デビッド・O・マッケイ

出典: MormonWiki

デビッド・O・マッケイ[1]は末日聖徒イエス・キリスト教会の第9代大管長 で、1951年から20年後に世を去るまで在職しました。

デビッド・オーマン・マッケイは1873年 9月8日に、デビッドとジェネット・エバンズ・マッケイの第3子として生まれました。3歳の時、マッケイ家には数々の試練が訪れました。2人の姉、マーガレットとエレナ、が数日のうちに次々と息を引きとったのです。その1年後、スコットランドへの伝道に召された父親は、身重の妻と幼い息子に農場を任せて伝道に出ることを大変心配しました。しかし母親は、「もちろん召しを受けてください。私のことは心配しないで。デビッドと私はだいじょうぶですから。」と言って、夫が召しを受けることを勧めました。こうしてデビッドの父親が伝道に出ている間、家族は大きな祝福を受け、農場は何の問題もなくすべてがうまくいきました。

15歳の時、デビッドは日曜学校の書記に召され、1893年にはクラスを教える責任を与えられました。デビッドが教えることに大きな愛着を覚えたのはこの時でした。そしてその愛着は生涯を通して消えることはありませんでした。

デビッド・O・マッケイが20歳の頃、祖母は子供たち一人一人に2,500ドルずつを贈り物として与えました。デビッドの母親は断固として、「このお金は1セントたりとも子供の教育以外には使わない」と譲りませんでした。そのおかげで、デビッドと3人のきょうだいはユタ大学に入ることができました。デビッドは大学在学中に学生会会長や卒業生総代を務め、大学初のフットボールチームでプレーもしました。またユタ大学在学中に、未来の妻エマ・レイ・リッグスに会いました。

1897年、デビッド・O・マッケイはイギリスへ伝道し、1898年にはスコットランドの宣教師たちを監督する責任を与えられました。そしてスコットランドで伝道中に偶然に見つけた古い建物の壁に書かれていた、「それが何であろうとも、自分の役割を立派に果たせよ」という言葉を生涯忘れませんでした。1899年に伝道から帰り、1901年、デビッドとエマ・レイ・リッグスは20世紀になってソルトレークシティー神殿で結婚式をあげた最初のカップルでした。

デビッド・O・マッケイは有能で献身的な教育者としてその生涯の殆どを過ごしました。ウィーバー州立アカデミーの学長になり、多くの人がまだ女性が教育を受けることを重要視していない時代に、その重要性を強調しました。また教会の日曜学校プログラムのために奉仕し、レッスンを作成しました。

1906年4月9日、デビッド・O・マッケイは、若干32歳で、使徒に聖任されました。日曜学校プログラムを管理する責任を受け、最初のレッスンマニュアルの1冊を書き上げました。教会の大管長になってからも、レッスンを書き続け、日曜学校プログラムに貢献しました。 

1934年からデビッド・O・マッケイは, 大管長会顧問としてヒーバー・J・グラントジョージ・アルバート・スミス に仕えました。ジョージ・アルバート・スミスが亡くなった後、デビッド・O・マッケイは1951年4月9日に、教会の預言者そして大管長として召されました。マッケイ大管長の指揮の下、専任宣教師のための最初のレッスンプランが導入され、宣教師のための語学訓練センターが設置され、「すべての会員が宣教師」という概念が強調されました。このような取り組みによって、教会のステーク数は倍増したのです。

前の教会預言者へ戻る」
次の教会預言者へ進む」

デビッド・O・マッケイ大管長の言葉

  • 「人は遠い昔から日々そして終日、まわりの人々の中で自分の立場や地位を左右する人格を築いています。....気高い人格を持つことは富よりも大切で、名声よりも永続し、幸福よりも尊いものです。人が創造された大きな目的は、気高い人格を築き上げることで、気高い人格は、まさにその本質から、この世での試しの期間に自分を制することによる産物であると言われています。
「人の魂は時間のように終りのないもの」『インストラクター』、1960年1月号」
  • 「通常、人の中には神性というものがあって、それが人を懸命に前へ、上へと進むように駆り立てます。わたしたちはこの内なる力は神からくる御霊だと信じています。人はこの世に来る前に生きていて、内にあるこの霊を完全なものにしようと、この地上にいるのです。人は誰でも、一生のうちいつかは、神との接触を持ちたいと思うものです。そしてその霊が神へと手を差し伸べます。このような感覚は誰にも共通するもので、すべての人が心底からこの同じ偉大な作業–すなわち霊的な平安と自由を求め、それを養うこと-を行うべきなのです。」
「大会報告」、1963年10月)


  • 「自分はだれも怒らせたり、傷つけたりしないように最善を尽くしたと潔白な気持ちで夜ベッドに横たわることができるのはすばらしいことです。心の中にある不義をすべて洗いぬぐい、貴い努力をするならば、その夜神に守ってくださるように祈るとき、神はあなたの努力を認めてくださったと感じることができるのです。あなたが神の子であり、神はあなたの魂を救いたいと願っておられると感じるのです。そして悪をしりぞける力を持ちます。また自分がいることでこの世はよくなったという実感をもつことができます。イエス・キリストの福音には、このような、またその他の数知れない徳や条件がすべて含まれているのです。」
「Man May Know for Himself」、クレア・ミドルミス編集、1967年

預言者の言葉も参照」

Template:預言者