最初の示現
出典: MormonWiki
高価なる真珠 ジョセフスミス - 歴史 1:1 - 26 より 抜粋
末日聖徒イエス・キリスト教会の起こりと発展に関して、 たちが悪く腹黒い人々によって、多くのうわさが広めら れてきた。これらすべてのうわさは、その扇動者たちが この教会の教会としての名声と世における発展とを損な おうと企てたものである。そのために、わたしはこの歴 史を書くに至った。それは、世間の考えを正すためであ り、また、真相を知ろうとするすべての人に、わたしが 事実を知っている範囲で、わたし自身と教会の両方に関 してその事実を起ったとおりに知らせるためである。
この歴史の中で、わたしは、真実かつ公正にこの教会に 関する様々な出来事を、それらが起こったとおりに、あ るいは現在あるとおりに述べよう。今や、この教会が組 織されて八年目(一千八百三十八年)である。
わたしは主の一千八百五年十二月二十三日に、バーモン ト州ウィンザー郡シャロンの町で生まれた。……わたし の父ジョセフ・スミス・シニアはバーモント州を去って、 ニューヨーク州オンタリオ郡(現在のウェイン郡)パル マイラに移り住んだ。当時、わたしは十歳くらいであっ た。父はパルマイラに着いてから約四年たって、家族と ともに、同じオンタリオ郡内のマンチェスターに移った。
家族は十一人から成っていた。それは、父ジョセフ・ スミス、母ルーシー・スミス(母の結婚前の姓はマック といい、ソロモン・マックの娘であった)、兄弟たち、 すなわちアルビン(一千八百二十三年十一月十九日、二 十五歳で死去)、ハイラム、わたし自身、サミュエル・ ハリソン、ウィリアム、ドン・カーロス、それに姉妹た ち、すなわちソフロニア、キャサリン、およびルーシー であった。
マンチェスターに移り住んでから二年目のあるとき、 わたしたちが住んでいた地域に宗教に関する異常な騒ぎ があった。それはメソジスト教徒から始まったが、間も なく広くその地域内のすべての教派に及んだ。実に、そ の地方全体がそれに影響されたようであった。そして、 大勢の群衆が様々な教派に加わり、それが人々の間にた だならぬ騒ぎと分裂を引き起こした。「見よ、ここだ」 と叫ぶ人がいれば、「見よそこだ」と叫ぶ人もいた。あ る人はメソジスト派の教えを、ある人は長老派の教えを、 またある人はバプテスト派の教えを擁護して論争してい た。
これら様々な教派に転じた改宗者たちは、改宗のときに 深い愛を表明し、また、この尋常でない宗教的感情の場 面を引き起こし助長するのに深くかかわった牧師たちは、 すべての人を改心させるために、どこでも自分の好む教 派に加わりなさいと言って、大いなる熱意を表した。に もかかわらず、改宗者たちのある人々はある教派、また ある人々は別の教派というように所属が定まり始めると、 牧師たちと改宗者たちの好ましく見えた感情は、真実で はなく偽りであるように思われた。牧師が牧師と、改宗 者が改宗者と言い争うひどい混乱と悪感情の場面がこれ に続き、その結果、すべてのお互いの好感情は、もしか つて幾らかでもそのようなものがあったとしても、今は 言葉の争いと見解についての論争ですっかり失われてし まったからである。
わたしは当時十四歳であった。父の家族は長老派の教え を受け入れ、そのうち四人、すなわち母のルーシー、兄 弟のハイラムとサミュエル・ハリソン、および姉のソフ ロニアがその教会に加入した。
このひどい騒ぎの間、わたしは心の中で深く考えさせら れ、大きな不安を感じないではいられなかった。しかし、 わたしの気持ちに深く、またしばしば痛烈に感じるもの があったにもかかわらず、なおわたしはこれらすべての 教派から遠ざかっていた。それでも、機会があるごとに、 彼らのいろいろな集りには出席した。そうするうちに、 わたしの心はややメソジスト派に傾き、彼らに加わりた いとかなり望むようになった。しかし、様々な教派間の 混乱と争いが非常に激しかったので、わたしのような若 く、世間のことを知らない者にとって、だれが正しく、 だれが間違っているか、確かな結論を出すことは不可能 であった。
わたしの心は時々ひどくかき乱され、叫び声と騒ぎの渦 は熾烈なもので絶えることがなかった。長老派の人々は、 バプテスト派の人々とメソジスト派の人々に断固反対し、 あらんかぎりの理屈と詭弁の力を用いて彼らの誤りを立 証しよう、あるいは少なくとも彼らは誤っていると人々 に思わせようとした。他方、バプテスト派の人々とメソ ジスト派の人々は、彼らは彼らで、同じくらい熱心に、 彼ら自身の教義を確立して他がことごとく誤っているこ とを立証しようと努めた。
この言葉の争いと見解の騒動の渦のただ中にあって、わ たしはしばしば心に問うた。「何をしなければならない のだろうか。これらすべての教派のうちのどれが正しい のだろうか。それともことごとく間違っているのだろう か。もし彼らのうちどれかが正しいとすれば、それはど れで、どうすればそれが分かるのだろうか。」
これら宗教家たちの論争によって引き起こされた、極度 に難しい事情の下に苦しんでいたある日のこと、わたし は、ヤコブの手紙第一章五節を読んでいた。「あなたが たのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、 とがめもせずに惜しみなくすべて人に与える神に、願い 求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
この聖句が、このとき、かつて人の心に力を与えたいか なる聖句にも勝って、わたしの心に力強く迫って来たの であった。それはわたしの心の隅々に大きな力で入り込 んで来るように思われた。もしだれか神からの知恵を必 要とする者がいるとすれば、それは自分であることを 悟って、わたしはこの言葉を再三再四思い巡らした。な ぜならば、わたしはどうしてよいか分からず、また自分 がそのときに持っていた知恵よりも深い知恵を得られな ければ、どのように行うべきかまったく分からなかった からである。それというのも、様々な教派の教師たちは 同じ聖句を異なって解釈し、その結果、聖書に訴えて疑 問を解決することへの信仰をすべて打ち砕いてしまって いたからである。
とうとうわたしは、暗闇と混乱の中にとどまるか、そ れともヤコブが指示しているとおりに行うか、すなわち 神に願い求めるか、どちらかにしなければならないとい う結論を出すに至った。わたしはついに「神に願い求 め」ようと決意した。もし神が知恵に不足している者に 知恵を与え、しかもとがめもせずに惜しみなく考えてく ださるならば、思い切って願い求めてみるべきだと結論 づけたのである。
そこで、神に願い求めるというこの決心に従って、わた しはこれを実行するために人目を避けて森に入って行っ た。それは一千八百二十年の早春、美しい晴れた日の朝 のことであった。わたしがこのようなことを行おうとし たのは、生涯で初めてであった。わたしは不安のまった だ中にあっても、声に出して祈ろうとしたことはまだ一 度もなかったからである。
わたしは前もって決めておいた場所に人目を避けて行き、 辺りを見回し、自分一人であることを確かめると、ひざ まずいて、心の願いを神に告げ始めた。わたしがそうし 始めるやいなや、すぐにわたしは何かの力に捕らえられ た。その力は完全にわたしを圧倒し、わたしの舌をしび れさせるほどの驚くべき力を振るったので、わたしは物 を言うこともできなかった。深い闇がわたしの周囲に集 まり、一時はあたかも突然の滅びを宣告されたかのよう に思われた。
しかし、わたしは自分を捕えたこの敵の力から救いだし てくださるようにと、あらんかぎりの力を尽くして神に 呼び求めた。すると、わたしが今にも絶望し、破滅に身 を任せようとしたその瞬間、すなわち想像上の破滅では なく、目に見えない世界から来た実在する何者かの力、 わたしがこれまでいかなる者にも一度も感じたことのな いほどの驚くべき力を持った者の力に身を任せようとし た瞬間、この非常な恐怖の瞬間に、わたしは自分の真上 に、太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そ して、その光の柱は次第に降りて来て、光はついにわた しに降り注いだ。
それが現れるやいなや、わたしはわが身を縛った敵から 救い出されたのに気づいた。そして、その光がわたしの 上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし難い輝きと 栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておら れるのを見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語 りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、「これ はわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われ た。
わたしが主にお伺いしようとした目的は、自分が加わる べき教会を知るために、すべての教派のうちのどれが正 しいかを知ることであった。そこで、わたしは我に返っ て物を言えるようになるやいなや、わたしの真上で光の 中に立っておられた方々に、すべての教派のうちのどれ が正しいか(当時は、すべての教派が間違っているとい うことなど、わたしの心に思い浮かびもしなかったから である)、また自分はどれに加わるべきかを伺った。
すると、それらのどれにも加わってはならない、すべて 間違っているからである、とのお答えであった。また、 わたしに話しかけられた御方は、彼らの信条はことごと くその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれ らの物たちはすべて腐敗しており、「彼らは唇をもって わたしに近づくが、その心はわたしから遠く離れている。 彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまをする けれども神の力を否定している」と言われた。
その御方は再びわたしに、それらのどれにも加わること を禁じられた。また、ほかにも多くのことをわたしに言 われたが、今はそれを書くことができない。わたしは再 び我に返ると、自分が天を見上げて仰向けに横たわって いるのに気づいた。光が去った後、わたしには力がな かった。しかし、間もなくある程度力を取り戻したので、 家に帰った。そして、暖炉に寄りかかっていると、母が どうしたのかと尋ねた。そこでわたしは、「何でもあり ません。大丈夫です。元気です」と答えた。それから、 わたしは母に、「長老派の教えは真実でないことが自分 で分かりました」と言った。敵対する者が、わたしの生 涯のきわめて早い時期に、わたしが彼の王国を妨げ悩ま す者になると定められていたことに気づいたかのように 思われる。そうでなければ、どうして闇の力がわたしに 敵対して連合したのであろうか。どうしてわたしがまだ 幼いときに、わたしに対して反対と迫害が起こったのか。
わたしはこの示現を受けてから数日後、前に述べた宗教 上の騒ぎの中で盛んに活動をしていたメソジスト派の説 教者の一人とたまたま一緒になった。そして、宗教のこ とについて彼と語るうちに、わたしは、その機会をとら えて、自分の受けた示現の話をした。ところが、わたし は彼の振る舞いにひどく驚いた。彼はわたしの話を軽く あしらっただけでなく、ひどく軽蔑した調子で、それは すべて悪魔から出たものであって、この時代に示現や啓 示のようなものはなく、そのようなものはすべて使徒た ちで終わっており、今後決してそのようなものはない、 と言った。
しかし、それから間もなく、わたしがその話をしたこと が、信仰を告白する人々の間にわたしに対する大きな偏 見を引き起こし、ひどい迫害の原因となったことを、わ たしは知った。そして、迫害は増し続けた。わたしはた かが十四、十五歳の名もない少年であり、生活の状況か らいっても世の人々の中で取るに足りない少年であった にもかかわらず、地位のある人々はわたしに目を留めて、 一般の人々の心をわたしに敵対するようにあおり、激し い迫害を引き起こそうとしたのである。これはすべての 教派に共通したことで、すべてが連合してわたしを迫害 したのであった。
当時、真剣に考えさせられ、またそれ以来しばしば考え させられてきたことであるが、十四歳を少し超えたばか りの名もない少年、それも日々の労働によってわずかな 生活費を得なければならない定めに置かれた少年が、当 時最も評判の良い教派に属する偉い方々の注意を引き、 最も激しい迫害と悪口雑言を浴びせようとする思いを彼 らの心中に起こすほどの重要人物と思われようとは、何 とも不思議なことである。しかし、不思議であろうとな かろうと、それは事実であり、しばしばわたし自身に とってひどい悲しみの種となった。
しかしながら、それでもわたしが示現を見たことは事実 であった。わたしはそれ以来、自分はパウロによく似た 心境であると思ってきた。彼はアグリッパ王の前で弁明 し、自分が示現を受けて光を見、声を聞いたことを話し た。それでもなお、彼を信じた者はほとんどなかった。 ある者たちは彼は不正直だと言い、ほかの者たちは彼は 気が狂っていると言った。そして、彼はあざけられ、の のしられた。しかし、すべてのことも、彼が示現を受け たという事実を損なうことはなかった。彼は示現を見た。 彼はそのことを知っており、天の下のあらゆる迫害も、 この事実を変えることはできなかった。たとえ迫害され て死に至ろうとも、それでも彼は、自分が光を見、自分 に語りかける声を聞いたことを知っていたのであり、最 後の一息まで知っていたことだろう。全世界も、彼にそ うでないと考えさせ、信じさせることはできなかった。
わたしについても同じであった。わたしは実際に光を見 た。その光の中に二人の御方を見た。そして、その方々 が実際にわたしに語りかけられたのである。たとえ示現 を見たと言ったことで憎まれ、迫害されたとしても、そ れは事実であった。そして、そのように言ったことで、 人々がわたしを迫害し、わたしをののしり、わたしに対 して不当であらゆる悪口を浴びせているとき、わたしは このように心の中で言うようになった。「真実を告げた ことで、なぜわたしを迫害するのか。わたしは実際に示 現を見た。どうしてわたしは神に逆らえようか。なぜ世 の人々はわたしが実際に見たものを否定させようとする のか。」わたしは示現を見た。わたしはそれを知ってい た。神がそれを御存じであるのを、わたしは知っていた。 わたしはそれを否定できず、またそうする勇気もなかっ た。少なくともわたしは、そのようにすれば自分が神に 対して罪を犯し、罪の宣告を受けるということを知って いた。
教派社会に関するかぎり、わたしは今や心に満足を得て いた。すなわち、それらのどれにも加わる義務はなく、 次の指示があるまでそのままでいればよかったのである。 わたしはヤコブの証が真実であることを知った。すなわ ち、知恵に不足している者は神に願い求めることができ、 そうすればとがめを受けることなく知恵を得られる、と。
