ハルマゲドン

出典: MormonWiki

ハルマゲドンという言葉は通常、キリストの再降臨の直前の終わりの時に起こると預言されている戦争のこと、即ち「ハルマゲドンの戦い」に関する事柄を指して使われます。

注:ヘブル語「ハルマゲドン」とは?:Har Meggidon=Mountain of Meggido=メギドの丘

教会聖句ガイド:ハルマゲドンは「メギドの丘」を意味するヘブライ語から派生した言葉である。メギドの平野は、エルサレムの北方訳80kmに位置するエスドラエロン(エズレルという呼称もある)平原の西部にあり、旧約の時代、幾度か激しい戦闘があった場所である。主の再臨近くに行なわれる大規模な最後の戦いがハルマゲドンの戦いと呼ばれているのは、それがこの地で始まるからである。(エゼキエル39:11、ゼカリヤ12-14章、特に12:11,黙示録16:14-21を参照)

目次

最後の戦いハルマゲドンに関する預言

ハルマゲドンの戦いに軍勢が集合することに関する黙示録16:16の記述には以下のように幾つかの訳があります。

「汚れた霊どもは、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ばれる所に、王たちを集めた。」(新共同訳)
「三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。」(口語訳)
”And he gathered them (three unclean spirits) together into a place called in the Hebrew tongue Armageddon.”(欽定訳)

また預言者ヨエルもこのエスドラエロン(またはエズレル)平原、あるいはメギドの谷に軍が集合することを預言しています。

「群集よ、決断の谷にいる群衆よ、決着の谷における主の日が近いのだから。」(Multitudes, multitudes in the valley of decision: for the day of the Lord is near in the valley of decision [Joel 3:14]、欽定訳より抜粋。日本聖書教会訳聖書にはヨエル3:14は存在しません。)

戦場メギドの谷

この戦いの中心は、イスラエルの中心から北、ガリラヤの南部で、ギリシャ語では「[エスドラエロン(またはエズレル)平原(The Plain of Esdraelon)」と呼ばれるメギドの谷で起こります。メギドの谷は、エルサレムの北、およそ60マイル(96.5km) に位置しており、幅広い肥沃な平野です。今日、そこは極めて生産的な農耕地となっています。ハイファ湾北岸からヨルダン川の南東方向に向かって横たわり、最も広いところでは幅15マイル(約24.1km)ほどあります。この平原はナザレ隆起の北、カルメル山、ギルボア山とサマリアの丘の南にわき腹に広がっています参考地図

古代メギドの谷は、商人たちが頻繁に通ったルートで「ヴィア・マリス(マリス街道 "Via Maris.")或いは海岸経路(Way of Sea)参考地図)と呼ばれていました。エジプトのアレキサンドリアからまっすぐイスラエルを通過してシリアのダマスコに及ぶその通貨経路は、防衛上の戦略地点であり、要塞都市がこの谷に建設されていたからです。

メギドの町は、ヘブル語で「軍隊の集合場所」という意味があります。またハル・メギド(Har Megiddo)或いは「メギドの丘」としても知られています。ちなみに英文聖書ではアルマゲドン(Armageddon)とされています。この町では、エジプト軍、アッシリア軍、古代イスラエル軍、ローマ軍、バビロニア軍、ヨーロッパの十字軍、アラブのモスラム軍、現代のイスラエル軍などが何世紀にもわたって数々の戦いを繰り返してきました。

ハルマゲドンの戦いに至るまでの出来事

ハルマゲドンの戦いが実際始まる前に、特定の出来事が起こることが預言されています。:

  1. イスラエルの家が祖国に集まり、エルサレムとイスラエルの国家が再建される (エゼキエル36:34; 37:21)
  2. イスラエルの地が豊かに生産的になる (エゼキエル36:8, 29-30, 34-35).
  3. 国家が統一され、古代イスラエルのようにユダ王国とイスラエル王国という区別がない
  4. エルサレムがその首都となる
  5. ユダが強大な国家となる
  6. 邪悪な国家及び/または組織(機構)が悪魔に仕え、イスラエルに対抗して立ち上がる

ゴグとマゴグ

教会聖句ガイド「ゴグ」:マゴグの王。エゼキエルは主の再臨の時にゴグがイスラエルを攻めると預言した(エゼキエル38-39章)。ゴグとマゴグの戦いと呼ばれる別の戦いが福千年の後に起こる(黙示録20:7-9、教義と聖約88:111-116)

教会聖句ガイド「マゴグ」:聖書にでていくる、黒海近くの地とそこに住む民の名。彼らの王ゴグは、キリスト再臨前の最後の大戦争でマゴグの軍勢を指揮する(エゼキエル38:2、39:6)。聖典には、福千年の終わりに神の軍勢と悪の軍勢の間で行われる、ゴグとマゴグの戦いと呼ばれるもう一つの大戦争についても述べられている(黙示録20:7-9、教義と聖約111:116)

「ゴグとマゴグの戦争」は3年半続き、地のすべての国々が何らかの形でイスラエルの国家を支援するか攻めるかの姿勢で関わります。悪の勢力は聖典で「ゴグとマゴグ」と呼ばれています。また聖典には、福千年後に起こる大きな戦争で、天使長ミカエル(アダム参照。またゴグとマゴグと呼ばれるサタンの勢力を参照。)が率いる義の勢力が、ゴグとマゴグの軍隊と交戦することが書かれています(つまり福千年の前と後の両方に善と悪の戦いがあるのです)。

「お前は北の果ての自分の所から、多くの民を伴って来る。彼らは皆、馬に乗っている大集団、大軍団だ。
あなたはわが民イスラエルに攻めのぼり、雲のように地をおおう。ゴグよ、終りの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。」(エゼキエル38: 15-16).

ブルース・R・マッコンキーは次のように説明しました。:

「これらの預言は、イスラエルの味方となり、あるいは攻めて交戦する現代の国々がどの国であるかを名指ししていないが、ゴグとマゴグに当たる国々とは、主の選ばれた種の残りを打ち破り、破壊することを狙って連合する国々を指している。」(モルモンの教義 p. 298).

古代の預言者は、ゴグとマゴグの軍勢について述べています。 預言者エゼキエルは、「彼らはみな武具をつけ、大盾、小盾を持ち、すべてつるぎをとる者で大軍である」(エゼキエル38:4)と述べ、 そして攻めてくる時は 「暴風のように進み、雲のように地をおおう」(9節)、「多くの民」がゴグにつき、「みな馬(戦争で武力の象徴)に乗り、その軍隊は大きく、その兵士は強い」(15節)と預言しています。

預言者ダニエルは、他の軍勢が「立ち向かう力が」ないような「大いなる軍」をもって攻めてくると述べています(ダニエル11:13, 15)。そして、「戦車、騎兵、大船隊をもって、嵐のように押し寄せ、各国に攻め入り、洪水のように通過して行く。」(40節)と預言しました。


預言者ヨエルは、前代未聞の強大な軍勢だと述べて次のように表現しています。

「これは暗く、薄暗い日、雲の群がるまっくらな日である。多くの強い民が/暗やみのようにもろもろの山をおおう。このようなことは昔からあったことがなく、後の代々の年にも再び起ることがないであろう。」(ヨエル2:2).

また、その破壊力をこのように述べています。

「火は彼らの前を焼き、炎は彼らの後に燃える。彼らのこない前には、地はエデンの園のようであるが、その去った後は荒れ果てた野のようになる。これをのがれうるものは一つもない。
そのかたちは馬のかたちのようであり、その走ることは軍馬のようである。
山の頂でとびおどる音は、戦車のとどろくようである。また刈り株を焼く火の炎の音のようであり、戦いの備えをした強い軍隊のようである。」(ヨエル2:3-5)

さらにヨエルは、その軍勢が極めて高く訓練された戦闘力と持ち、実質的に打ち破ることができないと述べています。

「彼らは勇士のように走り、兵士のように城壁によじ登る。彼らはおのおの自分の道を進んで行って、その道を踏みはずさない。
彼らは互におしあわず、おのおのその道を進み行く。彼らは武器の中にとびこんでも、身をそこなわない。
彼らは町にとび入り、城壁の上を走り、家々によじ登り、盗びとのように窓からはいる。」(ヨエル2:7-9)

一方、黙示者ヨハネは、象徴的なイメージを使ってこれを述べています。

「また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。」(黙示録9:8-9)

また軍隊の数と様子も詳細に及んで述べています。

「騎兵隊の数は二億であった。わたしはその数を聞いた。」(黙示録9:16)
「そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。」(黙示録9:17)

ブルース・R・マッコンキー長老は、次のように述べています。

「これらの古代の預言者が、騎兵隊と戦車団と火炎放射器、飛行機や空中輸送の砲弾、投下爆弾などを爆発させるミサイル、悪人たちが待望し嗜好する時代に発明されるであろうその他の武器で兵が強力な装備を装着しているのを(示現の中で)目撃したことはあり得ることだ。」(新約聖書教義解説”Doctrinal New Testament Commentary”, 3:503). [1]

オーソン・ブラットは、この軍勢を募る方法について述べています。: 「彼(悪魔)は彼らの軍勢を集合させた後、ユダヤ人を破壊する為にエルサレム付近を囲む幾つかの谷に何百万人という人々を集めるだろう。悪魔はどのようにこれを行なうのか?彼は、人を集める為に奇跡を起こして見せるのだ。聖書には地の王たちと偉大な者たちがこの偽りの奇跡で騙されると書いている。聖書には3つの汚れた霊たちが奇跡を起こすために出てくると書いてあり、この汚れた霊とは悪魔の霊どものことを指しているのだ。彼らはどこへ向かうのか?地の王たちに向かっていく。そして彼らは何をするのか?全能の神の大いなる日に戦うために彼らを集めるのだ。どこでそれがおこるのか?ハルマゲドンの谷においてだ。」 (説教集7:189).

二人の預言者

この戦いが激しさを増す時、エルサレムは偉大な力を持つ二人の預言者によって守られます。黙示者ヨハネは、これら二人の関与する者に関して最も詳しい説明を与えています。

「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう。
彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。」 (黙示録11:3-4)

末日の啓示は、この二人の預言者について詳しく教えています。

「…彼らは、終わりの時、回復の時にユダヤ民族に対して立てられ、ユダヤ人が集められて彼らのそんぞの地にエルサレムの都を築いた後に彼らに預言することになっている。」(教義と聖約77:15)

ブルース・R・マッコンキーは次のように書きました。

「二本のオリブの木、そして二本のろうそくは、二人の証人の象徴だ。その意味は、恐らく、オリブの木のように、彼らは花婿(キリスト)に会うために出て行く人々のランプのための油を与える (黙示録11:5–6参照)。…そしてランプのように彼らは光、すなわち「世の光」である主からもたらされる光を人々に与えるのだ。これらの預言者は、地上に大いなる裁きを宣言する力を持っている。彼らは、敵を焼き尽くしてしまうために天から火を呼び降ろし、三年半の間、すべてのイスラエルに雨が降らないように天を閉じたエライジャのような力を持っている(列王記上17章と18章; 列王記下1章)。そして言葉によって水を血に変え、エジプト人の上に過酷な飢饉をもたらしたモーセのような力を持っている (出エジプト7, 8, 9, 10)。[1]

さらにパーリー・P・プラット長老は次のように記しています。:

「黙示録の第11章の中で、ヨハネは、この同じ出来事についてさらに多くの細かな事を私たちに与えている。彼は、ユダヤ人によって(エルサレムの)町と神殿が再建された後に、異邦人が42ヶ月これを足の下に踏みつけにし、その間、二人の預言者が続けて預言し、偉大な奇跡を行なうと教えている。そしてこれはこれらの二人の預言者が奇跡を続けて行なっている間、異邦人の軍勢が完全にその町を破壊し、打ち破ることを妨げることになるだろうと教えていると思われる。」(「警告の声」(“A Voice of Warning,” )p. 33).

イザヤは、これらの預言者を「二人の息子」と呼び、彼らはイスラエルの解放の唯一の希望だからだ。なぜなら彼らには「主の憤りが満ちている」ためだ(ジョセフ・スミス訳イザヤ51:19-20、17-18節も参照)。     

ヨハネは、最終的にこの二人の預言者は、イスラエルに対抗する軍に捕獲され殺され、悪の軍勢が彼らを殺したことを祝っている間、彼らの遺体はエルサレムの通りに「3日半間」放置されます。

「そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。(黙示録11:7-10)

二人の預言者の遺体が通りに横たわっているこの三日半の間、軍隊はエルサレムの町とイスラエルの生き残りの人々を破壊します。(黙示録11:9)その後、これらの二人の預言者が復活し、キリストの再臨にキリストに加わります。

エルサレム陥落

主の二人の預言者がゴグとマゴグの邪悪な軍隊の手にかかると、エルサレムは、主が義しい人々を差し向ける以外、最早これを守るものがなくなります。ゼカリヤは、エルサレムの町が略奪される最後の究極の時、イスラエルの国のわずか三分の一だけが生き残りると記しています。

「わたしは万国の民を集めて、エルサレムを攻め撃たせる。町は取られ、家はかすめられ、女は犯され、町の半ばは捕えられて行く。しかし残りの民は町から断たれることはない。 」 (ゼカリヤ14:2、13:8–9; 14:1も参照)
「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。」(ルカ21:20).
「私たちの主の再降臨の瞬間に、『すべての国民』は、『エルサレムと戦いをするために集』まります(ゼカリヤ11,12,13,14)。そしてハルマゲドンの戦いが進行します(明らかにエルサレムからメギドの全域、恐らくその地域以上に広がる)。[1]

栄光に包まれて再臨される救い主

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は、何人かの預言者の言葉を引用した後、次のように書いています。

「様々の預言者からのこれらに関する聖句を読んだ。イザヤが、主は全世界戦争の渦に巻き込まれるままにされると言ったこと、エレミヤがこれと同じ、恐ろしい出来事を預言し、ダニエルも同じく預言したのを読んだ。エゼキエルも同じ預言をした。またヨエル、ゼパニヤ、ゼカリヤもすべてがこの終わりの日、すなわち日が暗くなり、月が血の色に変わり、星が天から落ち、地上の国々がエルサレムを攻める為に集まると宣言した。これらすべての預言者がこれについて語り、『そのとき、主は立って隠れ場所から出て来』られる。[1]

イスラエルの完全な陥落が避けられなくなったその瞬間、キリストが力と栄光をもって再臨されます。

キリストは「盗人のように」、すなわち期待していない時に来られ、彼の再臨が起こると約束されていたように、劇的な出来事が起こるのです(黙示録16:14-21)。「神の大宴会」と呼ばれた悪の破滅のアルマゲドンの戦いが終わりを告げます。(黙示録19:11–18). [1]
「そのとき、彼らはわたしを待ち望むであろう。見よ、わたしは来る。そして彼らは、天の雲の中に、力と大いなる栄光とをまとって、すべての聖なる天使たちとともにいるわたしを見るであろう。また、わたしを待ち受けない者は絶たれるであろう。
しかし、主の腕が下る前に、一人の天使がラッパを吹き鳴らし、眠っていた聖徒たちは雲の中でわたしに会うために出て来る。
さて、あなたがたは安らかに眠っていたならば、幸いである。なぜなら、今わたしを煮て、わたしがいることを知っているように、あなたがたはわたしのもとに来て、生きて、あなたがたの贖いは完成されるからである。また、聖徒たちは地の四方から出て来るであろう。
それから、主の腕がもろもろの国民に下る。
そしてその後、主はこの山の上に足を置く。すると、これは二つに裂ける。また地は揺れ動き、あちらこちらとよろめき、また天も震える。」(教義と聖約45:44-48)

そして生き残ったものは、その間を通って逃げ、キリストが悪の軍勢の上に破壊をもたらします。やがてキリストの下にくるように招かれた者は、彼の十字架の傷跡を見て、手で触れてイエスが、確かに彼らの救い主であることを悟ります。

キリストの再臨は、ハルマゲドンの戦いの生き残りを救うだけでなく、全地にも及びます。:

  • 二人の預言者の復活:エルサレムの通りに死んで横たわっている二人の預言者はが人々の目の前で復活する。
「三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。」(黙示録11:11-12) (プラット、「警告の声」”Voice of Warning,” p. 33)
  • 前代未聞の大地震:全世界が経験したことのない規模の前代未聞の地球全域に影響する一つの地震が起こる(黙示録11:13; 16:18; エゼキエル38:19–20; ハガイ2:6–7参照)。
  • 地質的な大変化:島々と大陸が一つになり、地球の陸地が一つとなる。すべての谷や低地が隆起し、山や丘が低くなる。今日の隆起のある地形は、福千年の園として平坦になる。最も深い海洋、恐らく大西洋、が北方の元の場所に退き、地球は陸地が分かれる前の日のようになる。:
『そして、彼はシオンから声を発し、またエルサレムから語って、その声はすべての人の中で聞かれるであろう。
それは大水のとどろきのような、また激しい雷鳴のような声であり、山々を崩すであろう。そして、もろもろの谷は見えなくなる。
彼が大いなる深みに命じられると、それは北の地方へ退き、島々が一つの地となる。
エルサレムの地とシオンの地は、それぞれの所に戻り、』 (教義と聖約133:21–24). [1]
  • 新しい川と死海の癒し: 上記の地震は明らかにエルサレムに大きな隆起をもたらし、この結果、新しい川ができ、地中海の西の方向、死海の東の方向に向かって流れる。 (ゼカリヤ14:8–9; ヨエル3:18(聖書ラテン語訳エズラを参照); エゼキエル47:1–5)。この川のため、死海の水が癒される。すなわち、死海沿岸に青々とした草木に囲まれ、水の中は魚で一杯になる (エゼキエル47:6–12; ジョセフ・スミスの教え p. 286).
  • エルサレム、平野となる :エルサレム周辺地域は、現在丘陵地形だが、「平野」のようになだらかになる。(ゼカリヤ14:10).
  • ユダヤ人、イエス・キリストをメシヤとして悟り、改宗する:キリストの足を置かれた山が南北に切り開かれ、ユダヤ人がそこを通って逃げる時、彼らを解放されたメシヤを見る。感謝と喜びに満ちて、彼らがイエスのまえに額づく時、ユダヤ人はキリストの手足の傷を見る。そして突如、彼らはそれがユダヤ人の中にお生まれになり、彼らが十字架に掛けた、かのメシヤ、イエス・キリストであることを悟る。ユダヤ人の国は、彼らの神に改宗する。(ゼカリヤ14:5; 12:9–10; 13:6; 教義と聖約45:47–53.)
  • 主の憤りの裁き:主の憤りは、前述の最大の激しい地震に加え、主の他の裁きがゴグの軍勢の上に下る。ゴグの軍勢は、恐らくこの大地震で混乱状態に陥った為、互いに刃向かう(エゼキエル38:21; ゼカリヤ14:13)。激しい火と雹の雨がこの軍勢の上に降りかかる (エゼキエル38:22; 教義と聖約29:21; Revelation 16:21)。ヨハネはその雹は1タラントの重みがあると述べているが、1タラントは約75.6ポンドまたは34.3 kg(Bible Dictionary, “weights and measures”項のタラントを参照)。エゼキエルは、マゴグの地に向かって火が送られるとも記している (エゼキエル39:6)。エゼキエルの記述は、原子爆弾のことを指している可能性もある。イザヤは、その火によるその地自体への影響を預言している(イザヤ34:9–10)。ひどい病気と惨事をもたらす疫病がその軍勢を襲う。(ゼカリヤ14:12;教義と聖約29:18–20と比較せよ)。この結果、主の裁きから生き残るのは侵略軍の6分の一しかなく(エゼキエル39:2)、戦闘力は壊滅されてしまう。
  • 戦後の処理:荒廃が余りにも激しいため、イスラエルは戦争の後、7年間略奪品で生活する (エゼキエル39:8–10)。死者の埋葬に7ヶ月を費やし、埋葬に当たる人々は、地を清めようとして残りの遺骸を探し求める(エゼキエル39:11–16). [1]

福千年の到来を告げる

ハルマゲドンは、世界の終わりのきっかけで、『悪人の滅亡』としてて意義付けられていますジョセフ・スミス訳聖書マタイ1:4。しかし、それは、キリストの統治の福千年と千年間の平和の到来を告げる道を備えるためです。人類は、驚くべき義に適った時代、健康、教育繁栄そして安全な時代に入ります(イザヤ65:17–25;ゼカリヤ14:9, 16–20;教義と聖約84:98–102; 101:23–24; 133:52–56を参照)。福千年の時代は、悪人の広範囲に及ぶ滅亡なくしては始まることができません。ですからハルマゲドンの戦いが始まり、その恐ろしい出来事を考える間、世界の悪のためにこれが必要であり、最終的に世の贖いのための主の計画で重要な役割を果たすのです。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は、次のような見解を述べておられます。

これらの事柄は快い出来事でないことは分かっています。ここに立って皆様に聖書に書かれていることを言うのは、快いことではありません。もし主が国々と争うことをされるなら、主は剣を持って行なわれます。悪人の体は、地上にこやしのように埋められないまま横たわります。

好ましいことではありませんが、私たちは知っておくべきではありませんか?これらのことを読んで理解するのは私たちの義務ではありませんか?これらのことを私たちが知って、謙遜と、悔い改め信仰を通して私たちを備えることができるように、そして古代の預言者が書き表わした恐ろしい状態から私たちが逃れることができるように、主がこれらの事を与えてくださったとは思いませんか?

ですから私はこれらの事柄を読むのです。これらの状況についてあなた方が鋭い感覚を感じるように私も感じており、それに終わりがあるように祈りますが、その終わりが正しい終わりであってほしいと思います。

…主がそのみ業を早められるよう、これらすべてのことが起こっている間、早くそれを成されるよう願って、終わりが早く来るように、平和が到来するように、私は毎日そのように祈っています。そして、以前に私が話したように、再び繰り返して言います。私はさらに良い世を望んでいるがため、この世界の終わりを祈っています。私はキリストの再臨を願っているのです。私は平和の統治を欲しているのです。わたしは、すべての人が信仰の精神と謙遜さと祈りを以って平和に生活できるときを望んでいます。」[1]

参考資料