父なる神

出典: MormonWiki

末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰箇条第一条は、わたしたちの神に関する信条をきわめて明確、簡潔に定義しています。

「わたしたちは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊とを信じる。」(信仰箇条1:1)

ジョセフ・スミスは、聖典として認められたこの教義を次のように明らかに説きました。 「御父は人間の体と同じように触れることのできる骨肉の体を持っておられる。御子も同様である。しかし、聖霊は骨肉の体を持たず、霊の御方であられる。もしそうでなければ、聖霊はわたしたちの内にとどまり得ない。」(教義と聖約130:22)

末日聖徒は、神は全能、全知であり、すべての人が場所を問わず彼の霊を感じることができると信じています。神はあらゆる良き性質を絶対的完璧さで所有しておられ、慈悲と慈愛に深く、寛容、忠実で人を偏見なさることがありません。教会員は神について教えている情報を聖典に求める一方、会員が持っている神の特性に関する根本的知識は、ジョセフ・スミスの最初の示現にその根拠を持っており、誰もが神ご自身からの個人的啓示によって、さらにそれを自分のものにすることができます。このような個人の啓示を通して、一人一人はジョセフ・スミスが行ったように、神の存在についての絶対的知識に対する葛藤や不確かさを乗り越えることができます。

わたしたちすべての御父

末日聖徒は、父なる神が文字通り、私達すべての御父であると信じています。私達は神の子供であり、神の子供であるが故に神から彼について学ぶことができのです。私達は神のことを知り、神のようになるように努力できます。神は私達を愛しておられ、私達が地上に来る前に私達のことを知っておられ、この人生での私達の幸福を望んでおられ、次の世において神と住むために戻ってくることを欲しておられます。(末日聖徒は、この地上での人生は、永遠の存在の中では、ほんの小さな部分だと信じています。また私達が生まれる前に神と住んでいたこと、そして死後、神と共に住むために帰ることができると信じています。この概念は、しばしば救いの計画と呼ばれています。)

イエスと聖霊に対する神の関係

末日聖徒イエス・キリスト教会は、神、イエス・キリスト、および聖霊は三人のそれぞれ独立した方々であると信じています。三方は共に神会を構成しておられます。すべての神会の方々が別個に独立しておられるというこの概念は、ジョセフ・スミスが受けた最初の示現のときに確認されたものですが、これはまた聖典の中にも書かれています。例えば、イエスのバプテスマのとき、イエスご自身は水の中におられましたが、御父の声は天から聞こえてきました。そして聖霊が「鳩のように」下り、イエスの上にとどまりました(マタイ3:13-17)。この出来事では神会のすべての三方がそれぞれ別々に同時に現れていらしゃいます。またイエスは御教えを教えておられるとき、「父がわたしより大きいかたであるからである。」(ヨハネ14:28)と、神とご自身は別個の存在であると述べておられます。別の箇所では、「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである」(ヨハネ5:22)と述べられました。変貌の山の上でペテロ、ヤコブ、ヨハネに、神が死ぬべき体を持っておられたイエスを「これはわたしの愛する子」(マタイ17:5)とおっしゃり、イエスが誰であるかを明らかにされました。以上は、聖書の中に見られる神とイエス・キリストが別々のお方であることを示した、多数の例のいくつかに過ぎません。 このお二人が個人として存在しておられるにも関わらず、末日聖徒は、神会の会員である方々は意思と目的に於いては完全に一致して(一つになって)おられることを信じています。神会において一致されている様は、イエスと神とが一つであるように、イエスの弟子たちも一つになるようにというイエスの祈りにも示されています。(ヨハネ17:21-22)

神の歴史

現在の私達と同じように、父なる神はかつてはぬべき存在にあったという概念は、末日聖徒の一般的な信条です。ある人々は神はかつて私達のような人であったと信じています。また別の人々は、神はかつてイエス・キリストのような人であったと信じています。この概念はジョセフ・スミスの教えの中に見いだされます。 「私は神がどのようにして神になられたかを話そう。私達は神が永劫から神であったと想像していた。(神がそうではなかったという考えは)ある人にとっては理解できないものだ。しかし、それは純然かつ福音の第一原則、すなわち神の性格を確かに知ることであり、私達は一人の人が別の人に会話をするように、私達も神と会話することができる。私達すべての御父である神ご自身、イエス・キリストと同様、地上に住まわれた・・・」(「キング・フォレット説教」

この引用は、ジョセフ・スミスの死の直前に行った説教から抜粋したものです。彼は時熟さずして人生を終わったため、ジョセフ・スミスにこの神学的概念をこれ以上詳細に至って話し合うことはできませんでした。しかし、ジョセフ・スミス以外の別の指導者や会員も他の機会に、ほとんど同様の概念を言明しています。神がかつて私達(あるいはイエス)のようであったという信条は、末日聖徒の中で一般的な信条ですが、それは末日聖徒であるための、いわば「リトマス試験」という訳ではありません。言い換えると、ある教会員は、ジョセフ・スミスがこの教えで厳密に意味していたこととは異なった意見を持っていることもあれば、また他の人は、この考えをまったく拒絶しているかも知れませんが、それは教会員になる条件には含まれていません。

ある批判家たちは、神はかつては死ぬべき存在にあったという信条に対して不平を訴え、末日聖徒の神学を“神は常に神ではなかった”と教えているなどと解釈していますが、それは正しくはありません。なぜでしょうか?それは、末日聖徒は、神と人とはおなじ種族(race)であり、同じ性質を具え持っているということを本質的に信じているからです。神は完全であり、人は不完全であっても、神も人も同じ種族なのです。従って、神は常に神であり、神の性質と神の本質的存在は一向に変わらないのです。