ジョセフ・スミス・シニア

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ジョセフ・スミス・シニア

ジョセフ・スミス・シニアは、末日聖徒イエス・キリスト教会の設立者、ジョセフ・スミスジュニアの父親です。ジョセフ・シニアは、息子ジョセフが最初の示現を受けた時から息子を支えた勤勉な人物です。大祝福師を含め多くの教会の指導的立場を果たしました。ジョセフ・シニアは、ミズーリ州モルモン追放の迫害の後、亡くなり、殉教者の一人として数えられています。

ジョセフ・スミス・シニアは、1771年7月12日、マサチューセッツ州トップスフィールドに、アサエル及びメアリー・デューティー・スミスの11人の子供の3番目として生まれました。青年時代に両親と共にバーモント州ターンブリッジに移り、そこでルーシー・マックと出会いました。二人は1796年1月24日、タンブリッジで結婚しました。数年後、二人は幾つかの商売に手を出しましたが、うまくいきませんでした。経済的に窮地に陥り、バーモント州からニューハンプシャー州を転々と移り住みました。スミス家は1816年、遂にニューヨーク州パルマイラに移動し、間もなくマンチェスターとニューヨークの境界にある100エーカーの土地を購入しました。

1829年、預言者ジョセフ・スミス・ジュニアに与えられた啓示を通して、父親ジョセフ・シニアは、神の「驚くべき業」に着くように召されました。この啓示の直後、ジョセフ・シニアはモルモン書が真実であることを証言する八人の証人の一人となり、金版を実際に目にし、手にしてその存在を確認する機会を得ました。また1830年4月6日に教会がニューヨーク州の法律に従って組織された時に立会い、同日バプテスマを受け、教会員となりました。さらに1833年に教会最初の大祝福師に聖任され、この召しを通して、終生慰めと霊感の祝福を得ました。

ジョセフ・スミス・シニアとルーシは教会の移転に伴って、ニューヨーク州、オハイオ州、ミズーリ州、そして最後にイリノイ州ノーブーに移動しました。オハイオ州カートランド在住中は農場を経営し、ミズーリ州ファーフェストでは長期宿泊業を営みました。1839年には、迫害を避けてミズーリ州からイリノイ州クインシーへ向かう何百人という避難会員を援助しました。

1838年の秋、ミズーリ州での教会迫害が激化する折、ジョセフ・シニアは病を得ました。このような困難な状況の下で1839年、ミズーリ州からイリノイ州への脱出を強いられました。ノーブーでも体調は思わしくなく、遂に1840年9月14日、息を引き取りました。死の直前、彼の子供たちを死の床に呼び集め、最後の祝福を与えました。そして息子ジョセフには彼が神から与えられたみ業が終わるまで、命を落とすことはないと祝福しました。臨終の間際、ジョセフ・シニアは17年前病気で既にこの世を去った長男のアルビンの霊を見たと告げました。