モルモンの神殿

出典: MormonWiki

The バウンテフル神殿.  奉献日:1995年1月8日
The バウンテフル神殿. 奉献日:1995年1月8日

聖なる神殿で執行される儀式は、父なる神と御子イエス・キリストの指揮の下に天の御使いによって地上に回復された業で、このため末日聖徒イエス・キリスト教会 (モルモン教会)は現存の他のキリスト教会とは異なっています。

教会には現在使用中の神殿が世界の40カ国に125あります 。現在建設中または建設予定の神殿がさらに10ヶ所あります。 現在使用中の神殿のうちの60%以上は過去10年の間に奉献されました。 ( 神殿の年代順リスト). このように世界中で神殿の数が急増しているのは、教会の急激な成長によるものです。ゴードン・B・ヒンクレー 大管長(自身が奉献または再封建した神殿は80以上にのぼっている)は教会員に神殿の祝福を広めるのに大きく貢献しています。「ヒンクレー大管長は次のように述べています:「わたしたちは神殿をこの民にとってより近いものにするために、知識の及ぶ限りのことを行ってきました。依然として長距離を旅しなければならない人が多くいますが、自分たちの地域に神殿の建つふさわしい時期が来るまでその努力を続けてくださるようお願いします。」(「結びの言葉」『リアホナ』2004年11月号、104)

ヴァーチャル神殿ツアー:バックグラウンド・ミュージックを聴きながら世界中の神殿ツアーをしませんか?ユーチューブでみるモルモンの神殿の中をクリックしてください。

聖きを主にささぐ、主の宮

教会の一人の指導者はこう述べています、「聖なる神殿は皆、教会員の象徴として、死後の生活を信じるわたしたちの信仰のしるしとして、また、わたしたちとわたしたちの家族のために用意された永遠の栄光に向かって進む神聖な一段階として、存在しています。」 (ラッセル・M・ネルソン「神殿の祝福を受けるための個人の備え」『リアホナ』2001年7月号、38)  

モルモン教会は神を礼拝するために、また聖なる御霊が宿り、その建物に入る人々が祝福や霊感をうけることができるようにすべての建物を奉献します。しかし神殿はこれらの建物とは違い主の宮、すなわち、神聖で特別、さらにはこの世のものとは別な建物として奉献されるのです。主の宮として、人々がこの建物に入るための規範を定めるのは主です。ですから神殿に入る人はそれにふさわしくなければなりません。つまり戒めを守り、ビショップステーク会長の署名のあるカード、その人がふさわしいと証明するための神殿推薦状をもっていなければなりません。主はすべての男女が神殿に参入するにふさわしくなるよう望んでおられます。

神殿の中 では忠実な教会員が人の救いには絶対必要な儀式を行い、主との聖約を結びます。神殿は男女が神聖で永遠の事柄について学ぶ学校のようなものです。神殿はまた、象徴的に、人の生き方や行路のプレゼンテーションとも考えられていて、これは救いの計画と言われています。神殿の中では、個々の会員が自分のためだけではなく、すでにこの世を去った人々の身代わりとして聖なる真理を学び、厳粛な聖約を結びます。

モルモンの神殿と死者のための業 

イエス・キリストが地上に生きておられたとき、人が救われる道はただ一つしかないことを、次のようにはっきりと説明されました。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6).

この言葉を信じるならば、二つのことが不可欠だということが分かります。第一に、聖書の次の聖句にあるように、人を救う権能は主の御名にあることです。「わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(使徒4:12). 第二は、永遠の生命を得るためには、絶対不可欠な儀式、すなわちすべての人が通らなければならない門であるバプテスマを受けなければなりません。このことは次の聖句で説明されています。「イエスは答えられた、『よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。』(ヨハネ(John 3:5).

バプテスマは不可欠であり、イエス・キリストの御名によって行う権能が預言者ジョセフ・スミスを通して地上に回復されたことから、モルモン教会はイエス・キリストの福音をもろもろの国民、部族、国語の民、民族に熱心に メッセージを伝えることに従事しています。この布教の責任は主からの戒めとして与えられました。つまり「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施」(マタイ28:19)すようにと書かれています。末日聖徒イエス・キリスト教会では、会員たちが地上のすべての人に福音を宣べ伝えるという責任を受けています。その目標は福音の祝福と救いの儀式を全世界にもたらすことです。しかしそんなことが本当に可能なのでしょうか。バプテスマを受けずにすでにこの世を去った人々はどうなるのでしょう。そのような人々は地獄で朽ちるか、少なくとも神からの最高の祝福を受けることができないのでしょうか。

聖書とモルモンの教義には、人類はイエス・キリストの御名とバプテスマによってのみ救われるとされています。しかし地上に生を受けた人々の殆どはこの前提条件について何も知りませんでした。では、神は福音を聞いて、正当な権能を持った人によってバプテスマを受ける機会がなかった莫大な数の人々を心にかけておられないのでしょうか。

その答えは神ご自身が示しておられます。神は啓示によって、生きている人々だけでなく死者のためにもバプテスマのような儀式を執行できるような神殿を建てるようにと、預言者ジョセフ・スミスに指示をお与えになりました。新約聖書 には、「そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。」と書かれています。(1コリント15:29)

復活 が実際に起こるならば、死者のためのバプテスマは重要であるだけでなく、生きている間にバプテスマを受けずに世を去った莫大な数の人々が救われるためにはこの上なく重大なことだと言えます。イエスはその死から復活されるまでの間、霊の世界へ行って福音を宣べ伝えました。(1ペテロ3:19-20; 4:6参照)。救い主が霊界で福音を宣べ伝えられたのは、後に身代わりのバプテスマを行うことができるように、彼らが福音を聞いて、それを受け入れる機会を与えるためだったのです。「死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。」(1ペテロ4:6)。

中には死者のために儀式を行なうのは押しつけがましいではないかと思う人もいます。しかしイエス・キリストは、すべての人のために私たちが自分自身ではできない罪の贖いをしてくださったのであって、無理やりにこれを行おうとしたのではありません。キリストの贖い復活の結果と祝福は人類すべてが受けることのできるものです。救いはすべての人に提供されています。しかし私たちには選択の自由があるので、これを受け入れるかまたは拒むかは、私たちが自分で選ばなければならないのです。

きリストの贖いと復活により、また神権の力と権能によって、死者が自分ではできないことを末日聖徒はすることができるのです。この業は神殿においてのみ行なうことができます。すでに亡くなった人のために儀式が行なわれても、それは本人の選択の自由を奪うものでは決してありません。それどころか、死者のための儀式が行われなかったならば、その人はどちらかを選択する自由を失ってしまうことになります。この業が行なわれると、本人はそれを受け入れるか拒むかを選ぶことができます。末日聖徒はこの世に生を受けた人にはすべて、この選択をするチャンスが与えられるべきだと信じています。このため、神殿と家族歴史は引き続き末日聖徒イエス・キリスト教会には欠くことのできないものとなっています。