モルモンの女性
出典: MormonWiki
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モルモンの「神権者」はモルモンの女性を抑圧していますか?
モルモンの女性は神権には聖任されていませんが、家族から教会の最高レベルの評議会まで、教会指導者としてあらゆるレベルで神権指導者と肩を並べて評議会に座し、見識や忠告を提供しています。確かに、モルモン教会のふさわしい成人男子のみが神権の権能を持つことができますが、若人や子供、女性も神権に付随するすべての祝福を平等に受けることができるのです。
男性は神権を持っているからと言って、女性をコントロールしたり命令したりする許可を神から受けているわけではないのです。家庭では、男性が家庭を統括するという家長制度が実施されていますが、男女は同等なパートナーなのです。ゴードン・B・ヒンクレー前預言者はこう述べています。「当教会では、男性が妻の一歩前を歩くことはなく、一歩後ろを歩くこともなく、並んで歩きます。二人は大事業であるこの世での生活において対等なのです。」 (モルモンの女性はなぜ神権を持っていないのですか)
モルモン教会の指導者は男性が女性に対して横暴な振る舞いをすることを非難しています。 スペンサー・W・キンボール大管長は次のように話しています。「妻に対して『神権を持っているのは僕だから、君は僕の言うことに従っていればいい』という男性がいると聞いたことがあります。」これに対してキンボール大管長は、夫婦間での神権の乱用を断固として拒絶し、このような人は「神権を持っているからといって尊敬を受けるべきではありません。パートナーシップとしての結婚について話す時には、全面的な協力関係を意味します。末日聖徒の女性があの永遠の責任において、無言のパートナーであったり、有限のパートナーであって欲しくないのです。どうか貢献するパートナー、全面的なパートナーになっていただきたいのです。」 (「The Teachings of Spencer W. Kimball (スペンサー・W・キンボールの教え)」, Edward L. Kimball編、1982年、315、316)
モルモン教会自体の組織は家族とは異なっています。教会の頭(かしら)であるイエス・キリストが示された構造がとられているからです。大管長会と十二使徒定員会が教会の管理指導者であり、その指揮の下には数多くの男性神権指導者が業務を行っています。また数多くの女性指導者も奉仕と指導の重要な責任を与えられています。女性は神権の職には召されませんが、それは神が男性と同等の重大な職務を女性に与えておられるからです。
神権の権能の構造の中で、その職に聖任されている人々は、決して強制的な方法で権能を行使してはならないと戒められています。もし人の子らを制御し、支配し、強制しようとするならば、「その人の神権、すなわち権能は終わりである」とされています。(教義と聖約121:37)
ジョセフ・F・スミスはこのように述べています:
- 「教会においてどのような立場であれ権能のある職に就いている人は、自分が管理している人々に対して父親,また兄弟の精神を持って接しなければ、その義務を果たすことができません。権能を持つ者は統冶者や独裁者、専制君主になってはなりません。思いやり、偽りのない愛、柔和な態度、説得により、また叱責や不正な批判ではなく模範によって、管理下にある人々の心をとらえ、信頼と愛を獲得しなければなりません。このようにして、優しい心と人々に対する愛の気持ちで、彼らを義の道に導き、説得と模範により、「わたしが頭である御方に従うように、わたしに従いなさい」と語りつつ、人々に救いの道を教えるのです。」(「「歴代大管長の教え—ジョセフ・F・スミス」16章Priesthood, the Divine Government, From the Life of Joseph F. Smith, page 137)
モルモン教会の中で、女性は最高の指導的地位にはないにしろ、1930年に教会が設立されて以来、女性は教会員に提示されたすべての議題に対して男性と同等に採決の票を投じています。女性はまた、教師や宣教師、集会所図書係や音楽指揮者、神殿ワーカーや活動委員会会長など、さらには初等協会や若い女性、そして扶助協会の指導者としての責任を持ち、教会を代表するあらゆるレベルの役職で奉仕しています。モルモンの女性は集会の司会をしたり、教会のイベントの計画や組織を行い、モルモンの男性と同様に、神権者の指導や協力を得て、教会の奉仕活動に参加しています。
モルモンの女性はなぜ神権を持っていないのですか
モルモン教会の会員は、男と女には基本的な、天与の違いがあり、女性は教会や家族の中でその責任を果たす際に神権の聖任を受ける必要がないと信じているのです。女性と男性には、教会や家族の中の指導的役割に関して、異なった、しかし同等に不可欠な役割があるのです:
- すべての人は、男性も女性も、神の形に創造されています。人は皆、天の両親から愛されている霊の息子、娘です。したがって、人は皆、神の属性と神聖な行く末とを受け継いでいます。そして性別は、人の前世、現世および永遠の状態と目的にとって必須の特性なのです。....
- 家族は神によって定められたものです。男女の間の結婚は、神の永遠の計画に不可欠なものです。... 神の計画により、父親は愛と義をもって自分の家族を管理しなければなりません。また、生活必需品を提供し、家族を守るという責任を負っています。また母親には、子供を養い育てるという主要な責任があります。これらの神聖な責任において、父親と母親は対等のパートナーとして互いに助け合うという義務を負っています。」 (「家族:世界への宣言」)
男性は神権によって、神から与えられた父親としての務めを果たすための助けを神から受けることができます。女性が神から与えられた家族に対する責任は、男性に与えられている役割と対等に重要ですが、それを行うのに神権を必要としません。男女とも、家族への責任と管理の職について、説明責任を負わなければなりません。
モルモンの使徒 ダリン・H・オークス長老は、この件に関して次のように語っています:
- [ジョセフ・フィールディング] スミス大管長はこのように説明しました:「姉妹たちには神権が与えられていませんが、… だからと言って主は姉妹たちに権能をお与えになっていないという意味ではないのです。権能と神権とは同じではありません。姉妹たちが主の宮で行う奉仕のように、私たちの救いに関わりがある絶対必要な事柄を執り行うように、人があるいは姉妹が、権能を与えられることがあります。」(「扶助協会雑誌」、1959年1月号、p. 4)
- 権能に関するスミス大管長の教えは、預言者ジョセフ・スミスが扶助協会を組織した時、に言った言葉、「神権の下に神権の規範に倣って」という言葉がどういう意味かを説明しています。他の補助組織と同じように、扶助協会の役員や教師が行使する権能は、末日聖徒イエス・キリスト教会と組織的に結び付いていることから来る権能、また召しを受けた神権指導者の手によって個人的に聖任されることによって与えられる権能なのです。(「The Relief Society and the Church(扶助協会と教会)、」『エンサイン』、1992年5月号、34).
モルモンは男女が平等であることを信じていますか
モルモン教会の会員は男女は全く平等であると信じていますが、同時に男と女は性が異なるためにそれぞれ別々な役割があることも信じています。
モルモンは、男女が結合することは神が定められたことであると信じているので、末日聖徒の女性は自分たちが男性と違うことを称えています。扶助協会 (女性のための教会の組織)の前指導者であったシェリー・デューは、このように述べています。「神は私たちが似たもの同志、お互いを愛し合えるように、しかし違ったところも十分あるために、完全なものを創りあげるためには力と与えられた責任を一体にしなければならないように造られました。男も女も、相手なしには完全にはなれません」(「It Is Not Good for Man or Woman to Be Alone(男も女も一人でいるのはよくない)」『エンサイン』、2001年11月号、12)
1974年から2004年に世を去るまで、著名な教会指導者であったニール・A・マックスウェル長老は、夫と妻に関して次のような見解を加えています:
- 「私たちはひざまずいて祈るとき、一緒にひざまずきます。 [結婚するために] 聖なる神殿で聖壇にひざまずくときも、私たちは一緒にひざまずきます。イエスご自身が門番であられる最後の門に近づいたときも、私たちがもし忠実であったなら、その門を一緒に通るのです。」(「神の女性たち」、『エンサイン』、1978年5月号、10)
結婚した男女は平等なパートナーである一方、モルモン教会は男女は同じではないことも認識しています:
- 「私たちはいかなる法律や条令をもってしても、男性と女性は違うことを抹殺することはできません。女性が必要でなくても、男性にとってはどうしても必要なものがあります。男性が感じることでも、女性は全く感じないことがあります。男性には全然必要でなくても、女性にとってはどうしても必要なものがあります。そして女性が感じることでも、男性は全く感じないことがあるのです。」(ボイド・K・パッカー「男女平等憲法修正条項」『エンサイン』、 1977年3月号、6)
モルモンの女性は、モルモンの男性に隷属する存在ではありません:
- 「教会内での女性は、男性の前でも後ろでもなく、男性の横に並んで歩きます。教会においては、男性と女性は完全に平等です。福音は …男性のためにも女性のためにも同様に主がお与えになったものです。地上にいるすべての人は、男も女も、前世で地上に来る権利を得、正しい行いをすることによってこれから先、「神とキリストの住む」ところで生活する権利を獲得しなければなりません。... 福音から得る特権と福音が要求する条件は、基本的には男性にとっても女性にとっても同じです。主は息子も娘も同じように愛しておられます。... これによって自由に選択する権利や個々に決定する力を持ち、永遠に続く喜びを得る機会を持つ個人として、男性も女性も、天父の愛ある助けを得て、永遠に自らの行いによって、自分が何を達成するかを決めることができます。ですから教会の中では、男性の権利と女性の権利に対して何の疑問もないのです。」 (「Improvement Era(インプルーブメント・エラ)」、1942年3月号、161)
モルモンの女性は神から与えられた権利を使って、最高の神殿儀式を実現するように期待されています:
- 「これまでの歴史の中で、この教会の女性ほど思考と行動の自由を与えられた女性は、他にいません。教会が回復されたその日から教会の女性は宗教的な特権を与えられてきました。そして回復された福音の神殿において、男性は妻が共にいなければ、最高の儀式を受けることができません。女性はその生涯において、全面的な自由を享有しています。しかしそのために、女性は重大な責任を負っています。もしそれを引き受けて生かすならば、彼女はさらなる力を与えられますが、もしないがしろにしたり軽んじたり、尊ぶことをしないならば、今与えられているものを失い、その結果持って生れた権利さえも失くしてまうかもしれません。教会の女性は、この素晴らしい特権に対して絶えず感謝の気持ちを持ち、この尊く貴重な関係を大事にしなければなりません。多く与えられる者からは多くが求められるのです。」(リア・D・ウィツオー「Priesthood and Womanhood(神権と女性)、as quoted in Priesthood and Church Government, comp. John A. Widtsoe, pp. 90–91).
女性の神聖な役割
マックスウェル長老は、聖書に出てくる女性について話し、教会における、また神が求めておられる女性の役割についての説明を続けています:「人間関係における愛のこもった忠義を測るとき、ダビデとヨナタンよりもルツとナオミの関係について話すでしょう。. . .貧しいやもめの話は、私たちに什分の一の払い方を教えています。空腹の息子がいるにもかかわらず、エリヤに一握りの粉と少しの油を与えた女やもめは、分かち合うことを教えてくれました。神からさずかった母性本能によって、エジプト人の女はモーセを救ったことで、歴史を作り、赤子は重荷ではなく祝福であることを示しました。. . . .イエスが十字架にかけられた場面について読む時、女性が内に持っている知性を感じることができます。「そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。」(Matt. 27:55.) 彼女たちがその場にいたことは祈りであり、いつまでも去らなかったのは、言葉を行動で表わしていたのです。さらには、キリストが復活されたあと、最初に空になった墓にやってきたのは、2人の女性でした。復活された救い主を最初に見たのは誰でしたか。それはマグダラのマリヤでした。特別な霊的感受性を持つ神の女性は、多くの人々がやめてしまった後でも、望み続けるのです。(「The Women of God(神の女性)」、『エンサイン』、1978年5月号、10)
モルモンの女性は女性らしさを身につけるように奨励されています。ただしその女性らしさとは、世間の言う女らしさとは違っています。教会の最高指導評議会である大管長会の故ジェームズ・E・ファウスト長老は、女性らしさについて教会の女性に次のように定義しています:「女性らしさとは、単に口紅や素敵な髪型、最新流行の服装だけではありません。神から与えられた人間らしさで身を飾ることです。それは愛する能力、霊性、繊細さ、輝き、細やかな神経、独創力、魅力、優雅、優しさ、品格、そして静かな強さなどの特質に現れてきます。そしてそれは一人一人の少女や女性に異なった形で現れますが、それぞれが必ず持っているものなのです。女性らしさは皆さんの内なる美しさの一部です。」(『エンサイン』、2000年5月号、 95)
末日聖徒イエス・キリスト教会の女性は、妻であり娘、また姉妹であり叔母であり、信仰と美徳を支える人々です。彼らは教会の男性たちと一緒に、福音を推し進め、神からの霊感によって人々を導きます。女性たちは夫に慰めと支えを与え、愛と信仰をもって家族をはぐくむのです。
モルモンの女性は教育を受けることができますか?
モルモン教会は女性が神から与えられた定めをもつ存在として、自ら学ぶように強く促しています。モルモンの女性は、1800年代から、教育を受けて自身を向上させるように勧められているのです。
ブリガム・ヤングは女性の教育について、次のように述べています。「私は女性が音楽を学ぶことをないがしろにしてもらいたくありません。歴史や聖典を読み、新聞や地理やその他の出版物を手にするように勧めます。また遠くの王国や国々の風俗習慣に通じ、その法律や宗教、世界における地理的な位置、気候、その国の産物、商業の状況、政治組織などについて精通するようにしていただきたいのです。つまり男女に肉体的および知的教育のあらゆる有益な分野において、全面的な教育を受けてほしいのです。」 (Journal of Discourses (説教集)、9:189)
今日でも、教育は強く奨励されています:「すべての若い女性に、技能を磨いたり能力を増し、知識を広めて、才能を高めるよう勧めるべきです。」 (ゴードン・B・ヒンクレー)
“ある人は正式の大学教育を望み、またある人は実際的な職業訓練を希望する。聖徒たちは、自分の好みと才能に一番合った教育を受けるようにすべきである。職種は何であろうと、また大学教育であろうと職業訓練であろうと、私たちは教育を受けることを奨励するものである。」(スペンサー・W・キンボール「正義を基として」、『聖徒の道』、1978年2月号、4)
「教会の姉妹たちが就職の準備をすることには重大な理由があります。... 私たちは姉妹たちが結婚する前に、できる限りの教育と職業訓練を受けていただきたいと望んでいます。もし夫に死別したり、離婚したりして、働く必要がある場合には、威厳を持って働き甲斐のある仕事についてほしいのです。また結婚しない場合でも、姉妹は自分の能力や天賦の才能を生かした職業につく権利を持っているのです。」(ハワード・W・ハンター、「[1]」、『エンサイン』、1975年11月号、124)
「教会の若い女性は注意深い配慮をもって教育されなければなりません。彼らには大きな責任がゆだねられるからです。彼らの手には、子供たちの道徳的かつ知的な人格を形成するという責任が与えられます。わが国の女性が高い知性を持てば、その子供たちも同じようになるからです。男性を適切に教育すれば、本人の繁栄が得られます。しかし女性を正しく教育することによって、家族全体に良い影響を及ぼすことが保証されるのです。」(ジョージ・Q・キャノン、「Gospel Truth (福音の真理)」ジェレルド・L・ニュークイスト選、[Salt Lake City: Deseret Book Co., 1974], 2:138).
教育を受けたモルモンの女性は、ブリガム・ヤング大学のような教会が運営する教育機関で働いたり、また教会本部での様々な職種で仕事をすることができます。さらに、教会の組織のあらゆるレベルにおいて、指導的な立場で奉仕することができます。
モルモンの指導者の女性についての言葉
「女性は神が創造されたものの中で至高の存在です。 地球が造られ、昼と夜が、また水と陸が分けられ、植物と動物が創造され、人が地上に置かれたすぐ後で、女が造られました。その時始めて業が終わり、すべてが善しとされたのです。」 (「Our Responsibility to Our Young Women (若い女性に対する責任)」『エンサイン』、1988年9月号、8) 末日聖徒イエス・キリスト教会のゴードン・B・ヒンクレー前大管長は、女性に対する教会の見解とその役割について、以上のように述べています。
1918年から1945年まで教会の大管長を務めたヒーバー・J・グラントは、次のように話しています:「末日聖徒イエス・キリスト教会は、最高の栄誉ある地位を女性に与えています。女性は、この最高の威厳ある地位を保持し、その評価に値するためにはこれまでずっと、またこれからも人類の尊敬と愛を要する徳を備えていなければなりません。…[なぜなら]美しい貞節な女性は神の最高の作品なのですから。」(『インプルーブメント・エラ』、1935年5月号、276)
教会員は以下のことを信じています。「すべての人は、男性も女性も、神の形に創造されています。人は皆、天の両親から愛されている霊の息子、娘です。したがって、人は皆、神の属性と神聖な行く末とを受け継いでいます。そして性別は、人の前世、現世および永遠の状態と目的にとって必須の特性なのです。」(「家族:世界への宣言」『エンサイン』、1995年11月号、102)
「全能の神が創造されたものの中で、神の娘ほど美しく、霊感あふれるものはありません。彼女は、なぜそうしなければならないかを理解して徳ある生活をし、神から与えられた神聖なものとして自分の肉体を大事にして尊重し、心を養って絶えず理解を広げ、永遠の真理で自分の霊をはぐくむのです。」(ゴードン・B・ヒンクレー、「Our Responsibility to Our Young Women(女性に対する私たちの責任)」『エンサイン』、1988年9月号、8)
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は、女性への接し方に関して教会の男性に模範を示しています。67年間連れ添った妻のマージョリー・ペイ・ヒンクレーは、夫にこのように述べました: “わたしが飛べるように、あなたはいつも翼をくれたわね。うれしかったわ。」 (「人生で出会う女性たち」、『リアホナ』、2004年11月号、82)
預言者ゴードン・B・ヒンクレーはこのように言いました、「この教会では、夫は妻の前や後を歩くことはありません。妻と並んで歩くのです。この偉大なる神のご計画の中では二人は同等なのです。」
