霊の死

出典: MormonWiki

モルモンの神学において霊的な死は、神とその影響から分離すること、或いは義に関する事柄について死んだ状態になることです(アルマ12:16、32; 40:26参照)。霊の死には、一時的な霊の死と永久な霊の死の二つの違いがあります。罪、或いは神の律法に逆らうことは、新約聖書ローマ書6:23で使徒パウロが教えたように霊の死の原因となります。

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(ローマ6:23)

モルモン書の預言者ヤコブがさらに明らかに、霊の死が地獄として知られていることについて教えています(2ニーファイ9:10,12,19,24,34,36参照)。地獄とは、神の御前から切り離される状態やそのような人が留まる場所を指す言葉です。

目次

地上にもたらされた霊の死

肉体の死と同様、霊の死は、善悪を知る木の実を食べてはならないという戒めに背いたアダムの堕落によってこの世にもたらされました。アダムとエバの行動の結果は、肉体の死ばかりではなく、父なる神とイエス・キリストと直接話すことができたエデンの園からの追放にも繋がりました。この追放の後、アダムとエバは神と直接話すことができなくなりましたが、祈りを通して神との交通を保つことができました。神との子の関係の変化で、アダムとエバは一時的に神から霊的に分離しました。

人類の一時的な霊の死

すべての人類がアダムの堕落の影響を受け継いでいるので、人は祈りを通して神と話さなければなりません。モルモンは、人それぞれの働き、思い、行動による自分の罪の結果、霊的に一時的、或いは永遠の霊の死を経験することを信じています。つまり、アダムとエバやその他自分以外の人の罪の結果で霊の死を経験することはありません。末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰箇条第二条には次のように書かれています。

「わたしたちは、人は自分の罪のゆえに罰せられ、アダムの背きのゆえには罰せられないことを信じる。」


霊の死の克服

霊の死を克服する唯一の方法は、キリストの戒めに従順であることです。人は誰もが与えられた光に従った行動をし、自分のすべての「思いと、心と力を尽くして」さらに光を求めなければなりません。さらに故意に不従順な人、怠惰であるか自己満足に陥っている人は戒めに従っているとは言えません。それは、霊的な渇きを以って義を求めるようにという戒めに従っていないからです。

永久の霊の死か永遠の命か

裁きの日にすべての人類は、それぞれの行いの裁きを受けるため神の御前に戻ります。このとき、霊の死における神からの分離が一時的に中止されます。しかし、裁きの日の目的は、神の御前に立つその人が永久に神から分離することに耐えうるかどうかを決定することです。人生で義、或いは神に関する事柄から離れないと決心することを選び、それに従った生活をした人は、イエス・キリストの贖罪を通して、既にある程度、神の御前に永久に留まることがその人がふさわしいく、そして霊の死を仮に克服した事になります。

これと反対に、キリストの教えに故意に反抗した人は、既に自分から神を離れ、自主的に一時的な霊の死をこの世の生活でこうむった事になります。このような個人は、自分の選択の自由を使って、自らの望みと選びを表し、その結果、永久の霊の死が与えられます。これを第二の死と呼んでいます(黙示録20:14; アルマ12: 16-18; ヒラマン 14:16-19; 教義と聖約76:36-37参照。)ですから、いずれも裁きも義しいことになります。それは、どちらの人も、神と共に住み、神を愛し、神に従うか、そうでないかという自分の望むところを選択したからです。