エロヒム
出典: MormonWiki
聖書辞典によると、エロヒムという用語は、ヘブル語の旧約聖書には頻繁に使われていたが、英語に翻訳された時に取り除かれてしまったと書かれています。「エロヒム」はカナン人の言語「エル(El)」あるいはヘブル語の「エロア(Eloah)」の複数形で、いずれの言葉も「神」を意味しています。またアラビア語と比較すると、神をEloahと類似したアラー(Allah)という語が使われています。ヘブル語聖書には複数の「エロヒム」という用語が2570回使われているのに大して、単数形の「エロア」は57回使われています。
ヘブル語で使われる神(「エロヒム」)は、イスラエルの神を指す普通名詞の複数形で、創世記1:1にあるように、「はじめに神(ヘブル語でエロヒム/Elohimまたは文字通り神)は天と地とを創造された。」「エロヒム」という用語はまた、永遠の父なる神に当てはめることができ、全能の、昇栄した、万能の、最高権威のといった意味に使われます。
さらにヘブル語聖書で「イスラエルの神」を指す固有名詞は、「エホバ(Jehova)」が使われています。創世記32:9にはこう書かれています(()内はヘブル語聖書の表現)。
- 「ヤコブはまた言った、“父アブラハムの神(エロヒム)、…」と言われた主(エホバ)よ、”」
- ”Jacob said, O, God [‘elohim] of my father Abraham, ... the Lord [Jehovah] which sadist unto me, Return unto thy country.” (Gen. 32:9) (出典:Encyclopedia of Mormonism[1])
単数形での使用:末日聖徒は、「エロヒム」という名前を「固有の名前かつ父なる神を認識する称号」としてより制限的な意味で使っています。大管長会は、「永遠の父なる神は、“昇栄された者の名前かつ称号”としての‘Elohim’(エロヒム)であり、主であり救い主イエス・キリスト、及び人類の霊の文字通り親である方です。」(MFP5:26;Doctrinal Expositions of the First Presidency, “The Father and the Son,” appendices, Vol.4参照)
複数形での使用:古代イスラエルは、エロヒム(’elohim)をイスラエル以外の国民の神々を指して固有名詞の複数としても使いました。このような場合には、複数を示す為の動詞や形容詞が使われます。その例は次の通りです。
- 「あなたはわたしのほかに、なにものをも神(gods)としてはならない。」(()内は英文聖書での記述に基づく。)
- “Thou shalt have no other gods before me”(Ex.20:3: here “other” is a plural adjective)
しかし、エロヒム、エホバ、及び聖霊に加え(教義と聖約121:28―32)多数の主や神々の存在を信じていても、末日聖徒は父なる神を礼拝したイエスとパウロの模範(マタイ19:17、1コリント8:4-6)に従っています。
通常、「エル(El)」は多くの個人の名前に使われており、その例としてべセル(Bethel:神の家という意味)、マイケル(Michael:神のような者という意味)、ダニエル(Daniel:判事は神)、及びイスラエル(Israel:神と闘う人)などがあります。キリストは、「エル(El)」という言葉、「エロイ(Eloi)」を十字架上で使われましたが、それは「わが神よ」という意味です。
モルモンの教義
モルモンが複数の神を信じていることをしばしば避難する人がいます。狭義な意味で定義すると、複数でないということも可能です。このことについて、まずそして永遠の父なる神を私たちの神として礼拝していることが前提となります。
私たちの父なる神は、宇宙の最高権威を持ったお方で、常に私たちの霊の父であり、神であると信じています。さらにモルモンは神会は、父なる神とその御子イエス・キリストと聖霊によって構成されており、この神会では父なる神が常に神であるイエス・キリストと神である聖霊のお二方の頭として最高権威を以って神会を管理しておられることを信じています(神会を参照)。
末日聖徒は、神であること(godhood)は、人類の発達段階にいて完全に発達した状態であることだと信じています。言い換えると、父なる神はかつては、ある地上に住んだことのある人間であり、義の原則に従うことによって、昇栄と栄光化された状態に達した方であることを信じています。まだ地上で生活をし、昇栄と栄光に満ちた経験を持っていない私たちがこれを知る機会は稀なことですが、父なる神は、神は自ら復活を体験され、触知できる骨肉の体を受けられました。それは、ちょうど私たちの人生で、子供がやがて成長して家庭を持ち、いつの日か自分自身も父親になったとしても、私たち自身の父親は何があっても父親であることには変わりがないのと同じです。そしてその父親が尊敬と名誉と愛情を受けるにふさわしい父親であれば、彼の忠告に耳を傾け、義しい指導や導きに従い、私たちの愛情を示すことは、ちょうど私たちが神を愛し、神の教えに従い父なる神を敬い礼拝することと似ています。そしてこれが永遠の秩序であるとモルモンは信じています。
「父」という称号について、モルモンは文字通りの意味として理解すべきだと信じています。つまり、イエス・キリストも含め、私たちすべての人類の霊の父であられます。(と同時に、イエス・キリストの文字通りの肉体の父でもあります。)ですから人々は、神を父として呼び、人類を皆兄弟姉妹として呼ぶのです。この真理は、イエス・キリストが父なる神に捧げられた主の祈りで明らかです。
- 「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ」(マタイ6:9)
またキリストは、この原則を明瞭に教えられました。ヨハネ20:17には復活直後の主イエス・キリストはこのように語っておられます。
- 「わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。」
