ウリムとトンミム

出典: MormonWiki

ウリムとトンミムは、モルモニズムでは啓示を受けたり、言語の翻訳を助ける目的で、神が供えられた道具のことを指しています。ジョセフ・スミスは、ウリムとトンミムを使って金版を翻訳し、また主からの啓示を受けるためにも用いました。ウリムとトンミムという用語は、常に特別の一つの器具を指しているのではなく、ほかの物にもこの用語が当てはめられ、同じ目的を果たしていました。この用語のヘブライ語は、「光と完全」(lights and perfections)という意味です。前述の英語で示されているようにこの用語に複数形が使われている理由は、聖書学者らによると、ウリムとトンミムはある物品というよりむしろ預言の過程を指していると考えられているからです。モルモニズムでのこの用語の使い方は、単数形で啓示を受けるための道具として扱われています。

聖書の中で使われているウリムとトンミムという用語は、胸当てに嵌め込まれた神殿儀式用衣装の一部として説明されています。聖書には、アロンに始まり代々受け継がれていたことは記録されています(出エジプト28:30、レビ記8:8、申命記33:8、エズラ書2:63、ネヘミヤ書7:65)。

モルモンの標準聖典には、聖書に書かれていないその使い方に関する詳しい説明がかかれています。例えば、モルモン書のエテル書には、解読できない未知の言語で書かれた記録を翻訳する目的のために、主が授けられた二つの石であることが書かれています。歴史的にはこの記述がウリムとトンミム(二つの石、聖見者の石)についての最も古い記述で、バベルの塔の時代のできごとでした(モーサヤ28:11-20、エテル書3:23、28参照)。またアブラハム書には、アブラハムがウリムとトンミムを使って示現を受けたことが書かれていますが(アブラハム3:1&4)、恐らくそれはジョセフ・スミスが使ったものとは異なる道具だと思われます。アブラハムが使ったものが果たしてアロンから継承されたものかどうかは定かではありません。一方モルモン書のウリムとトンミムは、ジョセフ・スミスが翻訳するために使ったものと同一で、金版と一緒に埋められていました(教義と聖訳17:1)。モルモン書のウリムとトンミムは、前述のモーサヤ書に書かれているモーサヤ王の時代のもので、モーサヤ王はエテル書の原版の翻訳に使いました。その記述の中で、ウリムとトンミムは「翻訳器」として定義づけられています。またモルモン書には聖見者だけがウリムとトンミムを使うことができるとも書かれています(モーサヤ書8:13参照)。モルモン史の中では主の許しを得ずにハイラム・ページが聖見者の石を使おうとした事例があります(教義と聖訳28:11-12参照)。

ジョセフ・スミスが天使モロナイによって金版の埋めてある場所に導かれた時、ウリムとトンミムも一緒に埋めてありました。ジョセフは、銀のつるに嵌めた二つの石で、胸当てに装着させたと述べています(「高価な真珠」ジョセフ・スミス-歴史1章参照)。モルモニズムでウリムとトンミムについて述べる場合は、通常この特定の道具のことを意味しています。しかし、末日聖徒の聖典の中にはこれ以外の品がウリムとトンミムと呼ばれている場合が幾つかあります。ジョセフ・スミスは金版と一緒に埋められていた器具に加えて聖見者の石も持っており、それはほとんどモルモン書の翻訳に使われました。この石もまたモルモン史の中ではウリムとトンミムと呼ばれています。ジョセフ・スミスは一つの啓示の中で、神の住まいをウリムとトンミムとして述べています。その同じ啓示で、最後の裁きの後に地球が聖められた時、この地球に住むすべての人々にとってウリムとトンミムになることが書かれており、ウリムとトンミムとして働く白い石(黙示録2:17)が忠実な者に与えられると述べてあります(教義と聖約130:8-10)。

ウリムとトンミムの使用

ウリムとトンミムがどのように使われたかについてジョセフ・スミスの記録には、「ウリムとトンミムの仲介を通して私は神の賜物と力によってこの記録を翻訳した」(ウェントワース書簡エンサイン2002年7月号[1])ことが書かれていますが、彼はまたウリムとトンミムを通して主に尋ねた後、啓示を受けたことを記録しています。

ウリムとトンミムがどのように使われたか最も詳しく説明している記述は、オリバー・カウドリが翻訳の仕事を望んだときのことが、1829年4月にジョセフ・スミスが受けた啓示の中に記録されています。

  1. 見よ、あなたは理解していなかった。あなたはわたしに求めさえすれば、何も考えなくてもわたしから与えられると思ってきた。
  2. しかし見よ、わたしはあなたに言う。あなたは心のなかでそれをよく思い計り、その後、それが正しいかどうかわたしに尋ねるなければならない。もしそれが正しければ、わたしはあなたの胸の内から燃やそう。それゆえ、あなたはそれが正しいと感じるであろう。
  3. しかし、もしそれが正しくなければ、あなたはこのような感じを少しも受けず、思いが鈍くなり、それによって誤っている事柄を忘れるようになる、それゆえ、あたなたはわたしから与えられなければ、神聖なことを書くことはできない。
教義と聖約 9:7-9

これは金版の翻訳が単なる一字一字の翻訳でなかったことと思われ、むしろそれはもっと思いや考えが伝達され、熟慮した上で、はじめて聖霊によってその考えが正しいかどうかの確認を受けるという経過を辿らなければならなかったことを示しています。これは特に意味論上においても象徴においても私達に知られていない事柄が混乱することを避ける必要があることを示しています。例えば、イエス(Jesus)という英語の名は当然イスラエル人の間には使われていおらず、その代わりヨシュア(Joshua)という呼び方が使われていたのですから、もしイエス・キリストという考えがジョセフ・スミスに伝達されるべきならば、彼は翻訳の本文の中で誰のことが書かれているのかを熟慮した後、聖霊によって正しい翻訳に適した言葉を理解したのです。このように文字面での機械的な翻訳ではなく、奇跡的な本文の翻訳の過程は、その本文に込められているメッセージ自体を伝えることが最も重大なことなのです。

外部リンク(英文)