ヘンリー・B・アイリング
出典: MormonWiki
ヘンリー・B・アイリング管長は、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会の第二顧問です。 ヘンリー・ベニオン・アイリングは1933年5月31日にニュージャージー州で生まれました。成長期を過ごした教会の小さな支部は、ホテルの部屋とかアイリング家で集っていました。
両親は高度の教育を受けており、父親のヘンリー・アイリング・シニアはプリンストン大学において化学の教授をしていて、数多くの賞を受賞していました。母親はユタ大学を卒業し、博士号の取得を目指していました。アイリング長老の父親はまた、教会の元大管長.スペンサー・W・キンボールの妻カミーラ・アイリング・キンボールの兄弟だったのです。従ってアイリング長老はスペンサー・W・キンボール大管長の甥に当たるわけです。
アイリング長老は物理学を専攻してユタ大学から学位を取得した後、米国空軍に入隊し、ニューメキシコ州へ派遣されました。そこで地方部宣教師に召され、2年間奉仕しました。その後、ハーバード大学大学院経営学研究科で経営学の修士号と博士号を取得し、その後スタンフォード大学大学院経営学研究科で教鞭を取りました。1961年キャサリーン・ジョンソと会い、1962年7月にユタ州ローガン神殿で結婚しました。
その後もアイリング長老は教鞭を取り、さらにはFinnigan Instrument Corporation の幹部職、System Industries Incorporated(コンピューター製造会社) の創始者および取締役を務め、早朝セミナリーを教え、2度にわたってビショップ として奉仕しました。
1971年には、リックス・カレッジ(現在のBYUアイダホ校)の学長に就任し、在任中に宗教のクラスも教えました。子供は男子4人、女子2人の6人。リックス・カレッジの学長を5年間務めた後、教会教育システムの副委員長として働くよう要請され、3年後には教育委員長になりました。
1985年、ヘンリー・B・アイリングは教会の管理ビショップリックの一員となるように召しを受けました。その後七十人の職に召されましたが、引き続き教会教育システムの教育委員長としての職務は果たしました。 1995年 4月1日には、十二使徒定員会の一員として聖任されました。 2007年10月6日、アイリング長老はジェームズ・E・ファウスト管長が死去された後を継いで、大管長会の第二顧問に聖任されました。
ヘンリー・B・アイリングの言葉
「この世が造られる前から、光と闇、善と悪の間の闘いが続いています。その激しさは衰えを見せず、死傷者は増え続けているようです。破壊者は神のすべての子供たちを不幸にしようとしています。わたしたちのだれもが、その破壊者の力に翻弄されている人々を愛する家族の中に抱えています。眠れぬ夜を過ごしている人も多くいます。わたしたちは危機に瀕した子や孫の周囲に渦巻く力に対抗して、善の力を懸命に増し加えようと努力してきました。」
- ~(「教義を教える力」『リアホナ』1999年7月号、86)
「天のお父様からの霊感による勧告にすぐに従わなかったり、自分は例外だと思ったりするときにはいつでも、自分の身を危険にさらさせたのだと思い知らされました。また預言者の勧告に耳をかたむけ、祈りによってそれが正しいことを確信したときには、いつも自分は安全だと感じることができました。人生を通してわたしの行くべき道が備えられていて、途中の険しい箇所がなめらかにされているのがわかりました。神が愛をこめて備えてくださった道を通るときに、わたしを安全へと導いてくださったのです。」
- (「勧告の中に安全を見出す」 『フレンド』1998年8月号)
外部リンク(英文)
- Henry B. Eyring -- Grampa Bill's General Authority Pages
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