オリバー・カウドリ

出典: MormonWiki

オリバー・カウドリは、末日聖徒イエス・キリスト教会の最初の教会員で、モルモンの歴史においては重要な人物です。オリバーはモルモン書の翻訳中、ジョセフ・スミスの書記として奉仕し、教会で最初にバプテスマを受けた人です。またモルモン書が真実であることを証した人でもあり、教会初期における指導者でした。オリバーは深遠な奥義を含んだ示現や奇跡的な出来事をジョセフ・スミスと共に経験し、初期の教会では権威的な立場でもありました。

オリバー・カウドリ, 1848
オリバー・カウドリ, 1848

オリバーは1806年10月3日にバーモント州ウェルズで生まれました。彼の生い立ちについての記録はほとんど見当たりませんが、最も古い記録には20歳のときにニューヨーク州に移ったことが書かれています。1829年まで商店の会計係をしており、その後マンチェスターで教鞭を執りました。オリバー・カウドリは、ジョセフの父親であるジョセフ・スミス・シニアとその妻ルーシー・マック・スミスの家に下宿していました。そこでジョセフの示現とモルモン書の翻訳の原稿のことについて聞きました。やがてオリバーはその仕事が神の真実のみ業であることを確信するようになり、ジョセフ・スミスの書記になることを望みました。

目次

ジョセフ・スミスの書記

オリバーは、1829年4月7日にジョセフの書記となり、モルモン書の翻訳が完成するまで共に働きました。オリバーにとってモルモン書に書かれている言葉を聞く機会は喜びでした。彼自身の言葉で次のように語っています。:

「天の霊感によって口述する声を耳にして座り、心の底から目覚めた日々を忘れることはできません。ジョセフがウリムとトンミム、あるいはニーファイ人が“翻訳器”と言った器具を使って、モルモン書と呼ばれる歴史または記録を翻訳し、私は彼の口から出る言葉を毎日毎日手を休めず書き続けました。」(Messenger and Advocate, October 1834, p. 14)

彼らが翻訳をしている時、ジョセフとオリバーはバプテスマについて知り、彼らもバプテスマを受けなければならないのかどうかを主に尋ねることに決めました。彼らが祈っていると、バプテスマのヨハネが天からの使いとして現れました。ヨハネは二人を「同じ業に働く僕」と呼んで、彼らをバプテスマを授ける権能のアロン神権に聖任しました。ジョセフとオリバーは近くのサスケハナ川に入って、ジョセフがまずオリバーにバプテスマを施し、次にオリバーがジョセフにバプテスマを施しました。それから間もなく、オリバー・カウドリは、古代の使徒のペテロ、ヤコブ、ヨハネの手によってメルキゼデク神権の回復されるのを見ました。

記録を翻訳している間、ジョセフとオリバーは、ジョセフに加えてその記録を目にして記録が存在することを証することをゆるされる三人の証人のことについて知りました。1829年6月、オリバーは、マーティン・ハリスデビッド・ホイットマーと共にこの三人の証人の一人となり、金版が存在することを証しました。三人の証人とジョセフが、森に入って祈っていると、一人の天使が現れて、彼らに金版を見せました。神の声が聞こえてきて、この出来事を証するように彼らに命じました。これらの証人たちは多くの苦難や葛藤を経験しましたが、一度もこの証を否定したことはありませんでした。オリバーはモルモン所の出版を監督する責任を与えられました。

教会の活動

オリバー・カウドリは、1830年4月6日に教会が正式に成立した後、はじめての公共の集会で話しをした最初の教会員です。オリバーの話と記録は、その論理性、自分自身で得た知識に基づいていることでよく知られています。教会組織後間もなく、オリバーは教会が最初に派遣する伝道活動を指導するよう頼まれました。その一行は、アメリカ・インディアンを教えるように指示されましたが、伝道に赴く途中でインディアン以外の他の人への伝道で成功を修めました。これらの努力の甲斐あって、教会員数は二倍に増加しました。1830年から1831年にかけて、オリバーは教会の最初のレコーダー(記録者)として働き、ジョセフ・スミスが聖書の翻訳をしている時、書記を務めました。オリバーは再び、この責任に1835年から1837年に就いています。彼は教会の公式議事録をつけ、教会発行の新聞に数多くの投稿をしました。1830年には「教会の第二の長老」として召され、ジョセフ・スミスの補佐として働きました。

1831年、オリバーはジョセフ・スミスの受けた啓示が書かれた原稿を出版する為に、ミズーリ州へ行くよう依頼されました。オリバーは、そこに留まり、ウィリアム・W・フェルプスが、これを発行する助けをするように求められました。一方、ミズーリ州で教会と地元住民の摩擦が激化してきたため、二人はオハイオ州へ戻らなければなりませんでした。1835年オリバーは、ジョセフ・スミスと現在教義と聖約として呼ばれている聖典の原稿に最後の訂正を入れる手伝いをしていました。翌年オリバー・カウドリはカートランド神殿でジョセフ・スミスが示現を受けたときに一緒にいました。この示現の中で、彼はイエス・キリストとモーセ、エライジャを含むその他の天のみ使いが神から送られたのを目にしました(教義と聖約110章参照)。それから2年後の1838年、ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリの間にジョセフの指導者としての立場に関して亀裂が生じました。オリバーは自分が教会でもっと権威を持ち、独立するべきだと考えるようになりました。やがてオリバーは、カートランド・セーフティー・ソサエティーの失敗後に収集した負債を集めようとしたこと、教会に不活発になったこと、またジョセフを姦淫を犯したと偽りの告発をしたことなどで、教会から破門になりました。 破門になった後、オリバーはオハイオ州に戻り、法律業を開業し、地元で著名な指導者となり、最も優秀な弁護士としての名声を挙げ、聡明であっても謙遜で控えめな人物として知られていました。1847年、彼はウィスコンシン州に移り、弁護士の仕事を続けました。彼の残した家族の手紙からは、彼が教会に対する信仰は失っていなかったものの、破門されたことで心が傷つけられたことが伺われます。1848年、オリバーは再び教会に戻り、妻と娘の二人と一緒にアイオワ州カウンシル・ブラッフスの教会に集いました。教会から離れていた10年の間、オリバーはモルモン書や彼が体験した示現を一度も否定したことはありませんでした。

晩年

カウドリが教会に戻った時、謙遜にバプテスマをもう一度受け、教会員としての親睦を深めたいという希望を表し、教会での指導的立場は一切退けました。1849年には資金の欠如と冬の到来で、家族ともどもミズーリ州に留まらなければなりませんでした。残念なことに、オリバーは呼吸器系疾患のため1850年3月3日、教会がユタ州に移る前にこの世を去りました。彼が最後に書いた手紙によると、ワシントンで教会のために陳情する召しを受け入れましたが、遂にこの召しを遂行することはできませんでした。彼の妻は、オリバーについてこのように書いています。

「聖なる使いの厳かな示現が人間の目に神が約束された隠された預言が明らかにされたその時から、彼がこの地上を去る瞬間まで、彼は常にモルモン書の神聖なことと真実であることを絶えず一つも疑うことなく、また否定することもありませんでした。」(Richard Lloyd

オリバー・カウドリに主が与えられた啓示の一つで、主は彼に忠実であるようにと次のように述べられました。:

「見よ、あなたはオリバーであり、わたしがあなたに語ったのは、あなたが望んだからである。それゆえ、これらの言葉をあなたの心の中に大切に蓄えておきなさい。神の戒めを忠実かつ熱心に守りなさい。そうすれば、わたしはあなたをわたしの愛の腕の中に抱くであろう。…わたしがあなたがたに命じた業をまじめに行ないなさい。あらゆる思いの中でわたしを仰ぎ見なさい。疑ってはならない。恐れてはならない。」(教義と聖約6:20,35-36)

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