神殿のエンダウメント

出典: MormonWiki

神殿のエンダウメント

エンダウメントは、バプテスマと同様、福音に必須の救いのための神聖な儀式です。エンダウメントは献堂された主の宮居、または神殿で行われます。神殿は古代においては、誓約を結び、犠牲を捧げ、礼拝する宗教的に中心的な場所でした。末日聖徒は、父なる神とその御子イエス・キリストの指示の下に復活したお方によって地上に古代の救いの儀式が回復されてから、現代に於いても神殿を建設しています。

辞書には、エンダウメントとは崇高な力によって与えられる賜物と定義してあります。ですから神の神殿の中ではエンダウメントにその力があります。エンダウメントは知識の賜物、即ち一連の教えと誓約であり、この儀式に参加する人は、主の宮居を出てから日々神の御霊と歩み、霊的な力と導きを増すことができます。

末日聖徒にとって特にエンダウメントは、自分が何者であり、どこから来たのか、またどこへ行くのかという人生の目的を理解する助けとなります。また神に会う備えをするために何をすべきか、イエス・キリストがどのように一人一人に救いをお与えくださるかを理解するのを助けてくれます。エンダウメントの中で得られる情報は、極めて象徴的に表されています。

末日聖徒の神殿の儀式は、1840年代に預言者ジョセフ・スミスによって導入されました。カーランド神殿は、実際神殿としてよりも、むしろ祈りの家として見られ、言わば準備の神殿でした。ノーブー神殿が神殿のすべての儀式を行う末日聖徒の最初の神殿でした(末日聖徒の神殿の歴史を参照)。


象徴による教授法

神殿のエンダウメントは、極めて象徴的な方法で情報を伝達しています。ちょうど一つの単語の意味にもいくつかの微妙な変化があるように(例えば“緑”は文字通りグリーン色でもあれば、みどり髪が真っ黒なつやのある髪を意味しているように)神殿のエンダウメントに使われるシンボルもこれと同じような働きで使われています。忠実な末日聖徒が人生に亘って何度も神殿に参入するよう勧められている一つの理由は、こうした象徴的教育法ならではの意味の微妙な変化を捜し求めることができるようにする為です。ある人がある象徴から汲み取った意味が、以前に理解したものと別の意味を持つことも有り得ますし、将来に於いては必ず別の意味合いでの理解を持ってくるでしょう。

ある著名な末日聖徒の学者は、象徴による教育法を以下のようにコメントしています:

「私達は象徴の世界に住んでいます。象徴によらないもの以外は何も知らないとさえ言えましょう。紙上に幾つかの記号を書き、愛、憎しみ、慈愛、神または永遠という意味を代表させ、これを記号による言葉の形成と言っています。それらの記号は見た目は美しいものではないかも知れません。でも記号が代表している事柄自体ほど力強くないから、本のページ上にあるシンボルに欠点があるとは誰も言わないでしょう。例えば神をG-O-Dというシンボルを使って象徴させ、その見てくれが悪いからといって言い争ったりしないばかりか、むしろ私たちはその記号を通して神の威厳すら表現されていることを承諾している訳です。その意味が明解であれば、象徴というものは有難いものです。今晩は私は(文字を通してではなく)聞き手の皆様に語るという形で情報を伝達します。まず皆さんは私の話し方や言葉の選択についてはさほど文句は言いませんでしたね。私の思っている考えの持つ意味に沿ってその考えを明瞭に話そうと努力しましたから、聞き手の皆さんはむしろ言葉や話し振りなどは忘れてしまっています。例えばはサンタクロースなど存在しないのだといって、それに異議を唱える人がいます!こういう人にはサンタクロースはシンボルなのだよということが見える眼鏡が必要ですね。つまり、サンタクロースはクリスマスの愛と喜び、クリスマスの精神の象徴しているのです。私の生まれた国では、サンタクロースなどはありませんが、その代わりクリスマスのおもちゃや贈り物を入れた籠をつけた子ヤギが部屋の中に押し込まれるというのが伝統です。ヤギ自体には何の意味もありませんが、それにはクリスマスの精神が象徴されていて、重要な意味が与えられています。」

私たちはシンボルの世界に住んでいるのです。いかなる男女も、エンダウメントを受けるべく方法で受け、象徴を超えて、象徴が代表する偉大な真実を見ないでは、エンダウメントを受けて神殿から出てくることはできません。(ジョン・A・ウィッツオー、"神殿礼拝"、ユタ州系図及び歴史マガジン、1921年4月号69ページ。)

神殿のエンダウメントで使われる象徴とそれら象徴の意味は、末日聖徒にとっては神聖なものです。シンボルの意味を神から(与えられた贈り物)知識としてみなしています。この理由から末日聖徒にとって、象徴とその意味について話し合うに唯一ふさわしい場所は、神殿の壁の内側です。これが末日聖徒が神殿の中での事柄の詳細を話し合わない理由で、つまり最も聖なる場所以外で口にするには、あまりにも神聖であり過ぎるということです。


神との誓約

エンダウメントを行う時、教会員は神と極めて特定な誓約を結ぶことが求められます。誓約とは二方通行の約束です。宗教用語では、誓約とは個人と主との間に交わされた神聖な約束を意味しています。例えば、ある人がバプテスマを受けた時、その人はイエスの模範に従うことを努力し、犯したいかなる罪もを悔い改めるという誓約を主と交わします。その人が誓約に定められた自分の義務を守る時、主は真実真心から悔い改めるならそれらの罪を許して下さる事を約束なさいます。エンダウメントで提示される誓約は、今一度言うように、末日聖徒にとって極めて神聖なものです。以下の引用でジェームズ・E・タルメージ長老が述べているように、これらの誓約は神殿の外では、一般的な用語でのみ説明することができます。

「エンダウメントの儀式は、貞操と純潔の律法を厳格に守ること;慈善、慈愛、寛容、純粋であること;また真理を広め人類を高揚させる為に自分の持てる才能と財産の両方を奉献すること;真理の為に献身を保つこと;地上が地上の王である主イエス・キリストを迎えるために、あらゆる方面から大いなる備えをする努力を惜しまないなどの義務をその身に引き受ける誓約と約束の中で一人一人が果たすべき特定の義務を表しています。それぞれの誓約を交わし、それぞれの義務を引き受けることで、その条件への忠実さによって約束された祝福が宣言されます。神殿の儀式には、人を高揚し清めないものなど微塵もありません。あらゆる細かな面に亘ってエンダウメントの儀式は、人生の道徳観、より高い理想の為に個人を神に捧げること、真理に献身すること、国家への愛国心を持つこと、神への忠誠を誓約することなどに貢献しています。」(ジェーム・E・タルメージ、“主の宮居”p.84。)


神からの賜物

神殿のエンダウメントは、神からの賜物であると末日聖徒は見なしています。エンダウメントは、知識と将来もたらされる祝福の約束を与えます。エンダウメントを通して得られる祝福一つ一つは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストによって具えられた救いを通してのみ得られるのです。忠実な末日聖徒が神殿のエンダウメントは、私たちにとって必要かつ極めて有益なものと見る一方、救いをもたらす御方はイエス・キリストのみであるということを悟っています。イエスへの信仰を持ち、キリストが示して下さった模範に従うことによってのみ私たちは救われるのです。