人生の目的

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この世の人生を進んで行くとき、一度や二度は、誰もが「自分の人生の目的はなんだろうか?」と問いかけたことがあります。この疑問は、三つに分けることができます。すなわち、私はどこから来たのか?なぜここに居るのか?そして、死後どこへ行くのか?これらの疑問は、この地上での人生を営む間、人間誰しもが時折、尋ねる質問です。多くの場合、これらの疑問は、家族が病や死が見舞われた時に、頭をもたげます。私たちは、いつ死んでこの世を離れるのか、自分が分かっている以上のことがあるのかを知りたいと望みます。またこの人生の目的は、一体何なのか?それについて、何を知るべきなのか?そして、生き甲斐のある人生を送るには何をすべきなのか?といったことを知りたいと願います。

これらの疑問へのすべての答えは、私たち一人一人の心の奥底にあります。私たちは、愛深い天の御父の子供たちですから、神は私たちを愛しておられ、荒野をただ一人でさまようことを許しては置かれません。この世の肉親と同じように、天の父母も私たちの最善を願っておられます。私たちはこの世に来るずっと前に、天の父母と住んでいました。そして、私たちは膝元で教えられ、この時代にある目的のために送られてきました。


私たちには、生まれたときからキリストの光が備わっているので、一人一人が祈って、知りたいと望んでいることの答えを求めることができます。主は私たちを行き詰ったままにはしておかれません。主は、私たちを悩ましているあらゆる疑問に答えるために、傍におられます。これらの答えは、胸の底が熱くなったり、家族や友人から答えが来たり、時には全く知らない人から答えを受けることさえあります。私たちの責任は、主が私たちに与えようとしておられる答えに心と頭を開いて、真剣に耳を傾けることです。

私たちの天の御父は、私たちが従うための計画を備えてくださいました。神はその計画をお作りになった方です。この計画は、人が進歩し、最終的には救いと昇栄を受けるように計画されています。

天父は、私たちの霊の御父です。私たちは、文字通り神の子供であり、この世に生まれる前に神と一緒に住んでいました。しかしながら、この世で死すべき肉体に宿って、生きる経験をしなければ、私たちは神と同じようでなく、また神のようになることもできず、神が浴しておられるすべての祝福を受けることはできません。

私たちは、いろんな人々や教会からのさまざまなメッセージを浴びせかけられています。では、どのようにして何が真実で、何がそうでないかを見分けられるのでしょうか?使徒パウロは、何世紀もの昔にこのことを次のように予かじめ告げていました。

「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」(2 テモテ 4:3-4)


何も混乱する必要はありません。この世の人生の目的に関する疑問の答えは、聖典の中に与えられています。

アブラハム書3:26には、私たちは、この世に生まれる前、すなわち第一の位と呼ばれる段階にいる時に、救いの計画について学んだと書かれています。

「第一の位を守る者は付け加えられるであろう。また、第一の位を守らない者は、第一の位を守る者と同じ王国で栄光を受けることはない。さらに、第二の位を守る者は、とこしえに栄光をその頭に付け加えられるであろう。」

私たちは天の御父と一緒に、霊の子供として住んでいました。そしてこの世の体に私たちの霊が宿る機会のために、幾つかの進歩の段階に向かって備えました。私たちは、御父が、この世の人生の目的を説明するために天で会議を開かれたことを知りました。そこで一人一人は、救いの計画を受け入れるか、拒絶する機会がありました。私たち個々が選択の自由を持っていたのです!この計画では、神の助けを受けて、地上で自分たちの救いを得る為に努力する機会が与えられていました。

イエス・キリストサタンのそれぞれは、私たちが天父のみ前に帰る助けとなる計画を持っていました。サタンの計画は、すべての子供たちが神の御前に帰ることを強制するものでしたが、キリストの計画では、子供たちに計画に従う方法を教え、それぞれが自分の選択の自由を使って選ぶ機会を与えました。そしてキリストが、計画の指導者として選ばれました。キリストは、計画にどのように従うかを教え、私たちを罪と死から贖うお方となられました。

「しかし見よ、初めからわたしが愛し選んだ者であるわたしの愛する子は、わたしに、『父よ、あなたの御心が行われ、栄光はとこしえにあなたのものでありますように』と言った。」(モーセ4:2)

私たちは救い主の計画を選んだので、この地上に第二の位を得て存在しています。私たちが計画を受け入れ、その条件を受け入れたとき、私たちはこの地上に来る権利を得たのです。

私たちは、この地上で二つの人生の目的を与えられました。すなわち肉体を得ることと、肉体を持つことで他の方法では得られない経験を得ることです。私たち一人一人が、主が私たちに命じられたすべての事柄を行うかどうかを試す経験をしています。これらの戒めはイエス・キリストの福音の原則と儀式に集約されています。

あらゆる原則と儀式は、私たちが天の御父の御前に戻り、神のようになる準備をする助けを与えています。

救い主イエス・キリストのお陰で、すべてこれらのことが可能になりました。'イエス・キリストは、天父の計画の中心です。キリストこそが、全人類を罪から解放してくださるお方です。イエス・キリストは、私たちの救い主、贖い主としてこの地上に来られました。言い換えると、アダムとエバの背きを克服するために、天父はその御子イエス・キリストを送ってくださいました。キリストは、ご自分の命を投げ打って、私たちが肉体の死を克服できるようにしてくださいました。イエス・キリストが十字架上で死なれたとき、彼の霊は、その肉体から離れました。そして三日目に、彼の霊は肉体と永遠に結合し、再び離れることは決してありません。' 1

私たちのこの地上での人生には限りがあります。私たちそれぞれは死に、霊が肉体から離れる時が来ます。しかし、イエス・キリストの復活のお陰で、善人であろうが悪人であろうが、私たちすべては復活します。死は終わりではなく、私たち一人一人が通り過ぎなければならない扉に過ぎません。復活を通して、私たちの肉体と霊が再び結合します。その時、私たちは、痛みや死を二度と味わうことの無い完全で、不死不滅の骨肉の体を得ます。次の世の生活で私たちが得る栄光は、この世の生涯での私たちの選択に左右されています。贖いと私たちのイエス・キリストの福音への従順さを通してのみ、私たちは再び天父とイエス・キリストと共に住むことができるようになります。

救い主の復活の後、使徒たちは出て行ってこのメッセージを人々に述べ伝えました。キリスト教が多くの地に広がり始めました。しかし、時が経つにつれ、教会は大背教に陥り、神権の継承が途絶えました。霊的な儀式を行うために神のみ名によって行う権能が、地上に存在しなくなりました。


現代の預言者ゴードン・B・ヒンクレーは、次のように述べました。

「その長い暗黒の時代を経て、やっとのことでろうそくに火がともされました。ルネサンス時代の到来とともに学問,芸術,そして科学の時代が花開くのです。さらには大胆で勇敢な男女による運動が起こりました。彼らは,天を仰ぎ見,神と神の御子を認めようとしました。それがいわゆる宗教改革です。そしてさらに幾世代もの人々がこの地上に生を受けました。その多くは争い,憎悪,暗黒,そして悪の中で生涯を送りました。しかしついに,回復というあの偉大な更新の時代が訪れました。御父と御子が少年ジョセフに御姿を現され,栄光に満ちた福音の時代の幕が切って落とされたのです。こうして世界は,時満ちる神権時代の夜明けを迎えました。過去のすべての神権時代に存在したすべての善なるもの,美しいもの,神聖なものが,この最も注目すべき時代に回復されました。」(「明るい夜明けだ」、リアホナ誌2004年5月号、82-83)

ジョセフ・スミスに与えられた最初の示現に続いて、神聖な記録であるモルモン書が、預言者ジョセフにもたらされました。この書物は、この地上の人々に新しい証、主イエス・キリストとその使命の第二の証人となりました。

モルモン書に書かれている預言者アミュレクは、次のように証しています。

「さて、わたしの同胞よ、あなたがたはすでに多くの証拠を得ており、聖文がこれらのことを立証しているのも知っているので、進み出て悔い改めの実を結んでもらいたい。まことに、進み出て、もはや心をかたくなにしないでほしい。見よ、今があなたかたの救いの時であり、救いの日である。したがって、あなたがたが悔い改めて心をかたくなにしなければ、偉大な贖いの計画はすぐにあなたかたに効果を及ぼすであろう。見よ、現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに、現世の生涯は、人が各自の務めを果たす時期である。」(アルマ34:30-32)

御父は、彼の一人一人の子供たちを愛しておられます。彼の愛と計画から除外されている人は一人もいません。神は、その子供たち一人一人が彼のところに帰ってくることを望んでおられます。

1 "The Plan of Salvation", Perry, Nov 2006, pg 69-72

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