一夫多妻制

出典: MormonWiki


目次

はじめに

モルモン、すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会の会員たちは、今日一夫多妻結婚を実施していません。ですから今日これを実行している者は教会員ではなく、原理主義者またはその他の宗教に属している人々であり、「モルモン教会の一夫多妻制」という言葉は正しくありません。末日聖徒イエス・キリスト教会の第15代大管長ゴードン・B・ヒンクレーは、1998年10月に開かれた教会の総大会で、一夫多妻について、次のように述べました:

わたしは、この教会はいかなる意味でも多妻結婚を実行している人々とは関係がないことを、断言しておきたいと思います。そのような事をしている人々は、この教会の会員ではありません。その大部分の人々は教会員であったこともありません。彼らは法律に違反しています。彼らは、自分でも法律に違反していることを知っています。彼らは、法律に従って罰を受けるはずです。もちろん、この教会はその点に関して、いかなる意味でも、法を執行する権限は保持していません。
もしわたしたちの教会員の中に多妻結婚を実行している者が見つかった場合、その人は教会で課すことのできる刑罰の中でも最も重い罰である破門の処分を受けることになります。そのような事を実行している人々は、法律に直接背いているだけでなく、この教会の律法にも違反しています。わたしたちの信仰箇条の一つにより、わたしたちは拘束のもとにあります。そこにはこう述べられています。 「わたしたちは、王、大統領、統治者、長官に従うべきこと、法律を守り、尊び、支えるべきことを信じる。」(信仰箇条 1:12) 人は法律を守りつつ、同時にそれを破るなどとゆうようなことはできないのです。
「モルモン原理主義者」のようなものは存在しません。「モルモン」と「原理主義者」を一続きの語として使うこと自体、大きな矛盾なのです。

「宣言」のその後

モルモン教原理主義者と自らを称し、一夫多妻制を実施している宗教団体は、末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教会)とは何の関係もありません。彼らのほとんどは一度もモルモン教会の会員であったことはなく、その行為は法律で禁じられているものです。これらのグループは隔離された社会にこもり、新しい改宗者を得ることは殆どありません。そのために近親者との結婚が頻繁に行われ、数多くの出生異常が発生しています。[1] これらのグループでは男子全員が一夫多妻結婚をすることが求められるために多くの問題が起り、結婚できない未婚男子が出てくる結果になります。このような男子はたいていグループから追放されて、家族からも追われてしまうのです。このような隔離された社会においては、19世紀のモルモン社会では存在しなかった強制結婚のような、虐待が起こります。こららのグループが行っている一夫多妻制は、1世紀以上も前に末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が実施していた一夫多妻制とは全く異なっています。当時の制度では、男子全員が一夫多妻制を実施するように求められることは全くなく、世間から隔離された秘密主義の社会に引きこもることもありませんでした。19世紀のモルモン教会では、少女を強制的に結婚させたり、多妻結婚をしない人々を追放するようなことは行われていませんでした。今ニュースの話題になっている一夫多妻宗派と19世紀のモルモンの一夫多妻制とを混同してはなりません。

[[末日聖徒|モルモン]が多妻結婚、または「原則」と呼んでいる一夫多妻制は、かつて歴史上重要な時期に、特定な目的のために主が命じられた制度でした。しかし1890年、神からの啓示によってこの律法は廃止されました。広く一般に使われている「polygamy(ポリガミー、すなわち複婚)」という言葉は誤った名称であって、教会がかつて実施していたのは正しく言えば「polygyny(ポリジニー)」、つまり一人の男性が複数の女性と結ぶ結婚関係でした。これによって、19世紀後半には、モルモンは合衆国政府から激しい迫害と弾圧を受けました。一夫多妻制を放棄することがユタが州に昇格する条件となりました。モルモンの一夫多妻制についての議論には、多くの誤解、思い違い、半端な真実、真っ赤なうそが交錯していました。そして未だに教会とその教えを攻撃しようとする反モルモンや元モルモンは、同じ考えを抱いています。この記事はモルモンの一夫多妻制の歴史と一夫多妻制についてのモルモン教会の公式な教えを明らかにしようと試みるものです。

主が命じられる結婚

歴史が記録されるようになって以来、神は時折、その民に一夫多妻制を実施するように命じられてきました。しかし主が一夫多妻制を命じられるときには、主の義になった子供たちを育てるのが目的だったのです。これはジョセフ・スミスとブリガム・ヤングが教えたことに全く一致するものです:

  • [...] 私は、主が命じられない限り、いかなる男性も一度に一人の妻しか持ってはならないと話してきました。(「預言者ジョセフ・スミスの教え」、324)
  • 神は決して、族長制度の結婚を肉欲を満足させるという意味で導入されたのでもなければ、女性が行ったことを罰する為でもありません。しかし、神は王国の神権者、特異な民を神のみ名のために起こすという特定の目的の為にこの制度を取り入れられたのです。(ブリガム・ヤング、「Journal of Discourses(説教集)」3:264)
  • 神がジョセフに与えられたこの啓示は、神の王国に生まれる為にとって置かれた霊が幕屋の組織(即ち肉体)に宿る手段を与えるという特定の目的のためであり、彼らが神の王国以外で幕屋を得なくてもよいようにするためだ。(ブリガム・ヤング「説教集」(Journal of Discourses) 第3巻265)

ジョセフ・スミスと一夫多妻制

この時期の関係記事に関してはモルモンの歴史 も参照

1831年、教会創立の1年後、ジョセフ・スミスは聖書の翻訳を手掛けていました。聖句を読んでいるときにいくつかの疑問が生じ、主に答えを求めました。ジョセフ・スミスに与えられた啓示 によると(これは1843年7月12日まで記録されていなかったのですが)、ジョセフはなぜアブラハム、イサク、ヤコブなどの古代の予言者に複数の妻を持つことを許されたのかを、主に尋ね求めました。啓示には、神のみが人に複婚を実施することを命じることができること、そしてその時には予言者を任命して管理するようにされると明言されています。

ジョセフ・スミスはこの新しい原則を教えることをためらい、何年もの間、自分に一番近い人々にさえも話すことをしませんでした。後になってロレンゾ・スノーブリガム・ヤングは、ジョセフ・スミス自身、主の御使いが現れて一夫多妻を実行し、これを教えるようにと命じられるまで、この考えを受け入れることはどうしてもできなかったと述べています。この出来事は1839年、モルモンたちがイリノイ州ノーブーへと追われた後に起りました。ブリガム・ヤングは一夫多妻について知ったとき、次のように言いました:

兄弟たちの何人かは、ジョセフがこの教義を明らかにしたときの私の気持ちをご存知です。私はいかなる責任も避けようと思ったことはなかったし、命じられたことをいささかでも怠ったことはありませんでした。しかしそのときは自分の生涯で初めて死にたいと思いましたし、長い間そのなげきから抜け出すことことができませんでした。ある葬儀を見たときは、その亡くなった人をうらやまししく思い、自分がその棺の中にいないことを嘆きました。そしてあの日から今まで、必要以上に死ぬことを望むことのないように自らを吟味し、自分の信仰に注意を払い、じっくりめい想しなければなりませんでした。(ブリガム・ヤング「説教集」3:266)

女性は男性よりも霊的に敏感な傾向があるために、殆どの宗教や宗教運動には男性よりも女性の支持者が多いものです。同様に、教会の初期においても、女性の改宗者の方が男性よりも多かったのです。多妻結婚によって、複数の妻を扶養できる教会の指導者が、さらに努力してこの重荷を引き受けることで、これらの女性に経済的な支援を与えることができたのです。

ノーブー時代

ジョセフ・スミスはノーブーで、最も親しい、信頼できる人々にだけ一夫多妻制を説き始めました。[ジョセフ・スミスの殉教|ジョセフ・スミスの殉教]]が起こるまでに、100人近い人々が教えを受けました。数人が1846年の西部への移住の前に一夫多妻制を実施し始めましたが、モルモンがユタに定着するまでは中断されていました。 [2]

この中で、この状況を悪用する人々が出てきました。ジョセフ・スミスの友人であり、ノーブー市長でもあったジョン・C・ベネットは、自分の色欲を満たすためにこの教えを曲解しました。彼は独身女性また既婚女性に、ジョセフ・スミスが「霊の妻」ということを教えているので、誰でも好きな女性と一緒にベッドに入る許可を得ていると虚言しました。ベネットはやがて逮捕され、ジョセフ・スミスは一度も「霊の妻」などということを教えていないと白状しました。これは事実上の不倫であったために、彼は間もなく破門されました。ベネットはノーブーを離れ、ジョセフ・スミスに対して卑劣な攻撃を始めました。もう一人の親しい会員であったウイリアム・ローは一夫多妻制をやめるようにジョセフ・スミスに嘆願しました。ジョセフがそれを聞き入れないのを知ると、ローと数人の不満分子はNauvoo Expositor(ノーブー・エクスポジター紙を発行し、ジョセフ・スミスは不倫と姦淫を教えているとして、絞首刑に処するように求めました。ノーブー市議会はこれは公的不法妨害だとして、印刷機を破壊してしまいました。その結果暴動が起こり、ジョセフ・スミスは拘束され、カーセッジの監獄に投獄されました。そして1844年、ジョセフ・スミスは殺害されてしまいました。

ユタでの一夫多妻制

この時代のさらに詳しい記事についてはモルモンの歴史 を参照してください。

一夫多妻制の公表

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の会員たちは、1846年にイリノイ州から追われました。その後、ユタに定着してから、ブリガム・ヤング十二使徒定員会のオーソン・プラットに命じて、一夫多妻制の実施を公表しました。それは1852年8月 29日でした。 その時の話、またその後行われた話の中で、ブリガム・ヤングは一夫多妻制に対する教会の解釈と弁明を説きました。つまり第一に、神がお命じになったこと、第二に、神が一夫多妻制をお命じになられた理由は、モルモンが義なる子らを育てることができるようにというのでした。最後に、誰が一夫多妻制を実施するかを決める権限は、神が預言者に与えられたと述べました。その証拠として、ヤングは予言者ナタンとダビデ王の話をしました。ナタンは神のいましめによってダビデに妻たちを与えたと説明しています。 (See サムエル記下12:1-9)

一夫多妻制はユタにおいて、1890年まで続きました。そしてこの年、多妻結婚を禁じる主の啓示が与えられました。ユタで隔絶されていたために、最初のうちは、モルモン教会は何の妨害もなく一夫多妻制を公に実施していました。1850年代になって、新しく結成された共和党はその政治方針の一環として、一夫多妻制の撤廃を掲げました。南北戦争と奴隷廃止に人々の注意が注がれていたために、一夫多妻の問題はユタ戦争を正当化する理由であったにもかかわらず、最初は殆ど何も起りませんでした。ブキャナン大統領は1857年、存在もしない反逆を鎮圧するという名目で5000人の兵隊をユタへ派遣しました。

反一夫多妻法の制定と捜査

1862年に始って、連邦議会は一夫多妻制を禁止するために、一連の厳しい法律を可決しました。 まず1862年7月1日に可決したモリル反重婚令によって、一夫多妻制は違法とされました。記録が不十分であったことから、重婚を証明するのは大変困難なことで、ブリガム・ヤングのようなモルモンの指導者が逮捕されてはいたものの、大抵は放免されていたのです。ヤングの秘書であり英国からの移民であったジョージ・レイノルズは逮捕され、裁判にかけられました。彼は合衆国最高裁判所へ上告し、一夫多妻制は宗教の自由を保障するアメリカの権利章典で保護されていると主張しました。この条項は信条のみを保護するものであって、連邦議会は「社会義務に違反する慣習または良い秩序を乱す」ような行為を阻止するための法案を可決することができる、というのがレイノルズ 対 合衆国に対する裁判所の判決でした。(98 U.S. 164) これによってレイノルズは5年の実刑判決を受けました。

有名な探検家であり東洋学者のリチャード・バートン卿は、その著書The City of the Saints and across the Rocky Mountains to California(聖徒の街とロッキー山脈を越えてカリフォルニアへ)の中で、モルモンと彼らの一夫多妻制の実施について述べ、次のように弁護しています:

慣習という影響力から完全に自分を離脱するだけの精神力を持ち、理性と啓示によって一夫多妻の教義を吟味する人々は、これが神に由来する教義であり、この地上に生を受けた人の中でも最も徳高い人、すなわち聖霊によって霊感を受けた聖なる預言者や族長が、神に許しを受けて採用し、実施しているという結論に達せざるを得ない。(p 382)

バートンはさらに、法を武器として迫害する人々からもモルモンを弁護しています。合衆国の憲法が一夫多妻制の実施を擁護していると、次のように主張しています:

自由の原則のもとに定められている合衆国の憲法と法律は、結婚関係を干渉するものではなく、国民が多妻結婚の教義を信じてそれを実施し、または自らを一人の妻に制限するか、その選択は個人の自由にゆだねるべきである。これが理想のすがたである。(p 379).

ユタにおける一夫多妻制の本質

1880年代に行われた捜査や攻撃からは判断すると、すべてのモルモンが一夫多妻制を実施していたかのように思われるかもしれません。記録は必ずしも明確ではなく、政府の役人が一夫多妻者を簡単には捜し出すことができないように意図的に不明瞭にしてはありますが、一夫多妻を実行していたのはほんの少数であったことははっきりしています。多くて20から25パーセントの教会員が常時一夫多妻制を実施していたと推定されています。5パーセントという推定をしている人もいます。1880年代には、女性会員の約3分の1が一夫多妻の家族の中で生活していました。当時15万人近くいたモルモンの中で(1890年には20万人に達しようとしていた)、逮捕されたのは1,300人で、割合からすればほんのわずかな数でした。反モルモンやモルモンであっても中には、19世紀の預言者が天国へ入るためにはすべての男子は多妻結婚をしなければならないと言ったと公言していましたが、それは真実をゆがめた主張です。 1866年、ブリガム・ヤングの後継者であった教会の大管長 ジョン・テイラーは、こう述べています:

この制度を導入することが最初に発表された時、それは世の初め以来一部の人に与えられた最も過酷な試練の一つでした。ジョセフ・スミスは他の人々、そして私にこう言ったのです。私はそのことを証言します。「この原則が実施されないならば、この教会と王国は進展することができません。」 この戒めが与えられた時、それは宗教上極めて重要で、この教会の長老たちに厳格に遵守する義務を求めていたために、彼らは一夫多妻制に参加する備えができていないならば、そしてこのためにやってくる反対勢力の激流をくい止めないならば、王国の鍵は彼らから奪われてしまうであろうと伝えられました。男であれ女であれ、この種の原則に反対する教会員がいるならば、私はずっと以前から、また今日でも、背教へまっしぐらに進んでいる輩だと考えてきました。私は彼らをこの教会や王国には関心のない背教者と見なします。(ジョン・テイラー、「説教集」 11:221)

ここでジョン・テイラーは、神が与えられる原則と啓示は何であっても受け入れることが求められるように、この制度はどうしても受け入れなければならない原則だとはっきり述べています。さらに男性はこの制度を実施することを命じられていなくても、これを始め、擁護する「備え」をしなければならないと述べています。この話を聞いていた大多数のは人々は一夫多妻を実行しておらず、これからもそれを求められることは決してないとジョン・テイラーが言っていることを考えるならば、天国に入るためにはこの原則を神からの啓示と受け入れなければならないと彼らが理解したことは明らかです。イエスは「人は...神の口から出る一つ一つの言(ことば)で」(マタイ4:4)生きなければならないと教えておられるのですから。

多妻結婚をしていたモルモンは、祝福と同時に乗り越えなければならない試練を経験しました。女性は一般に多妻結婚を支持していました。それが神から与えられたものだと感じていただけではなく、自由な時間ができたからでもありました。家事を他の妻と分担で行うことで、学校へ行って教養を身につけることができました。ユタの反モルモン指導者たちは、これらの虐げられていると思われている女性たちは反モルモンの候補者に投票するだろうと見込んで、1870年に女性に選挙権を与えました。しかしこの政策は逆効果に終りました。多妻結婚をしていたモルモンの女性は、他の女性よりも職業を持ったり教育を受ける自由があったのです。ブリガム・ヤングの3人の妻は医学を学び、病院を設立する助けをしました。

モルモンの使徒であり、後に教会の大管長となったジョセフ・フィールディング・スミスは、一夫多妻の家庭で育ちました。自分の育った環境について、このように述べています:「私の父ジョセフ・F・スミスには5人の妻と43人の子供がいました。世のどの時代においても、これは自信をもって言えることですが、[私の父]以上に妻、つまり複数の妻や子供たちを愛し、幸福であるように心遣いをしていた人はいないでしょう。」(ジョセフ・フィールディング・スミス、「Life of Joseph F. Smith (ジョセフ・F・スミスの生涯)」、p. 449) さらに家族の妻たちや子供たちについて、次のように語っています。

過去にも現在にも、私たちの家庭ほど一夫一妻の家族が団結していた家庭はないでしょう。疑い深い世の中では驚かれるでしょうが、妻たちはお互いを心から愛しあっていました。誰かが病気になった時には、お互いやさしく身の回りの世話や看病をしていました。一つの家庭で子供が亡くなった場合などには、全員が一緒に涙を流して喪に服し、心から悲しみあったことは、本当に見ていてすばらしいものでした。二人の妻は免許を持つ優秀な産科医だったので、大勢の赤ちゃんの出産に携わりました。妻たちは互いに世話をし合い、赤ちゃんが生まれた時には、母親と同じように喜び合いました。
子供たちは、世間が見るように異母兄弟とか異母姉妹とかではなく、互いを本当の兄弟と姉妹として認めていました。自分がどの家族に属しているかに関わりなく、互いに守り合い、支えあっていたのです。(「同上」、p. 449).

スミス大管長は次のように結んでいます。外部の人々が一夫多妻を恐怖と不快感をもって見る理由は、「『モルモン』の人々を自分たちの堕落した基準で判断し、『モルモン』の家庭では当たり前の本当の状況を理解していないからです」。(「同上」、p. 449).

一夫多妻制の廃止

1887年、連邦議会はEdmunds-Tucker Act (エドモンド/タッカー令)を可決し、教会の法人資格を解き、神殿といくつかの教会の建物以外、実質的にすべての財産を没収しました。これに対して教会は、再度信教の自由を主張してこの判決に対して上訴しましたが、1890年、最高裁は再び多妻結婚禁止令を支持する判決を下しました。

教会の崩壊に直面した第4代目大管長ウィルフォード・ウッドラフは、他の使徒たちと共に祈りました。長い間祈った後、ウッドラフ大管長は多妻結婚を続けるならば、教会はどうなるかについての示現を受けました。それは教会の崩壊、会員たちの離散、そしてこれまで行ってきたすべての業が中止されることでした。主は以前からその状況に応じて、人に一夫多妻を命じられることもあり、またそれを禁じられることもあることを示されてきました。ウィルフォード・ウッドラフは今が、多妻結婚を中止する時期だと悟りました。そして公式の宣言として知られている声明文を公表したのです。これにはモルモン教会は法律で禁じられた多妻結婚は執り行わない旨が書き記されています。後に、グローバー・クリーブランド大統領は、1890年以前に多妻結婚をしたすべての人々に恩赦を与えました。そして、ユタ、アイダホ、オクラホマ、ニューメキシコ、アリゾナの各州は、それぞれ州の憲法で一夫多妻制を禁じるように要求されました。アイダホの当初の法律で、一夫多妻を実施している人はすべて官職につくことを禁じ、一時はモルモンの神殿で結婚した人すべてに投票したり、官職につくことを禁じていました。

反モルモンを唱える人々は、ウィルフォード・ウッドラフが圧力に屈したと主張していましたが、ゴードン・B・ヒンクレー前大管長は、預言者の職務は、神の民が持つ問題について神に祈ってその答えを得ることであると述べています。ウッドラフ大管長は神の助けを求め、それを得たのでした。この啓示について、ウッドラフ大管長自身、次のように語っています:

私は最近幾つかの啓示を、それもわたしにとって非常に重要な啓示を受けました。そこで、主が私に言われたことを皆さんにお話ししましょう。「宣言」と呼ばれているものを思い出してください。...
主はわたしに、末日聖徒に対して一つの質問をするように告げられました。また、主はわたしに、彼らがわたしの言うことに耳を傾け、提示された質問に神の御霊と力によって答えるならば、彼らは皆同じように答え、この件に関して同じように信じるであろうとも告げられました。
その質問とはこれです。すなわち、 末日聖徒がとるべき最も賢明な道はどちらであろうか。...多妻結婚を禁じる国の法律と六千万の人々の反対があり、すべての神殿の没収と損失、生者と死者のためのそこでのすべての儀式の中止、教会の大管長会と十二使徒会と教会内の家族の長たちの投獄、ならびに人々の個人財産の没収されという代価を求められながら、多妻結婚を行う努力続けることか。(これらすべてによって、その行為はおのずと中止されるでしょう。)それとも、この原則を固く守ることによってこれまで行ってきたことを行い、苦しんだ後に、その行為をやめて法律に従い、そうすることによって、預言者たちと使徒たちと父親たちを家に残して、彼らが人々を教え、教会の務めにを果たせるようにし、また神殿も聖徒たちの手に残して、彼らが生者と死者のために福音の儀式に携われるにすることか。
わたしたちがこの行為をやめなければまさに何が起こるかを、主は示現と啓示によってわたしに示してくださいました。 もしわたしたちがそれをやめていなかったならば、ローガンのこの神殿で... 人々は必要とされなかったことでしょう。シオンの全地ですべての儀式が差し止められたに違いないからです。混乱がイスラエル全体に及び、多くの人が囚人となっていたことでしょう。この苦難は全教会に及び、わたしたちはその行為をやめるように追い込まれていたことでしょう。さて、その質問とは、このような方法でそれをやめるか、それとも主がわたしたちに明らかにされた方法でやめて、わたしたちの預言者たちと使徒たちと父親たちを自由な人として残し、また神殿を民の手に残して死者が贖われるようにするか、ということです。すでに多くの者が、この民によって霊界における獄から救い出されてきました。この業を続けるか、それともやめるか。これが、わたしが末日聖徒の前に提示する質問です。皆さんは自ら判断しなければなりません。わたしは、皆さんが自らそれに答えるように望んでいます。わたしはそれに答えません。しかし、わたしたちが実際に取った道を取らなかったならば、それがまさにわたしたちが一つの民として陥っていた状態であると、皆さんに申し上げます。
..わたしは、もし何かを行わなければまさに何が起こるかを見ました。わたしは長い間この気持ちを抱いてきました。しかし、わたしはこう申し上げたいと思います。すなわち、「もしも天の神がわたしの行ったことを行うようにわたしに命じられなかったならば、わたしはすべての神殿を手放し、わたし自身監獄に入り、またほかのすべての人もそこへ行かせたことでしょう。」時が来て、それを行うように命じられたとき、わたしにはそれはすべて明らかでした。そこで、わたしは主の前に行き、主が書くように告げられたことを書き記したのです。... (教義と聖約、公式の宣言1に添付されている抜粋より)

一夫多妻制の目的についての教義的な説明は、PBSのドキュメンタリー番組「The Mormons (ザ・モルモンズ)」のインタビューの中でジェフリー・R・ホーランド長老が暗に指摘しています。 [3]

外部リンク