死すべき状態
出典: MormonWiki
死すべき状態は、誕生と死の間の時間です。「死すべき状態」という言葉には、「不死不滅」というものがなければ、何の意味も持ちません。末日聖徒イエス・キリスト教会の教義は、死すべき状態は、神の子供たちのために神が作られた救いの計画の中で必須の部分だと教えています。末日聖徒の教義によると、神の望んでおられることは、人類が昇栄の準備をすることです。:
- 「見よ、人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である。」(モーセ書1:39)
[救いの計画」は、わたしたちがこの地上に生まれる前に霊として神と共に住んでおり、神がわたしたちの霊の文字通りの父であったことを教えています。神は神の御子イエス・キリストを通して生きることができるようにこの地球を創造されました。:
- 「そして、彼らの中に神のような者が一人立ち、ともにいた者たちに言った。“あそこに空間があるので、わたしたちは降って行こう。そして、これらの材料を取って、これらの者が住む地を造ろう。
- そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、何であろうと、主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。
- 第一の位を守る者は付け加えられるであろう。また、第一の位を守らない者は、第一の位を守る者と同じ王国で栄光を受けることはない。さらに、第二の位を守る者は、とこしえに栄光をその頭に付け加えられるであろう。”」(アブラハム書3:24-26)
死すべき状態の主な目的の一つは、肉体を得ることです。確かに肉体の情熱と欲望を通して男女は試されますが、体は行動する力も与えてくれます。ですから肉体は、尊い祝福です。愛情は肉体がなければ完全に表現しきることはできません。肉体を通して家族関係が作られ、男女は子供を生み育てることで神と共同の創造者となることができ、儀式を執行することができ、男女は貧しいもの、病める者、苦難を味わっている者に施すことで慈愛を学ぶことができます。人がこの地上に留まることは、経験を与え、知恵、慈悲、信仰を養い育てる助けをします。
死すべき状態のもう一つの目的は、深い御心の計画によって神から離れて生きることです。モルモンの教義は、「忘却の幕」によって死すべき状態にいる人は、彼らの前世での存在を思い出すことができないと教えています。それはわたしたちが信仰を使って生活し、神に近づくためです。
ですから、人は父なる神とのつながりを保ち、その関係を向上するために信仰を育まなければなりません。神は慰めなしに人を放置されることはありません。この地上に生まれたすべての人は、「キリストの光」を持って生まれてきました(モロナイ7:19参照)。キリストの光は、良心として働き、人が善と悪を見分けるように導きを与えます。また人には自由意志が与えられ、自由に選択することができます。その人の選択がより義にかなっていれば、さらに大きな光がその人と共に留まります。しかし、またその反対のことも言えます。さらに神は人に預言者、聖典、祈りを与えられました。しかし最大の賜物は、神と人とのへだたりの橋渡しとして無窮の犠牲を払ってくださった神の独り子イエス・キリストです。キリストによって人はこの人生で神に会う準備ができ、神の栄光の一部を受け継ぐことができるようになります。
反対の事物があることの必要性
神の息子と娘が選択の自由を活用する唯一の方法は、「すべてのものに反対」があることです。
- 「また、すべての人への執り成しがあるので、人は皆、神のみもとに来る。そのため、彼らは神の御前に立ち、神の内にある真理と聖さによって裁かれる。したがって、聖者が授けられた律法の目的は、定められた罰の執行にあり、贖罪の目的を達するために定められた罰を科することは、同じ目的で定められている幸福を与えることと相反している。
- それは、すべての事物には反対のものがなければならいからである。…もし事物に反対のものがなければ、義は生じ得ないし、邪悪も、聖さも惨めな状態も、善も悪も生じ得ない。そうすると、すべての事物は混じり合って一つとならざるを得ない。したがって、事物が一体となるならば、生も死も、朽ちる状態も朽ちない状態もなく、幸不幸も、意識も無意識もなく、死んだ状態で続かなければならない。
- また、神がわたしたちの最初の先祖と野の獣と空の鳥、要するに、創造されて現在あるすべての事物を創造された後、人の行く末にかかわる永遠の目的を達するために反対のものが備えられなくてはならなかった。すなわち、禁断の実に対しては命の木というようであって、前者は甘く後者は苦かった。」 (2 Nephi 2: 10-11, 15).
前世にも反対はありました。主は人が堕落することを承知しておられたので、私たちの罪を贖う救い主の使命をもうけ、人類がその完全な生涯の模範に従って生きることができるように一人の救い主イエス・キリストを備えられました。
一方、ルシフェルは、神の最初に生まれた霊の子供の一人ですが、神の計画に反対しました。ルシフェルは、すべての人の自由意志を奪い、強制的に救いを与えると申し出ました。この結果、天の軍勢の三つの部分のうち一部が彼に従いました。その時点で、ルシフェルと彼に従った者達の進歩は止まってしまいました。彼らには肉体が与えられず、(肉体を得ないために恐らく復活もなく)、天から投げ落とされました。この地上に生を受けた人、またこれから生を受ける人はすべて、父なる神の計画を受け入れ、第二の位(或いは死すべき状態)を得ました。死すべき状態では、サタン(ルシフェル)が、神から離れているために味わう惨めな苦痛を人に与えるために誘惑します。
- 「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」 (イザヤ14: 12)
- 「そして、滅びと呼ばれた。もろもろの天は彼のためになき悲しんだからである。彼は暁の子ルシフェルであった。」(教義と聖約76: 26)
- 「神の一人の天使が天から落ち、彼は神の御前で邪悪なことを求めたので、悪魔になったと思わざるを得ない。
- 彼は天から落ちて、とこしえに惨めな状態になったので、全人類もまた惨めな状態にしようとした。」(2 ニーファイ2:17, 18).
死すべき状態は神に会う準備の状態
七十人のランス・ウィックマン長老は、死すべき状態を次のように述べています。
- 「現世は試しの場であり,猶予期間です。信仰によって歩み,神に会う用意をする時期なのです(例えば,アブラハム3:24-25 ;2ニーファイ31:15- 16,20;アルマ12 :24 ;42 :4- 13参照)。謙遜さ(アルマ32 :6- 21参照) と従順さ(モーサヤ3 :19参照)を養い育てていくことで,意図された現世での経験を完全に理解し,御霊の静かな導きを受けるにふさわしい思いと心を持てるようになります。謙遜さと従順さは,進んで行う完全な姿勢を表しています。それによってわたしたちは「なぜ」という疑問を一時わきに置いて,さらには「喜んで従いましょう」と申し出ることさえできるようになるのです。
- 最後まで’「よく堪え忍ぶ」ことにより(2ニーファイ31:15- 16;アルマ32:15;教義と聖約121:8参照),わたしたちは人生の目的を果たすことができます。現世での最も大きな試しは,「なぜ」という疑問に直面したとき,「すべてのことは時節にかなって起こる」(教義と聖約64 :32)という主の約束を謙虚に信じて,「なぜ」という疑問を捨て去ることです。」(「たといそうでなくても」リアホナ2002年11月号,30)
永遠に比べると、死ぬべき状態の現世は極めて短いものです。しかし、残りの永遠の時間をどう過ごすかに影響するかは、わたしたちが死すべき状態の間の選択にかかっています。十二使徒のジョセフ・B・ワースリン長老を借りると、「死すべき状態の現世は、極めて短いが、計り知れないほど重要です。」(“The Time to Prepare,” Ensign, May 1998, 14)
外部リンク:
