メシヤ
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メシヤという言葉は、ヘブル語では「油注がれた者」という意味です。古代の慣例において、油を注ぐことは、ある人が特別の務めに選ばれることを意味しており、油注がれた者は、選ばれた者でもあります。ユダヤ人のメシヤに関する伝統では、「メシヤ」は、ダビデ王の家系から出て、将来、メシヤの時代にユダヤ人を治める王となると伝えられていました。ほとんどのユダヤ人は、このメシヤが聖なる救い主だとは期待していませんが、メシヤの時代が聖書に書かれている奇跡的な繁栄と平和の約束が成就すると考えています。
末日聖徒イエス・キリスト教会の教義と教えは、メシヤの降臨と再臨に関する旧約聖書に書かれているクリスチャンの考え、イエス・キリスト、神の御子に関するすべての預言、ユダヤ人が、霊的な救い主でなく、政治的な解放者を期待していたためイエス・キリストを拒絶したと信じています。
「メシヤ」という用語は、聖書でほんの数回だけ使われているに過ぎません— ダニエル 9:25-26, ヨハネ 1:41, 及び ヨハネ 4:25。ダニエルは、メシヤがキリストであると暗に示しています。「メシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。」(キリストは全人類の罪のために死なれる。)(ダニエル9:26)、ヨハネは、「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。」(ヨハネ 1:41)。「女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」(ヨハネ 4:25)。
紀元前600年にエルサレムを脱出した人々によって書き継がれた記録であるモルモン書には、用語「メシヤ」が聖書よりさらに頻繁に使われています。—
- まことに父がエルサレムを去ってから六百年後に、主なる神はユダヤ人の中に一人の預言者すなわちメシヤ、言い換えれば、世の救い主を立てられる(1 ニーファイ 10:4)。
- 父はまた預言者たちのことについても話して、非常に多くの預言者がこれらのこと、すなわち父が話したこのメシヤ、つまり世の贖い主について証しているとも語った (1 ニーファイ 10:5)。
- さて、わたしニーファイは、父が示現の中で見たこと、また父が来るべきメシヤである神の御子を信じる信仰により授かった聖霊の力によって語ったことについて、父の言葉をすべて聞いた後、わたしニーファイもまた、聖霊の力によってこのようなことを見聞きし、また知りたいと思った。聖霊とは、昔の時代でも、またメシヤが人の子らに御自身を現される時でも、およそ神を熱心に求めるすべての人に神が与えられる賜物である (1 ニーファイ 10:17)。
- そして見よ、メシヤが死者の中からよみがえり、御自分の民に、すなわち御名を信じる多くの者に御自身を現された後、エルサレムは再び滅ぼされる。神と神の教会の聖徒たちに逆らって戦う者は、災いを受けるからである (2 Nephi 25:14)。
- そして主は、彼らに御自分の言葉を伝えられる。それらの御言葉は彼らに、かつてユダヤ人が拒んだまことのメシヤを信じさせ、また、もうほかのメシヤがおいでになるのを待ち望む必要がないことを確信させるために与えられるのであるから、彼らは終わりの日にこれらの御言葉によって裁かれるのである。預言者たちの語るメシヤはただ一人であって、ユダヤ人はそのメシヤを拒むのであるから、ほかにメシヤが来るとすれば、それは民を惑わす偽りのメシヤにほかならない (2 ニーファイ 25:18)。
- したがって、贖いは聖なるメシヤによって、またメシヤを通じてもたらされる。それは、メシヤが恵みと真理に満ちておられるからである (2 ニーファイ 2:6)。
- 見よ、モーセはメシヤの来臨について、また神が御自分の民を贖われることについて、彼らに預言しなかったであろうか。また、世界が始まって以来、預言を述べてきたすべての預言者たちも、これらのことについて多少にかかわりなく述べてこなかったであろうか(モーサヤ 13: 33)。
教義と聖約の第13章は、復活したバプテスマのヨハネが、1829年にジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにアロン神権を授けた出来事について述べています。ヨハネは、次のように語りました。:
- わたしと同じ僕であるあなたがたに、メシヤの御名によって、わたしはアロン神権を授ける。これは天使の働きの鍵と、悔い改めの福音の鍵と、罪の赦しのために水に沈めるバプテスマの鍵を持つ。また、レビの子らが再び義をもって捧げ物を主にささげるまで、これは決して再び地上から取り去られることはないであろう (教義と聖約13:1)。
教義と聖約は、この他にもメシヤについて言及しています:
- この書は異邦人にあてたわたしの言葉であり、これはユダヤ人に、すなわちレーマン人はその残りの者である、そのユダヤ人に間もなく伝えられるであろう。それは、彼らが福音を信じて、すでに来ているメシヤが来るのを待ち望むことのないようにするためである (教義と聖約19: 27)。
- また、イスラエルの散らされた残りの者で、地の果てに追い出された者が皆、真理を知るようになり、メシヤを信じ、虐げから贖われ、あなたの御前で喜びますように (教義と聖約109: 67)。
