祈り
出典: MormonWiki
祈りは、モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会の俗称)の会員の生活の重要な一部です。スペンサー・W・キンボール(前大管長)は、教会員全員に送られた大管長会からのメッセージ[1](”Pray Always”Ensign October 1980)「常に祈る」の中で、「いつ祈るべきか?」という質問を読者に投げかけ、「その答えは、常に祈ることだ」と述べています。祈りは、神に語りかけ、知恵と力を神から得る最良の方法です。
教会の標準聖典に掲載されている聖書辞典には、次のように説明されています。:
- 「神との関係において私達が本当はどういう立場にあるかということを理解すれば(すなわち神は私達の父であり、私達は神の子供であるという関係)、私達が祈りを捧げることはすぐに自然で直感的な行為になる。(マタイ7:7-11)祈ることがいわゆる難しいことだとされている多くの理由は、この関係を忘れているためだ。祈りは、御父の意思と子供の意思を互いに一致させる行動である。祈りの目的は、神の御心を変えることではなく、神がすでに与えようとすでに備えておられる祝福を、自分のため、また人々のために得ることである。しかし、それを得るには求めなければならない。祈りはある意味で努力であり、すべての祝福の中の最も良きものを得るために定められた方法である。自分の考えがキリストのお考えと一つになり、自分の望みとキリストが望んでおられることが一致するときに、私達は真の意味でキリストの名により祈ることができる。(ヨハネ15:7、教義と聖約46:30)そうする時に私達は正当であって神が与えられるのをよしとされることを願い求めるのである。多くの場合、祈りはキリストの意思に相当するものではなく、人間の利己心からでたものであるために、聞き届けられないままでいる。[2]」
祈りには四つの基本的要素があります。 1.まず神に父なる神さまと呼びかけて祈りをはじめます。 2.次に父なる神に私達の持てる物に対する感謝の意を表します。また祈る時には、私達の所有するものは父なる神の与えられたものであることを思い起こすよう促されています。 3.次に父なる神に私達に必要なことを漠然とではなく具体的にお願いします。つまり自分や他の人に必要な祝福をいただけるように祈るのです。モルモン書の中のアルマ書34:19-27は具体的な祈りについて述べています。
- 「まことに、へりくだって、神に祈り続けなさい。
- 牧場にいるときには、まことに、すべての家畜の群れについて神に叫び求めなさい。
- 家にいるときには、まことに、あなたがたの家のすべての者について、朝もひつも晩も神に叫び求めなさい。
- まことに、敵の力を防ぐことができるように、神に叫び求めなさい。
- まことに、あらゆる義の敵である悪魔を防ぐことができるように、神に叫び求めなさい。
- あなたがたの畑の収穫が豊かであるように、作物について神に叫び求めなさい。
- あなたがたの牧場の家畜が増えるように、家畜の群れについて叫び求めなさい。
- しかし、これだけではない。あなたがたは自分の部屋でも、人目に触れない場所でも、荒れ野でも、あなたがたの心を注ぎ出さなければならない。
- また、声に出して主に叫び求めないときでも、あなたがたの幸いと、あなたがたの周りの人々の幸いを気遣う気持ちを心に満たし、それが絶えず主への祈りになるように」
4.最後にイエス・キリストのみ名によって祈りますと言って終わります。イエスのみ名を使うの理由がニーファイ第三書18:19-20に主ご自身が説明されています。:
- 「だからあなたがたは、わたしの名によって常に父に祈らなければならない。
- 与えられると信じて、わたしの名によって父に求めるものは、正当であれば、見よ、何でもあなたがたに与えられる。」
末日聖徒は、父なる神から実際に祈りの答えを受けられることを信じています。祈りの答えは、いろいろな方法で答えられます。例えば、心に平安を感じる、インスピレーションやある思いが心に湧いてくる、心の中に暖かい気持ちを感じることです。また祈りは、私達の生活の中の出来事を通して祈りが答えられたり、聖典を読んでいて答えとなる聖句を見出したり、他の人の言葉や行いから祈りが答えられることがあります。祈りをさらに頻繁に、より誠実に捧げる時、いつどのようにして祈りが答えられているのかを見分けることが容易になります。
