前世

提供: MormonWiki

ほとんどのキリスト教徒と同じように、末日聖徒も死後の世界を信じていますが、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、前世も信じています。この独特な教義は、私達が何者であり、この世の目的が何であるのかを理解する助けとなります。

末日聖徒の教義は、人間個人個人は常に存在していたと教えています。つまり、この世に生まれる前に、私達は天の両親の霊の子供として存在していました。モルモニズムでは、この時期を「第一の位」と呼んでおり(ユダの手紙1:6を参照)、この間、すべての人々が父なる神を自ら知り、礼拝していたのです( 神会を参照)。地上での生活は、時に「第二の位」と呼ばれています。前世にいる間、私達は理解と知恵を増していきました。霊として生まれる前に、一人一人の個人は、「英知」として存在しており、神に選ばれ、神から霊の体を授かりました。ここで使われる「英知」という用語について、末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典の中のアブラハム書3:22に次のように書かれています。:

「さて、主はわたしアブラハムに、世界が存在する前に組織された英知たちを見せてくださった。」(アブラハム書3:22)

これと同時に天父は、天上の大会議[1]を招集され、そこにすべての神の霊の子供達が出席し、救いの計画が発表されました。この計画では、私達に肉体が与えられ、この肉体をどれほど良く扱うことができるかを証明する死ぬべき人生での時間が与えられました。またこの計画は、経験を通して知恵を得る機会も与えています。もし私達がこのこの世で義しく生活できれば、完全な愛と正義と憐れみを持っておられる御父のようになることができるのです。アブラハム書によると、イエス・キリストは神の霊の子供達の指導者でした。イエスは御父のような方でした。イエスの言葉が次のように記録されています。:

「そして、彼らの中に神のような者が一人立ち、ともにいた者たちに言った。“あそこに空間があるので、わたしたちは降って行こう。そして、これらの材料を取って、これらの者が住む地を造ろう。そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、なんであろうと、主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。第一の位を守る者は付け加えられるであろう。また、第一の位を守らない者は、第一の位を守る者と同じ王国で栄光を受けることはない。さらに、第二の位を守る者は、とこしえに栄光をその頭に付け加えられるであろう。”」(アブラハム書3:24-26)

この計画が示された時、天父はまた私達に、私達は誘惑を受けるであろう、そして人生は危険と苦痛があり、ある者は昇栄に至ること(天の両親と再び共に住むこと)ができないであろう、と言われました。私達が人間として回避できない罪の為、悔い改めをすることができるように贖い主が必要でした。そこで、神の霊の子供達の一人であるルシフェルは、自分が贖い主になろうと言いました。そして彼はすべての神の子供達を救うと約束し、その代わりに神の誉れと栄光を要求したのです。ところが、彼が贖い主として選ばれなかった為、怒って神とキリストに対して戦いを宣言しました。こうして霊の子供達の三分の一はルシフェル側につきました。すでにエホバとして知られていたイエスが救い主になることが、天父によって選ばれていたのでした。イエスは人類の為に予任された犠牲となりました。

結果、末日聖徒が「天上の戦い」と呼んでいる戦いが起こり、ルシフェルと彼に従う者達は、天から落とされました。その後、ルシフェルは、悪魔となりました。その結果、ルシフェルと彼に従った者達は、肉体を持つことを赦されませんでした。この事から、末日聖徒はすべてこの地上に生まれる人々は天父の計画に従うことを選択した者達であると理解しています。

この地上の生活に影響を及ぼした前世での他の出来事があります。これについてジョセフ・スミスは、人類に貢献したすべての預言者、使徒、その他の指導者達はこの世に来る前にその地位に就くよう予任されていたという予任の教義を教えました。つまり、アブラハム書3:22で述べられている「高潔で偉大な者たち」である霊の子供達は、この地上で特別な使命の為に選ばれた者たちだということです。末日聖徒の教義によると、イスラエルの全家まさには、彼らの霊的な事柄に対する敏感な感受性の為、前世に於いて他とはまったく異なった性質を持ったグループだったと教えています。つまり彼らはイスラエルの家、そしてアブラハムの聖約を受け継ぐ者として、福音を宣言することによってこの地上を祝福するために来るよう予任された者たちなのです。誕生の時、私達一人一人は信仰と聖霊に対する感受性によって判断できるよう、前世の事柄を完全に思い出すことができないように私達の記憶に忘却の幕が掛けられました。

教義と聖約高価な真珠が前世について最も明確な教えを提供していますが、他の聖典にもこの教えを暗示しているものがあります。ヨブ記38:7は、世界が創造された時、神の子らが喜びの声を上げている様を記録しています。エレミア書1:5では、エレミヤが生まれる前に預言者として選ばれたことに触れています。さらにヨハネ9:1-3にある生まれつき盲人の男について、イエスの弟子達が誰かが罪を犯した罰として、その男が盲目で生まれたのかどうかとイエスに尋ねていることは、弟子達が前世について信じていたことを暗示しています。さらにユダの手紙1:6では、第一の位について述べていますが、これは第二の位があることが前提となっていることを暗示しています。しかし、末日聖徒は、前世の教義についてこれらの聖句のみに依存しているのではなく、生ける預言者からの現代の啓示に根拠を見出しているのです。