ウィンタークウォーターズ
出典: MormonWiki
モルモンの預言者であるジョセフ・スミスの殉教を含むイリノイ州の暴徒と地元住民の迫害に続いて、末日聖徒イエス・キリスト教会(俗にモルモン教会と呼ぶことがある)の教会員たちは、1846年2月4日、イリノイ州ノーブーを離れ始めました。聖徒達は、春に出発する計画でしたが、迫害が激化したため、その計画を繰り上げる事にしました。こうして凍結したミシシッピ川を渡り、キャンプ地を建てる前に移住の旅を始めました。
3月1日、多数のモルモンの開拓者がキャンプを離れ始めました。 ジョセフ・スミスの死後、教会を導く権威と権能を持っていた十二使徒定員会において、その会長を務めていたブリガム・ヤングは、年内にモルモンの開拓者の一団をソルトレーク盆地まで移住させることを希望していましたが、アイオワ州横断が困難を極め、遅々として進みませんでした。激しい風雨と解凍し始めた雪や氷のため、土は泥に変わり、牛や幌馬車を進めることが困難でした。旅程が長びいたため、食糧が不足し始め、さらに寒い冬の気候のため、多くの開拓者達が病気にかかりました。
最初の一団がようやくミズーリ川に到着したのは、6月14日のことでした。アイオワ州を横断する旅路は131日もかかりました。少人数で組織された先発隊は、その距離においては、聖徒達がアイオワを横断した距離の二倍もありましたが、ソルトレークには111日で到着しています。ブリガム・ヤングが計画した予定の通り旅を続けるには季節が遅すぎ、冬超えをする居留地が建設されました。冬超えが余儀なくされた別の理由として、米国政府がメキシコ戦争に開拓者の中から500人の男子の動員命令を出したことの影響が指摘できます。徴兵命令を受けて出兵したこの一団の開拓者たちは、モルモン大隊 [1]と呼ばれています。このため、居留地の建設は急を要し、丸太小屋の建てられた場所に沿って、道が作られました。丸太小屋が建つまでは、多数の聖徒達がテントや掘った穴倉や洞窟での生活を強いられました。
冬が来る前に丸太小屋を完成することは難しく、しかも家具を備えることはほとんど無理な状態だった為、丸太小屋でさえ生活条件は極めて悪いものでした。ほとんどの丸太小屋には二、三家族が同居しなければなりませんでした。1846年12月、モルモンの開拓者がウィンタークウォーターズ[2]と呼んだこの定住地には、一時5000人以上の人々が住んでいました。この人口に対して、丸太小屋が700軒、ソッドハウスという地上に穴を掘って作られた住居は83箇所ありました。
一方、ノーブーでは、旅をする準備金が不足したり、病気で出発できなかった聖徒が多数残っていました。これらの人々に業を煮やした暴徒達は、1846年9月10日、ノーブーに残留している聖徒らに攻撃をかけました。この出来事は「ノーブーの戦い」と呼ばれています。わずか残った聖徒達を襲う暴徒達は盗賊の群れと変わりなく、人手と防衛手段のないまま聖徒達は攻撃に対抗しました。そして遂に数日後、ようやく和平維持のための「クインシー委員会」が仲裁に入りました。こうしてすべての残っていた聖徒たちは無条件降伏を強いられ、わずか5人の男性とその家族が、財産処理のためにノーブーに残ることを許可されただけでした。この時、500人から600人のモルモンがミシシッピ川を超え、アイオワ州モントローズより上流2マイル(約3キロ)ほどの川沿いの地に散在していきました。これらの避難民は十分な物資もなく、多くの人々は病いに苦しんでいました。ウィンタークウォーターズにいた開拓者達は、この窮状を耳にしました。多数の開拓者が再びアイオワに戻り、避難民を助けたり、援助金を集める努力をしましたが、宗教的偏見のために、集められたのはわずか100ドルに過ぎませんでした。
このような生活状況が多くの問題を生み出しました。当時のある記録にはこのようにかかれています。「多くの病いは、川の沼地に生息しているマラリヤ菌を持った蚊が病気を蔓延させ、栄養を補うための新鮮な果物や野菜には事欠けていました。その年の秋から冬にかけて、ウィンタークウォーターズでは600人以上の人々が死にました。そこにいたほとんどの人々が病いに倒れ、他の人々を解放するひとでさえ病気に悩まされていない人はほとんど居ませんでした。使徒であったヒーバー・C・キンボールの妻、ビレート・キンボールは、居住地全域を歩き食料を運んだり、病気の聖徒の看病に当たりました。他の人々の介護に多忙を極めたため、自分のことをかっまている暇も食べる時間もほとんどありませんでした。多くの人々は、亜断食と祈りによって癒され、苦しんでいる多くの他の人々に仕え、世話をしました。」
1847年12月、ブリガム・ヤングがケーンズビル・タバナクル [3]で教会の二代目大管長に支持されたのは、このような状況の下でした。
2001年、教会は、ウィンタークウォーターズ・ネブラスカ神殿を献堂しました。またこの地区には、教会のために命を捧げた人を記念して訪問者センターvisitor’s centerと記念碑が建てられました。また国立公園サービスでも、この場所をモルモンの開拓者のトレイル(街道)[http://www.nps.gov/mopi/mopi/site5.htmの一部としてウィンタークウォーターズを管理維持しています。
