モルモン

提供: MormonWiki

モルモンとモロナイ、アバード・T・フェアバンクス博士作、BYUハロルド・B・リー図書、使用許可済み

「モルモン」は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の総称的ニックネームです。モルモンという言葉は、実は古代アメリカに住んでいた預言者の名前で、当時モルモンは彼の民族の歴史と聖典を書くという重要な役割を果たした人物です。現在、その記録は翻訳されてモルモン書と呼ばれています。

さらに モルモンは、モルモン書の中で預言者、軍事指揮官、歴史家としての役割も果たしました。モルモンは紀元311年から385年に住んでいました。この古代の記録の表題に彼の名前を付けて[モルモン書]と呼んでいる理由は、モルモンが彼の民のおよそ1000年に及ぶ膨大なこれらの記録の全てをまとめ、さらに短く抄録したことにちなんでいます。

モルモンが記録を抄録した目的は、彼の民族のすべての歴史的な出来事を書き伝えるためより、むしろ、その記録を読む人々の心を神に向けるためでした。モルモンは、モルモン書の中で主イエス・キリスト、主の預言者、そして主の言葉に従う人々と、これらを拒絶し否定する人々とを対比させるという方法を用いて書いています。そうすることで、彼はイエス・キリストの福音に従うときに人は祝福され恵みと導きを受けますが、一方そうでない時、人々は祝福を逃し、恵み救いを受けられないことを強調しています。モルモンが書いた「モルモン書」という箇所で彼はさらに詳しく、なぜ彼の民の記録の抄録を造ったかという理由を述べています(モルモン書1:1-11参照)。モルモンは、その記録がこれを読む現代の人々にとって利益となることを知っていました。彼は何度か将来の世代の私たちに対して、あたかも個人的な書簡をしたためるように語りかけています(モルモン書3:16-22参照)。

「見よ、わたしは今、死者の中から語っているかのようにあなたがたに述べている。わたしはあなたがたが将来、わたしの言葉を手に入れることを知っているからである。
また、これらのことを書き記したのは、…まことに彼らが再びキリストおについて知ることができるようにすることは、この地にすんでいたすべての聖徒たちの祈りに適っている。
イエス・キリストが、信仰に応じて彼らの祈りを聞き届けてくださるように。また父なる神が、イスラエルの家と交わされた聖約を思い起こしてくださるように。そして、父なる神が彼らを、イエス・キリストの名を信じる信仰によって、とこしえに祝福してくださるように。アーメン。」(モルモン9:30、35-37)

モルモンの生涯

モルモン書でモルモンの担った重要な役割をさらによく理解するには、彼の生涯の概観を知ることが大いに役立ちます。

モルモンは紀元311年に生まれ、彼の父の名を受け継ぎました。モルモンは、 ニーファイ人の最初の指導者だったニーファイの子孫です。モルモンは、その聡明さや義しさ、また指導者としての手腕を幼い頃から示しました。モルモンが10歳の時、ニーファイ人の記録を保管し書き継いでいたアマロンがモルモンに会い、モルモンにすべての記録を託すことを告げます。アマロンは、モルモンにシムと呼ばれる丘にこれらの記録が隠されており、モルモンが24歳になった時、丘に行って「ニーファイの版」を取り出し、ニーファイ人に起こったできごとを記録するよう命じました(モルモン1:2-5、4ニーファイ1:47-49、モルモン2:17、4:23参照)。

一年後、モルモンが11歳の時、ニーファイ人とレーマン人(ニーファイ人に敵対するグループ)の間に戦争が起こりました。この戦争ではニーファイ人がレーマン人を退却させ、平和が回復されました。しかし、モルモンは、かつて神の教えに従って義しく生活していたニーファイ人が悪に染まりイエス・キリストの教会が取り上げられてしまったことに絶望を感じていました。

15歳になった時、彼は人々に神のみ言葉を宣べ伝えて悔い改めるよう勧めましたが、神は、すでに人々は真理を知っていながらも自ら神に背くことを選んだため、解き勧めることはやめるようにモルモンに命じられました。同年、モルモンはニーファイ人の軍司令官に指名されました。

モルモンは、生涯のほとんどを司令官として費やしました。アマロンが指図したとおり、24歳の時モルモンはシムの丘に行き、ニーファイの版を取り出し、ニーファイ人に起こった出来事を記録しました。長期戦が引き続いて起こり、ニーファイ人は彼らの住んでいたほとんどの土地から追い出されました。

およそ紀元350年頃(モルモン39歳)、レーマン人は和平条約をニーファイ人と交わし、彼らの領土が割譲され、平和が10年続きました。この間、モルモンは人々に悔い改めを説き、戦争に備えておくように勧めました。しかし、ニーファイ人は悔い改めることはありませんでした。

10年目の終わる紀元362年、再び戦争が勃発しました。ニーファイ人はレーマン人を退却させることができたので、自らの力を誇り始め、レーマン人打倒を誓いました。時にモルモンは52歳でした。ニーファイ人が彼らの土地と民族を防衛するためではなく、レーマン人を滅亡させる為に戦うことを願い始めた時、モルモンは軍の指揮を執ることを拒みました。この時までにはモルモンは既に36年間指揮官の職を務めています。主はモルモンに、ニーファイ人の邪悪な状態のため、何がニーファイ人に起こっているのかを見届けなければならないと命じられました。

モルモンが64歳の時、レーマン人が記録が保管してある丘の土地を占領しそうになったのを見ました。彼はもしレーマン人が記録を発見すれば、それを破壊してしまうことを知っていたので、これらの記録を取り出し、ニーファイ人最後の要塞だったクモラという丘に隠しました。ニーファイ人は、モルモンに再び司令官となるよう求め、やむなくこれに応じました。

最後の戦争に望むモルモンとモロナイ

紀元385年、モルモンは既に74歳になっていました。彼は次の戦争でニーファイ人が全滅することを悟りました。そこで彼はすべてのニーファイ人をクモラの丘に集め、息子のモロナイに記録を託しました。大戦争が起こり、モルモンは負傷しますが、命は取り留めました。遂にニーファイ人は彼と息子を含めて24人だけが生き残りました。モルモン書にはおよそ23万人の男性が殺されたと見積もられています。しかしこの数には子女は含まれていません。残っていたニーファイ人は追い詰められ殺されたか、レーマン人に寝返ってしまいました。遂にモルモンは追い詰められ、殺されてしまいました。こうしてモロナイがニーファイ人最後の生存者となりました。そして彼は敵の手から逃れながら、記録を完結させ、残りの記録と共に後にジョセフ・スミスクモラの丘と呼んだ丘に埋めて隠しました。

モルモン書の最後に預言者モルモンとその息子は次のように記しました。

「わたしはあなたがたへの勧めとして少しの言葉を述べた後、この記録を封じる事にする。
見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなったようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。

また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなた方に勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。 :そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。」(モロナイ10:2-5)

「わたしは、これらのことを覚えておくように勧める。わたしが偽りを言っていないことが、あなたがたに分かる時がすぐに来るからである。あなたがは、神の法廷でわたしに会うであろう。そして、主なる神はあなたがたに、『わたしはあなたがたに、死者の中から叫ぶもののように、まことに地の中から語るもののように、この人が書き記したわたしの言葉を告げなかったか。』と言われるであろう。
わたしがこれらのことを告げるのは、預言が成就するためである。見よ、これらのことは永遠の神の口からでるであろう。そして、神の言葉は代々響き渡るであろう。
また神は、わたしの書き記してきたことが事実であるということをあなたがたに示されるであろう。」(モロナイ10:27-29)

外部リンク

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