ヒーバー・C・キンボール
出典: MormonWiki
[1][2] は揺籃期の末日聖徒イエス・キリスト教会において重要な役割を果たした人物で、予言者ジョセフ・スミスに召された最初の十二使徒の一人でした。後に予言者ブリガム・ヤングの顧問も務めました。
ヒーバー・C・キンボールは1801年6月14日に、バーモント州シェルドンで生れました。しっかりした家庭に生を受けた彼は、聖書を基盤にした教えを受けました。しかし両親はどの教会にも属してはいませんでした。12歳になってから、物事を真剣に考えるようになり、救いについて知りたいと思いました。神について教えてくれる人を見つけることができなかったために、彼は自分自身どの教会にも入らず、できるだけ正直に道徳的な生活をしようと心に決めていました。
ヒーバー・C・キンボールは14歳の時から鍛冶職人として訓練を受けて仕事にはげみ、1822年21歳にして結婚しました。1831年、彼と親友の一人ブリガム・ヤングは、末日聖徒イエス・キリスト教会から5人が町に来ていて、説教をするという話を耳にしました。好奇心に駆られた二人は、集会に出席しました。この福音について聞いたのは、これが初めてでした。それから間もない1832年4月16日、ヒーバーはバプテスマを受け、教会に入りました。ブリガム・ヤングもバプテスマを受け、後に教会の第二代目予言者となりました。妻も2週間後にバプテスマを受けました。同じ年の10月末、ヒーバーは家族と共に、当時の教会本部があったオハイオ州カートランドに移住しました。
1834年、キンボール長老はジョセフ・スミスをはじめ多くの人々と共にシオンの陣営に参加しました。このグループの目的は、ミズーリ州で迫害を受けていた会員たちを助けることでした。この時、キンボール長老は予言者ジョセフ・スミスの護衛に当たる20人の一人に選ばれました。
ヒーバー・C・キンボールは、1835年2月14日、使徒の一人に召され、同年5月には初めてアメリカ東部およびカナダへの伝道に出立しました。1836年5月には別の伝道に召され、30人をバプテスマに導きました。これらの伝道は、ヒーバー・C・キンボールを次の任務に備えたのです。1837年6月4日、日曜日、予言者ジョセフ・スミスは、「カートランド神殿のメルキゼデク側、一番前の席に座っていた私のところへやってきて、私の耳にささやいた。『ヒーバー兄弟、主の御霊が私にこうささやかれました、私の僕ヒーバーを英国に派遣し、福音を宣べ広めさせなさい。そしてかの国で救いの扉を開けさせなさいと。』」(ヒーバー・C・キンボールの日記より)
キンボール長老はこの任務を受け入れました。そしてキンボール長老を助けるためにオルソン・ハイド、ウィラード・リチャーズ、ジョセフ・フィールディングも同行しました。 1837年8月6日、28名の改宗者を得て、アメリカ以外の土地で初めての支部が結成されました。教会は英国で急速な成長を遂げ、1837年10月には最初の支部を5つに分割する必要が出てきました。8ヶ月にわたる伝道の終わりまでに、キンボール長老は合計1,500人にバプテスマを施しました。1840年には再び英国で伝道し、同様な成功をおさめました。
1844年、ジョセフ・スミスが暗殺され、会員たちはイリノイ州から追われました。キンボール長老はブリガム・ヤングを助けて、聖徒たちがユタへと脱出する計画を企てました。1847年, キンボール長老はブリガム・ヤング大管長の顧問として、教会の大管長会に召されました。それ以来キンボール管長は、1868年6月22日に死去するまで、教会のために様々な責任を果たし、英国への伝道を監督しました。

