水に沈めるバプテスマ

出典: MormonWiki

水に沈めるバプテスマは、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)で、権能を持つ者により、施される福音の最初の儀式であり、教会員になるために必要なものです。この儀式は、バプテスマ[1]を受ける人の体全体を一旦水の中に沈めてから、水の中から立ち上がります。この時、髪の毛も含めて体のすべての部分が水の中に沈むことが重要で、いずれかの体の部分が水の上に出ていた場合は、再度やり直します。

末日聖徒標準聖典の中にある「聖書辞典」には次のように説明してあります。:

「バプテスマとは、「浸す」または「沈める」という意味のギリシャ語を語源とする言葉。バプテスマは、イエス・キリストの福音が地上にある時、または聖なる神権を持ちこの儀式を施すことの出来る男性がいる時、常に行われてきた儀式。」

バプテスマの行為には、霊的な意味を象徴する行為が示されています。つまり「死、埋葬、復活を象徴し、水に沈めることによってのみ、これらを象徴することができる。(聖書辞典)」ということです。これはイエス・キリストの死、埋葬、復活を象徴していると同時に、私たちが、イエス・キリストとイエス・キリストの贖罪に信仰をもち、悔い改め、新しく生まれ変わるとき、贖いによって新しい人として生まれ変わることも象徴しています。(第二コリント5:17参照)さらに教義と聖約76:51-52は、次のように述べています。:

「すなわち、彼らはイエスの証を受け入れ、その名を信じ、そしてイエスの名によって水の中に沈められ、イエスから与えられた戒めのとおりにその埋葬に倣ってバプテスマを受けた者である。それは戒めを守ることによって、彼らが自分のすべての罪から洗われて清くされ、この力を持つように聖任され結び固められている者の按手によって聖なる御霊をうけるためである。」

聖書から分かるように、バプテスマのヨハネとピリポは、水に沈められるバプテスマを行いました。マタイ3章には、イエスがバプテスマを受けるためにヨルダン川に行き、バプテスマのヨハネを訪ねられました。もし他のバプテスマの方法が許可されるならば、わざわざ水の十分ある川には行かなかったはずです。これと同様、使徒行伝8:37-39ではピリポが宦官にバプテスマを川に降りて行って授けています。

キリストがバプテスマのヨハネの所へ行きかれた時、ヨハネは彼がキリストからバプテスマを受けなければいけない立場にあると言って、バプテスマをキリストに授けることをためらっています。キリストはこれに答えて、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」(マタイ3:15)と言われました(ニーファイ第二書31章も参照)。根本的に言うと、キリストはバプテスマは救いのために必須であることを指摘しておられるのです。末日聖徒は、バプテスマが天に入るための最初のステップであると信じています。ロバート・D・ヘイル長老は、バプテスマの聖約についてこのように述べています。:

「バプテスマとは、“神に贖われ、第一の復活にあずかる人々とともに数えられて永遠の命を得られるように、いつでも、どのようなことについても、どのような所にいても、死に至るまでも神(と神の王国)の証人になる“という聖約であることを思い起こさせてくれます(モーサヤ18:9)バプテスマの聖約と聖霊の賜物について理解するなら、バプテスマによって人生が変わり、髪の王国への完全な忠誠が確立されることでしょう。誘惑に遭うとき、耳を澄ませば、聖霊はわたしたちが救い主を覚え、神に戒めに従うと約束していることを思い出させてくださいます。」(リアホナ、2001年1月号、6)

LDS聖書辞典は以下のように、バプテスマの目的について説明しています:

「水に沈めるバプテスマには幾つかの目的がある。罪の許しを受けるため、教会の会員となるため、また日の栄光の王国に入るためで、さらに聖霊を受けた後、人が清められるための入り口でもある。」

この説明は、バプテスマのもう一つの必須な理由、すなわち聖霊の賜物を受けるという を指摘しています。キリストがバプテスマを受けられたとき、聖霊が鳩のしるしで天から下ってきたとかかれています。この鳩は聖霊のしるしであり、キリストが聖霊の賜物を受けられたことの象徴です。

聖書は、キリスト以前のバプテスマについては漠然としていますが、現代の啓示とジョセフ・スミスもモルモン書の翻訳、死海写本が教えているように、キリストの真実の預言者はバプテスマの儀式を実行してきました。またモーセ書で、人類最初の預言者アダムがバプテスマを受けたことが記録されています。

ダニエル・H・ラドロウ博士は古代のユダヤ教にバプテスマの習慣があったことという事実をその著書で指摘しています。:

「ユダヤ教百科事典には、古代イスラエルでは当たり前の習慣であったことを指摘している。:“バプテスマは古代ユダヤ教で実践されていた。(Hasidic or Essenne)、まず神のみたまを受けるための…懺悔の方法として、あるいは神のみ前に立つことを許されるために、人はバプテスマを受けなければならない。”(Vol.2, p499)バプテスマの方法として、同百科辞典は、次のように述べている。“…この(バプテスマ)は自然に湧き出ている泉または川または適切に建てられた(水を入れる設備vessel)で水に沈めて行われた場合のみ有効である。この規則は、もちろん、エルサレムの神殿の中でも維持された。”(vol.1pp.68-69)」
(Daniel H. Ludlow, "A companion to your study of the Book of Mormon", Salt Lake City, Deseret Book Company, 1977、pp.154-155)

末日聖徒が他の宗教と異なる点は、バプテスマを受けるに適切な年齢についてです。聖書はバプテスマについて特定の年齢を示唆していませんが、儀式の理解ができ得る十分な年齢でなければならないのは明白なことで、自分の決定に責任を負うことができなければなりません。現代の啓示によると、バプテスマを受けられる最低年齢は8歳です。ジョセフ・スミス訳聖書の創世記17:11によると、「そして、わたしはあなたと割礼の聖約を立てる、そしてその聖約はわたしとあなたの間でわたしの聖約となる、そして、あなたの後から生まれるあなたの子孫、かれらの代々の末にとってわたしの聖約となり、あなたは子供は8歳になるまで、わたしの前に責任を負う年齢ではないことを知るであろう。」と述べられています。これは教義と聖約68:25に「子供を持つ両親がいて、八歳のときに、悔い改め、生ける神の子キリストを信じる信仰、およびバプテスマ按手による聖霊の賜物の教義を理解するように彼らを教えなければ、罪はその両親の頭にある。」と書かれていることと同じ概念です。