堕落

提供: MormonWiki

Fall of Adam and Eve Mormon
末日聖徒は、アダムの堕落は神の子供たちのための主の計画の一部であったと信じています

アダムの堕落に関するモルモンの教義

末日聖徒は、人生の目的を達成するためにアダムの堕落は、地球の歴史上必須な出来事であったと信じています。天父アダムとエバをエデンの園に置かれたとき、神は「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。」という戒めを二人に与えられました。また善悪を知る木の実を食べてはいけないことも戒められました。しかし、その木の実を取って食べることを選びたいならば、それを選択できる自由意志も神は彼らに与えられました。神は善悪を知る木の実を食べるなら、二人は「死ぬ」ことになるであろうと言われました。

という言葉は、極めて過酷な罰のように聞こえます。確かにほとんどのキリスト教会が、禁断の木の実を食べることは罪深い行いだったと信じています。この為、アダムとエバとそのすべての子孫の私達は、過酷な罰を受けるに値する存在だとも信じています。このような考えに対してモルモニズムでは、エバはエデンの園にいた時点よりもさらに地球の目的についての知識と理解を得たいと望んだので、(善悪を知るためには木の実を食べても死なないという)ルシフェルの虚言に騙されて木の実を食べたと教えています。つまり、エバは楽園に永遠に住んでいるよりも、人生には遥かに深い然るべき存在理由があるに違いないと信じ、自由意志に伴う危険を自ら進んで受け入れ、その戒めに従わないことを選んだのです。

一方、アダムは、ルシフェルの欺きによってではなく、エバと一緒にいて子供達をもうけるように戒められた(「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」)最初の戒めを認識していた為、木の実を食べることを選択しました。エバが「禁断の木の実」を食べたと知った時、アダムはエバと一緒にいてこの地上にふえる(子供を殖やす)という目的を全うし、天父の計画を遂行することを可能にするには、彼もまた禁断の木の実を食べなければならないことを理解していたのです。

モルモンは、モルモン書に書かれた教えを通して、アダムとエバは子供をもうけるために彼らの肉体への変化が必要だったことを信じています(ニーファイ第二書2:212-22参照)。この変化は、彼らの体が死に従属するようになって後に初めて起こりました。アダムの堕落は、 救いの計画の必須の段階として、この世に死という結果をもたらしました。

アダムとエバがエデンの園から追放された直後、彼らはイエス・キリストの贖いとイエス・キリストの死と復活を通してもたらされたすべての人類の復活について教えられました。こうして彼らは、禁断の木の実を食べることは、子供をもうけることを可能にさせ、神の御前から離れて住んでいる間、信仰を試され死ぬべき人間として進歩成長が可能になったことが分かりました。そしてその選択が私達すべての人類にとって良い選択であったことを理解しました。

末日聖徒は、天父が個人の自由意志(自由に選択する権利)を使うことを極めて強く支持しておられたので、アダムとエバが一見矛盾しているように見える戒めによって、自ら選択できる機会を与えられたのです。その理由は、神はアダムとエバがエデンの園で善悪を知らず永遠に留まっているよりも、むしろ経験を通して善悪を学びながら成長し、この地上で結局死に至っても進歩できる計画を受け入れるかどうかを選ぶように願っておられたからです。

末日聖徒は、禁断の木の実を食べることが、「背き」であり、「罪」ではないと論じます。それは決して罪深い行いではなく、エバにとっても、アダムにとっても自ら責任を持って行った人生の目的を達するための勇気ある必須の行動であったのです。この出来事から数世紀後に、モーセは記録の中で、アダムとエバが禁断の木の実を食べた後で、「わたしたちの背きがなかったならば、わたしたちは決して子孫を持つことはなく、また善悪も、贖いの喜びも、神がすべての従順な者に与えてくださる永遠の命も、決して知ることはなかったでしょう。」(モーセ書5:10-11参照)と救いの計画を理解し始め、アダムとエバがこれを喜んでいるという示現を見たことを述べています。

モルモン書の預言者リーハイは、その子供達に「アダムが堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである。」と教えました(ニーファイ第二書2:25参照)。完全な喜びは、イエス・キリストによって備えられ教えられた道に従うことであり、すべての人々がこの喜びを得ることができます。救い主は「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」と教えられました(ヨハネによる福音書10:10参照)。