救いの計画

出典: MormonWiki

幸福の計画、慈悲の計画、贖いの計画としても知られる救いの計画は、末日聖徒の教義の基本的教えです。救いの計画は、その計画に頼って経験していく人類すべての人々の生き方を示した、完全なイエス・キリストの福音を指しています。主のみ言葉によると救いの計画の目的は、「人の不死不滅永遠の命をもたらすこと」です(モーセ1:39)。この計画には、神が与えられた戒め、儀式、教義に加えて、 創造、(アダムとエバの)堕落イエス・キリストの贖罪といった出来事も含まれています。この人生の後に出来事には、復活と審判もこの計画に含まれています。

末日聖徒は、「イエス・キリストの贖罪を通して、全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救いを得ることができます。」(信仰箇条第三条を参照。)この計画によって、人類は栄光化された永遠の存在として神と共に住むために、その御許に帰ることができるようになります。しかし、キリストが私達それぞれに求めておられる条件は、自分だけの功徳や働きだけで救いを達成するのではないということを知らなければなりません。なぜなら人類の救いは、キリストの功徳と憐れみと恵みによってのみ可能となるからです(ニーファイ第二書2:8参照)。

イエス・キリストのゲッセマネの園と十字架上での犠牲とそれに続く復活のおかげで、あるいは霊的なからの救いには条件が伴いますが、 不死不滅の賜物はすべての人々に差別なく与えられます。(コリント人への第一の手紙15:22参照)。 神権の権能によって執行されたバプテスマにより、イエス・キリストを救い主として受け入れ、教会の教義に従い、正義に適った生活をする人のみが、天の王国の最高段階、即ち「日の栄えの王国」へ入ることができます。換言すると、信仰だけ、しかも行いのない信仰のみ(つまり死んでいる信仰)では、昇栄を達成するには十分ではないと考えられています(ヤコブへの手紙2:26「霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。」)。

昇栄とは、忠実に耐え忍び、イエス・キリストを信仰し、自分の罪を悔い改める義しい人々に与えられる賜物であると末日聖徒は信じています。この世を既に去った人々も含めて、死後の世界で福音を聞く機会を得て昇栄の賜物を得ることができます(死者のためのバプテスマを参照)昇栄を得る過程を通して、人は遂にはイエス・キリストのようになることができるのです。つまりローマ人への手紙8:17で述べられているように、「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。」ということを教えているのです。

この教義とその他教会の教えについて、詳しい情報は末日聖徒イエス・キリスト教会公式ウェブサイト“ようこそ”[1]、または教会公式日本語サイト[2]をお訪ねください。

目次

救いの計画の段階

:わたしたちはこの地上に生まれる前に、父なる神と住んでいました。わたしたちは神の子供です。前世で私達は学び、個人的関係を築き、才能を伸ばしてきました。しかしそこでは成長に限りがあったので、天父は私達がさらに成長して神のようになれる道を備えられました。

:末日聖徒の教義では、救いの計画にはこれを遂行するために必要な段階があったことを教えています。つまり私達が神の子供として成長を遂げ、神のようになるためには死すべき人生の経験が必要であるため、人類をもたらした堕落は、実は建設的な一過程であると教えています。

  • 誕生

:天父の計画に従うことを選択した人々は、過去、現在、将来を通じてこの地上に誕生する機会を得ます。誕生は、神の子供達が成長するために肉体を得る方法で、救いの計画では重要な段階です。

:地上で私達が生きる期間は、喩えてみれば試験を受けるようなものです。人生を通してどのようにすれば神に信仰を持って、その戒めに従うことができるかを学ぶ必要があるのです。またどのようにして家族の一員として生活するか、そして家族を導くかその方法も学びます。

:誕生と同じく、死は新しい生活への入り口です。死を通して私達は再び霊界に入ります。

:霊界では二つの状態があります。一つは霊の獄と聖典で呼ばれている状態で、生前キリストの福音を聞く機会の無かった人々や、人生でその機会があっても福音を拒絶した人々の状態を指しています。もう一つは霊のパラダイスと呼ばれる状態です。霊の獄にいる人々は福音を学び、それを受け入れる機会があります。

霊の獄(ひとや)」という用語には、地上の生活で言う「監獄」というような言外の意味はありません。その正しい意味は、つまり霊の獄の状態にいる人々の霊が、キリストの福音の誓約を受けるまでは、光と知識を増し加え進歩成長し、永遠に向う準備ができていない状態にあるということです。この世に生きている間に、自分の持っている光と知識によって善い行いをし、大きな罪を犯すことのなかった人々の霊は、わずらいや悲しみから解き放たれて安息を得ますが、それでも進歩成長を続ける必要があるために霊の獄と呼ばれますが、前進を可能にする良き場所である訳です。一方、邪悪な人々の霊は、霊の獄で自分の行った悪行を悔いて苦しみますが、イエス・キリストによる悔い改め赦し救いの計画を聞く機会がまだあります。

:復活とは肉体と霊とが再び結合することです。この地上に住んだ事のある人々すべては復活します。

:キリストの再降臨と福千年を迎えた後、大いなる裁きが始まります。この審判の間、すべての人々はこの世での各々の行いに応じて裁かれます。そしてそれぞれの人が、その行いに基づいて大別して四つの場所の一つに行きます。つまり、最高の段階の日の栄えの王国、次に月の栄えの王国、そして、星の栄えの王国、最後に外の暗闇(いわゆる地獄に等しい状態で、ほんのわずかな人だけがそこに送られる。)

日、月、星の栄えの王国

信仰ある教会員にとって、栄光の王国の教義は、新約聖書のキリストの言葉と完全に一致しています。「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。」(ヨハネによる福音書14:2、教義と聖約98:18参照)。

日の栄えの王国は(この王国に住む者の栄光は、空の太陽の輝きに比較され、すべての真理と光を備えているために栄光に満ちている)、義人がその家族と神と共に住む場所です。バプテスマを受け、さらに神殿で永遠の結婚の儀式を受けた人々は、神がふさわしいとお認めになれば、昇栄することができます。自分の行いに責任の取れる個人が日の栄えの王国に入るためには、悔い改めて、バプテスマを受けなければなりません。モルモニズムでは、自分の行動に責任を負える年齢に達する前に死んだすべての子供達は、日の栄えの王国に入ることができると教えています。

イエス・キリストに従うことには雄々しくなかったけれども善良であった人々、或いは福音を受け入れなかった人々は、昇栄する資格を得ることはできず、月の栄えの王国に送られます(この栄えの王国は空の月の輝きに比較されます)。この王国は、偉大な王国の中の一つですが、父なる神の御許に入ることはできません。この王国に入るためには、「肉につける戒めの律法」(ヘブル人への手紙7:16、教義と聖約84:27参照)を自ら進んで遵守しなければなりません。(十戒は、この王国に入るための必須条件と考えられています。)

人殺しやその他の犯罪を犯し、イエス・キリストの贖罪を受け入れないような同類人々は、月の栄えの王国で永遠に過ごさなければならず、その人々の持つ栄光は夜空の星の輝きのような低い栄光になります。しかしこの王国もまた栄光の王国と見なされており、現在のこの世の生活よりも好ましい状態だと言われています。この王国よりも高い王国に入ることを認められないすべての人々は、極くわずかの人々だけが犯し得る罪と考えられている聖霊を拒む罪を犯さない限り、自動的にこの王国に入ります。しかし、この王国を受け継ぐ人々は、自分の犯した罪の為に、ある期間苦しみを受けなければならず、この人生で犯した不従順の罰を払わなければなりません。

「聖霊を拒む罪」を犯す極くわずかの人々とは、福音の完全な知識を得た後、故意に知りながら聖霊を否定し、聖霊に対して争う人々のことです。この場所を外の暗闇と呼ばれています。これを因習的なキリスト教の定義づけと混乱させてはなりません。この外の暗闇へ追放された人々は、滅びの子と呼ばれます。これらの人々には復活しても、赦しは不可能です。

最後まで耐え忍ぶ

末日聖徒は、人生は最後まで耐え忍ぶことが必要だと信じており、神に信仰を持ち、戒めに従うことは人生で「一回限り」で終わる宗教的経験ではないと考えています。キリストの教えに従う弟子としての人生は、毎日霊的な力を保ち、慈愛に富んだ行いをし、社会的、知的、感情的、霊的に個人を高めていくことです。また、個人の試練を克服し、教会の活動や行事に出席し、神殿に参入し、家族を養い育て、死者のために必要な儀式を執り行うことも必要です。結局は、人生の目的は聖められることであり、人生は神が持っておられると同じ完全な愛と慈悲といった属性と完全な真理を持つようになる経過です。

外部のリンク

  • 人生の目的[3]