モルモンのガーメント

出典: MormonWiki

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神殿のガーメントは神聖なもので、教会員にとっては特別な意味を持っています

モルモンの下着とも呼ばれるモルモンのガーメントは、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が神と交わした神聖な聖約の象徴として肌身につけている衣服を言います。.

モルモンの社会においては、「ガーメント」という言葉はこの特別な下着を意味します。モルモン社会の外にいる人々は「ガーメント(服飾)産業」という言葉を日常的に使いますが、「ガーメント」という言葉は日常の衣料品を指す言葉としては殆ど使われません。

モルモンのガーメントは、殆どの人にとっては通常の下着の代わりに身につけるものです。(従って、ガーメントを「モルモンの下着」とか「モルモンの肌着」という呼び方をする人がいますが、殆どの会員はこのような呼び方をするのを避けて、単に「ガーメント」と呼んでいます。.)

このガーメントはモルモンの神殿に直接結びついています。忠実な会員は神殿でガーメントの扱い方や身に着け方を学んでから、ガーメントを受けます。ガーメントは神殿のエンダウメントと呼ばれる特別な儀式の一部として着用します。儀式の中で、儀式のためにさらに特別な衣服が使われますが、これは神殿の中で儀式のためだけに用いられるものです。一方、ガーメントは神と交わした約束を常に思い出させるものとして、また体を守る覆いとして、会員は常時(日夜)着用します。特別に妥当だと認められる活動をするときのみ、脱ぐことができます。もちろん、入浴や泳ぐときなどはガーメントを脱ぐことが必要になりますが、フットボールや野球、その他の激しい運動をするときには、当人が適当と判断した場合には、脱ぐことが可能です。

宗教的な衣服

宗教的な衣服を身にまとうことは、アダムとエバに始まっています。聖書には、アダムとエバが裸であることを知ったとき、このように記されています、「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。」(創世記3:21) モルモンは、神はアダムとエバに宗教的な教えの一部としてそのような衣服を与えられたと信じています。これは、モルモン教会の会員が神殿のエンダウメントの儀式の中で受ける教えの一部として受けるガーメントと状況は同じです。

宗教的な目的で特別な衣服を着用するのは、モルモンだけではありません。最もよく知られた例はヤムルカで、多くのユダヤ教の男性が特別なときに、または正統派の人々は常時着用しています。ユダヤ教徒はまた、モーセの律法を象徴する613個の結び目のある房の付いた「ツィーツィート」という下着を着ます。モルモンのガーメントも同じように象徴なのです。どうように、いくつかの宗教では牧師や司祭が宗教的な意味を持つ特別な首飾りを付けたり、尼僧がその地位を象徴する特別な衣服を身に着けることがあります。いずれの場合も、特別な衣服はそれを着る人の宗教に対する信念を現しているのです。世界的な宗教の多くは、会員が常時または一時的に(例えば、礼拝のときや結婚式のような特別な儀式のとき)特定な服装をすることを求めます。

歴史を通して宗教に関わる人物も、宗教上の務めを果たすときに、特別な衣服を身に着けていました。例えば、幕屋で儀式を行う備えとして、主はアロンとその息子たちに聖なるガーメントと祭服衣服をまとわせるようにと、モーセに命じられました。(出エジプト28:1-3参照)

意味と目的

神殿に参入するモルモンにとって、ガーメントは宗教的な衣服としてほとんど同じ目的を果します。すなわち、これによってガーメントを身につけている人々を世間一般から分離し、彼らが結んだ神との契約を表明します。さらにはガーメントが神の武具として身を守り、誘惑を避ける力、邪悪な影響力に抵抗し、正義を守る強さを与えてくれます。末日聖徒イエス・キリスト教会には職業的な聖職者はいません。ですからある意味では、ガーメントは一般信徒が聖職者を務めることの象徴となり、とりわけ神殿において、男女共に神権の責任と祝福を共有するのです。

ガーメントは慎み深いデザインの下着とあまり大きな違いはありません。生地は快適な肌さわりと様々な気候にあわせて軽いものが使われています。軍人が着るための特別な色つきのガーメントもありますが、殆ど全部のガーメントは白です。白は清さを象徴し、ガーメントの長さとカットはによって服装の慎み深さを促しています。ガーメントは特別なディストリビューションセンターで購入することができます。

敬虔な会員がガーメントに寄せる意味は、その生地やデザインを超越したものです。ガーメントを着用する人々にとって、それが象徴しているものが神聖なのです。また絶えず悔い改めて従順であること、そして神殿で自由意志で交わした聖約を守り、毎日の生活の中で真理と徳を尊び分かち合う必要があることを思い出させます。そうすることによって、イエス・キリストをその生活の中心に置いて、約束された祝福を要求する権利を得るのです。

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