モルモン・トレイル(モルモン街道)

出典: MormonWiki

モルモン・トレイル(モルモン街道)は、1846年から1869年の間、7万人近くの 末日聖徒イエス・キリスト教会(俗称モルモン教会)の教会員の開拓者が北アメリカの西部開拓時代に旅した主要道です。このトレイルは、イリノイ州ノーブーから、ユタ州ソルトレークシティー間の1300マイルに及んでいます。米国政府は、このトレイルを国立歴史トレイル(National Historic Trail)[1]に指定しており、米国史上では重要な遺産として維持されています。

ノーブーとジョセフ・スミスの殉教後、ノーブーでの宗教的迫害が激化し、教会指導者は1846年、宗教上の信条を自由に実践できる場所を探して、ノーブーを離れる時期だと判断しました。この計画によると、季節が春になってから出発することが見込まれていましたが、モルモンへの敵意が募り、出発の繰り上げが余儀なくされました。こうして、1846年2月4日、3000人のモルモンの開拓者がノーブーを後にする大移民(出ノーブー)が始まりました。最初の旅程区間はおよそ256マイルに及び、雨と泥のため、困難をきたしました。一団は同年末の冬の到来前に後半の1032マイルを完遂し、ユタに到着する計画が立てられていましたが、ノーブーからネブラスカ州への困難な道のりと厳しい天候のため、計画どおり旅程を進むことは不可能でした。

最初の開拓者たちは、その冬、ネブラスカ州に居留することを余儀なくされ、そこをウィンタークウォーターズと呼びました。厳冬に悩まされながら、開拓者は当座しのぎの住居を作りました。ウィンタークウォーターズでは極寒のため、400人の開拓者が命を落としています。やがて春が訪れ、苦難を堪え忍んできた開拓者にも安堵が広がりました。1847年4月5日、ブリガム・ヤングは、148人、72台の幌馬車と多数の家畜の牛馬からなる先鋒の幌馬車隊をウィンタークウォーターズから出発させ、モルモンの開拓者はプラット川からフォート・ブリッジャーに及ぶオレゴン・トレイル(オレゴン街道)に沿って最初の区間の旅を続けました。

先鋒の開拓者団は、病気や資金繰りの間に合わなかった後続の開拓者のことを心に掛けながら道を進み、沿道に幾つかの建物を建て、小さな居留地を作り、作物も植えてておきました。

フォート・ブリッガーで開拓者たちは、オレゴン・トレイルから逸れ、ユタへ通じているカリフォルニア方向のトレイルを進みました。この部分の旅路は116マイルで、渓谷や急坂の多いロッキー山脈ワサッチ連山を超えなければならなず、トレイルの中で最も過酷な場所でした。すでに開拓者達はそこにたどり着くまでに1000マイルもの旅をして疲労していた為、さらに困難を極めました。

18477月24日、ようやく先鋒の幌馬車隊がソルトレーク盆地に入りました。仕事はいまだ完了した訳ではありませんが、後続の開拓者たちを迎える為に、聖徒たちは直ちに作物の栽培に取り掛かり、町を築き始めました。1869年、教会指導者からの奨励の結果、大陸横断鉄道が完成しました。このおかげで、ソルトレーク盆地に到着することが簡単になり、開拓者が一歩一歩旅したモルモン・トレイルは使われなくなりました。