カーセージの監獄
出典: MormonWiki
1844年、離反したモルモン、ウィリアム・ローは預言者ジョセフ・スミスに向かって、逮捕して首吊りにされるべきだとまでののしり、あらゆる口頭名誉毀損を以って教会を攻撃する新聞「ノーブーエクスポジター」(Naovoo Expositor)に発行しました。(同紙は第一号の発行をもって廃刊となっています。)これに対して、このままではモルモンに対する反感が増長すると見た ノーブー市議会は、同新聞が公的不法妨害を犯したという結論を出しました。さらに中傷目的の新聞の発行を中止しなければ、反モルモン勢力が刺激され暴徒化する恐れがあると判断し、印刷機の破壊を承認しました。ちなみにこの時点で過去20年間イリノイ州で印刷機の破壊措置が取られた件は20件ありましたが、この反対勢力がとったような暴力による対抗措置が取られたことはありませんでした。市議会の取ったこの法的処置に対して怒りを示したエクスポジター紙の発行人は、印刷機の破壊は財産権の侵害であるとし、ハンコック郡の幾つかの住民グループは、高まる緊張を避けるためモルモンのイリノイ州退去を要求しました。事態が悪化する中で、ジョセフ・スミス、ハイラム・スミス他は、州政府の保護のないまま、騒乱を安定化するにはジョセフとハイラムが出頭することが解決につながる唯一の方法だと悟り、ジョセフ、ハイラム、ジョン・テイラー、他15人の市会議員はその身柄を引き出すためにカーセージ[1]へ出頭しました。このとき出頭を強く要求したフォード知事は、モルモン以外の陪審員によって構成される裁判を受けない限り事を沈静化することができないと主張し、出頭と引き換えに身の安全を保障するという空約束をしましたが、文字通りこれは履行されませんでした。収監されたジョセフは何度も命が奪われると脅迫を受けていました。ジョセフとハイラムの暗殺は周到に計画されていました。
1844年6月27日、カーセージの監獄[2] でジョセフ・スミスは、妻のエマ・ヘイル・スミスに次のように手紙を書きました。:
- 「私が正当なことを知っており、天の定めに身を任せます。私にできるすべてのことは成し遂げました。私の愛を子供たちと友人につたえてください…あなたたち皆に神の祝福があるように。」(教会歴史6:605)
収監された日の午後、ジョセフ、ハイラム、ジョン・テイラーとウィラード・リチャーズの四人は、随分気落ちしていました。そこでジョン・テイラーが「悩める旅人」という賛美歌を歌うように頼まれました。この歌詞の一部は彼らの置かれていた状況に特に心に訴えるものであったと思われます。:
- 獄舎に謀反の刑を受く彼をみぬ
- われはあざけりの中、彼をたたう
- われは彼のため死ぬかと問われて
- 身は弱けれど、霊は「死ぬ」と叫びぬ
- この旅人見るまに姿変わり
- 救い主となりぬ わが前にたちぬ
- 「恐るな わが為 恥じずなせし わが業
- おほえらる」と我呼びて いい給いぬ
- (「悩める旅人」賛美歌第15番)
1844年6月27日、午後5時を少し回った頃、顔を真っ黒に塗った100人の暴徒らがカーセージに向かい、牢になだれ込み、ドアの後ろから発砲し始めました。ハイラムは左顔を打たれました。ハイラムは、「わたしは死ぬ」といいながら倒れました。ジョセフはハイラムの上に身をかがめ、「おお、ハイラム兄さん!」と叫びました。ジョセフはドアから暴徒に向かって三発発砲しました。ジョン・テイラーは窓から逃げようとしましたが、何度か撃たれました。一発は懐中時計にあたり、彼の体を窓から押し返し、もう一発は左手首、もう一発が左膝、そして最後の弾が左腰の肉を吹き飛ばしました。ジョセフ・スミスは、部屋の中にいては危ないと判断して、窓に行きました。ジョセフは外から撃たれ、殺されました。このときジョセフは「おお、わたしの神、主よ」と叫び、開け放たれた窓から、下へ落ちました。ウィラード・リチャーズは耳元を銃弾がかすめただけで無傷でした。これは以前にジョセフはウィラードに対して、銃弾がうなりを立てて飛び交う中でも、彼は守られ、無傷で逃れるだろうと予言していたことの成就です。
暴徒たちは外へ回ってジョセフが死んだことを確かめました。暴徒らが戻ってくることを恐れたウィラード・リチャーズはまだ息のあるジョン・テイラーを隣の部屋へ運び、わらの上に寝かせて、古く汚いマットレスをかけて隠しました。しかし、驚いた事に暴徒は逃げ去ってしまい、戻ってきませんでした。ジョセフ・スミスの弟、サミュエルがジョセフの命が危ないという知らせを聞いてカーセージへ向かってくる途中でした。彼がその夜到着しました。そしてノーブーの聖徒たちに彼らの預言者とハイラムが死んだことを手紙に書きました。サミュエルは暴徒らの追跡を受けて、生死の逃走で体力を消耗してしまい、高熱を発し、7月30日にはそれが元で息を引き取りました。
カーセージの監獄は、その後25年間監獄として使われた後、個人の住居に変換され、カーセージでは最も立派ないえの一つに数えられるようになりました。1903年に教会はその建物を4000ドルで買い取りました。それはジョセフ・F・スミス(ハイラム・スミスの息子)が教会の大管長を務めていた時でした。教会は1938年にlこの建物を復元しました。今ではこの地を訪れる人々のために一般公開されています。
外部リンク(英文)
- Joseph Smith - Home
- Wikipedia - Joseph Smith, Jr. - Wikipedia, the free encyclopedia
- Joseph Smith - American Prophet
- Joseph Smith Daguerreotype
- JS-H 1
- Fufilled Prophecies of Joseph Smith
- Joseph Smith - Lightplanet
- Joseph Smith
- Joseph Smith: Biography and Much More From Answers.com
- Joseph Smith Jr. - Wikiquote
- The Testimony of the Prophet Joseph Smith
- Joseph Smith - bellsouth
- Joseph Smith: Prophet, Revelator, Human; Interview with Richard Lyman
参考図書
「時満ちる時代の教会歴史」第22章「殉教」pp.273-285を参照

