐れます。(教義と聖約3:6-7;30:1-2;60:2参照)彼らにとっては, 「神にどう思われるか」よりも, 「人にどう思われるか」の方が重要なことなのです。 ノア王は予言者アビナダイを放免しようとしましたが, 邪悪な祭司たちに高慢な心をかきたてられて, アビナダイを火刑場に送りました。(モーサヤ17:11- 12参照)ヘロデもバプテスマのヨハネの首を切るように妻から求められたときに,当惑しましたが, 結局は「列座の人たちの手前」よく見られたいという高慢な思いから, ヨハネを殺してしまいました。(マタイ14:9;マルコ6:26参照)人にどう思われるかを恐れる人は, 人の賞賛を求めて争うようになります。高慢な人は「神のほまれよりも, 人のほまれを好」むのです。(ヨハネ12:42-43)どのような動機で行動するかによって,罪かどうかが決まってくるのです。イエ スは, 「わたしは, いつも神のみこころにかなうことをしている」と言われました。私たちは, 人にまさることや勝っことではなく, 神のみこころにかなうことをしたいという動機で, 行動すべきではないでしょうか。 高慢な人の中には, 自分の収入が生活の必要を満たしているかどうかよりも,ほかの人よりも多いかどうかということに気をとられている人がいます。このような人が望む報酬は, 人より上に立つことです。これが高慢な思いのもたらす闘争心です。高慢な思いにとらわれると, この世的なものに縛られ, 人にどう思われるかを恐れて自由を失ってしまうようになります。世の声はみたまのささやきよりもはるかに大きいものです。そして, 人の理論は神の啓示を押しのけ, 高慢な人は鉄の棒から離れていくのです。(1ニーファイ8:19-28;11:25;15:23-24参照)人の高慢はよく目につきますが, 自分自身の高慢の罪を認めるのは非常にむずかしいことです。多くの人は, 高慢の罪を犯すのは金持ちや学者のように社会的地位や権力があって, ほかの人を見下す人だと考えています。(IIニーファイ9:42参照)しかし, それ以上に私たちの間に広がっている病があります。それは人を見下すのとは逆に, 自分より多くのものを持つ人を, ねたみ心を持って見上げる高慢さです。これは, あら探し,うわさ話, 中傷, 不平, 収入以上の生活,そねみ, うらやみ, また, 人を高める感謝の念や賞賛の言葉の欠如, 人の過ちを赦さない不寛容さ, 嫉妬など様々な形で現われます。
不従順も本質的には, 自分より上の立場にある人に反抗するという, 高慢のなせる業です。不従順な人は, 両親や神権指導者, 教師, そしてついには神にまで挑んでいきます。彼らは, 自分の上にだれかが立つことを嫌います。それによって自分の立場が低くされると考えるのです。利己心は, 高慢がさらに一般的な形をとって現われたものです。うぬぼれ, 自己憐欄, この世的な願望の実現, 自己満足, 利己主義などの根底にあるのは,「それは自分の得になるのか, 損になるのか」という考え方です。高慢の行き着く結果として, 「浮世の利益と誉れ」と権力を求めて作られた秘密結社をあげることができます。(ヒラマン7:5;イテル8:9,16,22-23;モーセ5:31参照)高慢の罪の実である秘密結社は, ジェレド人とニーファイ人の文明を崩壊させました。そしてほかにも多くの国の堕落の原因となり, それは今後も続いていくことでしょう。(イテル8:18-25参照)
高慢はもうひとつ, 争いという形でも現われます
高慢はもうひとつ, 争いという形でも現われます。争い, 論争, けんか, 「不正な支配」, 世代の断絶, 離婚, 伴侶の虐待, 暴動, 騒乱, これらはすべて高慢の範ちゅうに加えられるべきものです。家庭内の争いは主のみたまを遠ざけます。また, 家族の多くを遠ざける結果にもなります。争いの範囲は, 憎しみの言葉から, 果ては世界的な紛争にまで及びます。聖典には「高ぶりはただ争いを生じる」(箴言13:10)とあります。(箴言28:25参照) 聖典には, 高慢な人は容易に怒り, 恨みを抱くと書かれています。(1ニーファイ16:1-3参照)そして, 相手に責任を負わせたまま赦しを与えず, 自分の傷ついた気持ちだけを正当化しようとします。
高慢な人は, 勧告や矯正を容易に受け入れません。(箴言15:10;アモス5:10参照)彼らは自分の弱点や失敗を正当化し, 合理化するため自己弁護に終始します。(マタイ3:9;ヨハネ6:32-59参照)
高慢な人は, 自分に価値があるかどうかの判断を世の人々に求めます。彼らの自尊心は, 世の人から自分がどれほど成功していると思われているかということによって左右されます。また, 業績や才能, 美しさ, 知性などにおいて, 自分より劣る人が多いほど, その分自分の価値が高いと感じるのです。高慢はみにくいものです。高慢な思いにとらわれている人はこう言います。「あなたの失敗は私の成功です。」もし神を愛し, みこころを行ない, 人の裁きより神の裁きを恐れるなら, 私たちは自尊心を持つことができるようになります。 高慢は,『確かに破滅をもたらす罪です。人の成長を制限し, 止めてしまいます。(アルマ12:10-11参照)高慢な人は,なかなか教えを聞こうとしません。(1ニーファイ15:3,7-11参照)心を入れ換えて真理を受け入れようとしません。自分が間違っていることを認めたくないからです。
高慢はあらゆる人間関係に悪影響を及ぼします
高慢はあらゆる人間関係に悪影響を及ぼします。その影響は, 神とその僕, 夫と妻, 親と子, 雇用者と従業員, 教師と生徒, そしてすべての人間関係に及びます。高慢の度合は, 神や兄弟姉妹に対してどのような態度をとるかによって測られます。キリストはどこにいても, 人々を高めようとされました。私たちもそれと同じ気持ちを持っているでしょうか。高慢は, 自分が神の子供であり, すべての人と兄弟姉妹であるという意識を消し去ります。また「富」や「学問」によって私たちを分け, 等級づけをします。(IIIニーファイ6:12参照)高慢な人に一致は不可能です。私たちはひとつとならなければ主のものではありません。(モーサヤ18:21;教義と聖約38:27;105:2-3;モーセ7:18参照) 高慢の罪が自分の生活や家族, 教会に,これまで何をもたらしてきたか, また今何をもたらしているか考えてください。また悔い改めがもたらすものを考えてください。高慢な思いで, 罪の告白と悪い行ないを捨て去るのを拒まない限り,私たちは生活を変え, 夫婦のきずなを保ち, 家庭を強めることができます。(教義と聖約58143参照)心を傷つけられて教会に来ていない多くの人々について考えてみてください。彼らは高慢な思いのために, 人の過ちを赦すことができず, 主のテーブルに着くことができないでいるのです。高慢を取り除けぼ伝道に出られる大勢の若い男性や夫婦について考えてください。彼らは高慢のために, 自分の思いを神に従わせることができません。高慢な思いのままに様々なことを追い求めて時間を浪費するよりも, 死者のために働くことの方が大切です。それが理解されれば, 神殿活動がどれほど活発になるか考えてみてください。
高慢は様々なときに, 様々な強さで,すべての人に影響を与えます
高慢は様々なときに, 様々な強さで,すべての人に影響を与えます。さて, これで皆さんは, リーハイが夢で見た,人々の高慢を現わす建物がなぜ大きくて広々としていたのか, 理解できたのではないでしょうか。またなぜ大勢の人々がそこへ入っていったのかも, おわかりになったと思います。(1ニーファイ8:26,33;11:35-36参照〉高慢は至る所に見受けられる罪であり,大きな悪です。そうです。高慢は世を覆っている大きな悪なのです。高慢の治療薬は謙遜です。柔和と従順です。(アルマ7:23参照)「へりくだりたる心と悔いる精神」です。(田ニーファイ9:20;12:19;教義と聖約20:37;59:8;詩篇34:18;イザヤ57:15;66:2参照)ルドヤード・キプリングは次のように書いています。
- 「騒ぎと喧騒は静まり
- 軍の長も王も逝きぬ
- なおとどまるは汝がいにしえの犠牲
- へりくだりたる心と悔いる精神
- 万軍の主なる神よ
- なおわれらと共にあれ
- 我ら汝を忘るることなからんために,
- 汝を忘るることなからんために」
- (賛美歌76番〔英文〕)
神は謙遜な民を求めておられます
神は謙遜な民を求めておられます。私たちはみずから進んでへりくだることもできれば, 強制されてへりくだることもできます。アルマは言いました。「へりくだることを強制されずに進んでへりくだる者はさいわいである。」(アルマ32:16)自分からへりくだる道を選びましょう。私たちは, 兄弟姉妹に対する憎しみを克服し, 彼らを自分自身のように尊び,また自分以上に尊重することによって,進んでへりくだることができます。(教義と聖約38:24;81:5;84:106参照) 勧告と懲らしめを受け入れる人は, 自分の意志で謙遜になる道を選べます。(ヤコブ4:10;ヒラマン15:3;教義と聖約63:55;101:4-5;108:1;124:61,84;136:31;箴言9:8参照) 私たちは, 自分を傷っけた人を赦すことにより, 進んでへりくだる方を選ぶことができます。(IIIニーファイ13:11,14;教義と聖約64:10参照)また, 無私の奉仕を行なうことによっても, 進んでへりくだることができます。(モーサヤ2:16-17参照)伝道に出て, 人を謙虚にする神のみ言葉を宣べ伝えるなら, 自分からへりくだる道を選ぶことができます。(アルマ4:19;31:5;48:20参照) もっと頻繁に神殿に参入することにより, みずからへりくだることができます。罪を告白して, 悪を捨て, 神によって生まれる人は, 自分の選びによって謙遜になることができます。(教義と聖約58:43;モーサヤ27:25-26;アルマ5:7-14,49参照〉そして, 神を愛し, 自分の思いを神のみこころに服従させ, 神を第一にした生活を築きあげることによって, 私たちは進んでへりくだることができるのです。(IIIニーファイ11:11;13:33;モロナイ10:32参照)
自分からへりくだる道を選びましょう
自分からへりくだる道を選びましょう。私たちにはそれができます。確かにできるのです。愛する兄弟姉妹の皆さん。私たちはシオンを贋うために備えなければなりません。予言者ジョセフ・スミスの時代にシオンの建設を妨げたのは, 本質的に高慢の罪でした。ニーファイ人の中で行なわれていた奉献制度を終わらせたのも, 高慢の罪でした。(IVニーファイ1:24-25参照)高慢はシオンの大きなつまずきの石です。もう一度言います。高慢はシオンの大きなつまずきの石です。 私たちは高慢を克服して器の内側を清めなければなりません。(アルマ6:2-3;マタイ23:25-26参照)「聖霊の導きに従い」, 「肉欲に従う」高慢な人を捨て, 「幼児のように従順で柔和で謙遜」になるのです。(モーサヤ3:19。アルマ13:28参照)皆さんがそれを行ない, さらに前進して, 神聖な使命を果たすことができますように, イエス・キリストのみ名によりお祈りします。アーメン。
