イエス・キリスト

出典: MormonWiki

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イエス・キリスト

イエス・キリストは、末日聖徒の教義とその実践の中心となる方です。イエス・キリストの名前は、末日聖徒イエス・キリスト教会の名称の中央に位置しています。教会に改宗した人々は、イエス・キリストが救い主、世の贖い主であるという強い証と、ゲッセマネの園と十字架上で払われたキリストの犠牲を通してのみ、人は神の王国に救われるという知識を持っています。イエス・キリストとその教えは、末日聖徒が使っているすべての聖典、すなわちモルモン書聖書教義と聖約高価な真珠の焦点です。 2000年1月、教会のゴードン・B・ヒンクレー大管長とその他の使徒たちは、イエス・キリストについての自らの証として「生けるキリスト」を世に発表しました。その一部には以下の通り書かれています。

「わたしたちは、正式に聖任を受けたイエス・キリストの使徒として証します。イエス・キリストは今日、大いなる王、インマヌエルとして御父の右に立っておられます。イエス・キリストは世の光、命、そして希望です。イエス・キリストの道はこの世においては幸福に、後の世においては永遠の生命に至る道です。」([[生けるキリスト[1]]]より抜粋)

末日聖徒はナザレのイエスの神聖な使命を信じ、キリストの教えに従う人々です。多くの反モルモンやモルモン脱会者は教会を攻撃して、末日聖徒は主流の伝統的クリスチャンの教えとは違っているからクリスチャンではないと主張します。もちろん末日聖徒の教義とプロテスタントやカトリックの教えと異なるところもありますが、それは種々の宗派の中でも違いがあるのと同じです。モルモニズムはその教義が、何世紀も前に世界に起こった背教の後に、生ける預言者を通してイエス・キリストご自身が地上に回復されたことを教えています。モルモニズムがイエス・キリストの死後、キリスト教世界によって広められた様々な中世時代や現代の信条を退けている理由は、末日聖徒イエス・キリスト教会は、神ご自身から神が誰であるかについての啓示を受けているからです。

イエスについての末日聖徒の教義

末日聖徒は、イエス・キリストは旧約聖書の中に現れたエホバであり、新約聖書の中にその生涯と教えが記録されているナザレのイエスとしてこの地上に来られたメシヤであると教えています。


イエスはエホバです

イエスは旧約の大いなるエホバです。(「生けるキリストより抜粋)


聖書には、イエス・キリストが旧約聖書のエホバと同一人物であることを示すに十分な記録が収められています。旧約聖書の「神」という用語は、しばしばイエス・キリストとして言及されており、その用語は父なる神とその御子イエス・キリストと入れ替わり使われています。以下の聖句はその例です。

「地とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものは、主エホバのもの。主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。」(詩篇24章1-2)   「神はこの終わりの時代には、彼の御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。」(欽定訳ヘブル人への手紙1章2)

「光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。」(コロサイ信徒への手紙1:12-16)


従ってイエス・キリスト、エホバは彼の御父、私達の神の指示の下に世界を創造されたことが明白です。またイエスは、イスラエルにモーセの律法を授けられたことを宣言されています。

「イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」(ヨハネによる福音書8:58)

ご自身が「われあり」(I AM)の神であることを宣言することで、イエスは彼がエホバであることを宣言されたのです。「われあり」(I AM)は、下記に示した出エジプト記に書かれているように、エホバという言葉のヘブライ語で、「主」と翻訳され、ほとんどの英訳では大文字でLORD(主)と翻訳されています。旧約聖書はさらにエホバは審判者であり、イスラエルの律法を与える者であり、私達の王であり救い主であることを示しています。

「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出エジプト3:14)

「まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。」(イザヤ33:22)

「主を迎えて 主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き 真実をもって諸国の民を裁かれる。」(詩篇96:13)

これを新約聖書のパウロの教えと比較してみてください。:

「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。」(第二テモテ4:1)

このように(ヘブル語エホバの翻訳である)主またはLORDは、エホバですから、パウロが宣言したとおり、イエスは審判者であり、律法を与える者であることになります。末日聖徒は、聖書の教えに一致してイエスを世の王、救い主、審判者として礼拝しています。

イエスはキリストです

末日聖徒の教えは首尾一貫して、すべてのキリスト教と同じように、ポンティオ・ピラトによって十字架の刑に処されたメシヤであり、約束されたメシヤであり、人類の救い主、贖い主であり、旧約聖書の預言者によって予言され、その後、新約聖書の使徒たちによって記録されたナザレのイエスであり、この地上におられる間に自ら確立されたキリストの教えを教えられたことを信じています。これらのことは末日聖徒が聖書を信じており、末日聖徒に広く親しまれている以下の聖句、ヨハネによる福音書3:16を信じていることの証拠です。:

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書3:16)

モルモン書はクリスチャンの書物です

残念なことに、多くの人が末日聖徒はクリスチャンではなく、モルモン書はクリスチャンの書物ではないという誤った印象を持っています。モルモン書の中の多くの聖句から選び出した以下の聖句は、モルモニズムとモルモン書が主要なキリスト教であることの証拠です。:

「わたしたちはキリストのことを話し、キリストのことを喜び、キリストのことを説教し、キリストのことを預言し、また、どこに罪の赦しを求めればよいかを、わたしたちの子孫に知らせるために、自分たちの預言したことを書き記すのである。」(ニーファイ第二書25:26)
「しかし、自分が神に背いていることを承知している者は、災いである、災いである。悔い改めて、主イエス・キリストを信じるのでなければ、このような者には消して救いは与えられないからである。」(モーサヤ書3:12)
「そして、イエス・キリストにより人にもたらされた贖いのおかげで、人は主の前に連れ戻される。まことにこれがすべての人の贖われる方法である。キリストの死は復活をもたらし、復活は無窮の眠りからの贖いをもたらし、すべての人は、ラッパが鳴るときに、神の力によってその眠りから起こされる。そして人は、小さな者も大いなる者も出て来て、すべての人が肉体の死である永遠の死の縄目から贖われ、解き放されて。キリストの法廷に立つ。」(モルモン書9:13)

最後に、モルモン書の完結の言葉は、すべての人々に対するキリストの下に来てキリストを受け入れ彼を通して救われるよういという訴えです。:

「まことに、キリストのもとに来て、キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心にそわないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みにより、キリストによって完全となることができる。そしてあなたがたは、神の恵みによりキリストによって完全になれば、決して神の力を否定することができない。」(モロナイ書12:32-33)

末日聖徒は別のイエスを信じているのですか?

イエス・キリストはたった一人だけです。末日聖徒は聖書に書かれているイエスの行いと教えを信じていますが、末日聖徒の教義はニカイア信条(ニセア信条)とポスト新約聖書(新約聖書の書かれた後の時代)のキリスト教神学者の理論を拒絶しています。モルモニズムは神についての誤った理解を正すために、父なる神とイエス・キリストのお二人がジョセフ・スミスの最初の示現で現れ、ちょうど聖書の時代に預言者らが召されていたように、イエスについての真理を教え、すべての人類に悔い改めを叫ぶためにジョセフ・スミスを預言者として召されたことを教えています。

預言者ジョセフ・スミスに1831年1月2日に授けられた啓示の中で、主イエス・キリストは、ご自分が誰であるかを宣言しておられます。:

「主なるあなたがたの神は、このように言う。すなわち、イエス・キリスト、わたしは有るという大いなる者、アルパでありオメガであり、初めであり終わりであり、世界が造られる前に永遠の大いなる広がりと天のすべてのこうごうしい衆群を見た者、すべてのことが目の前にあるのですべてのことを知っている者は、このように言う。わたしは、言葉を発して、それで世界が造られ、万物がわたしによって存在するようになったその者である。わたしは自分の懐にエノクのシオンを受け入れた者である。また、まことにわたしは言うが、わたしの名を信じたすべての者を受け入れた者である。わたしはキリストであり、わたし自身の名によって、またわたしが流した血によって、父の前で彼らのために弁護をしてきた。」 (教義と聖約38:1-4節)

上記の聖句は、モルモンが礼拝しているイエスが、大いなる“あれあり”の神であり、初めであり終わりであり、全知全能の世の造り主であり、世の救い主、そして父なる神に対して人類の擁護者であることを明らかに示しています。ジョセフ・スミスは以下のようにイエス・キリストについて証を述べています。

「そして今、小羊についてなされてきた多くの証の後、わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち、「小羊は生きておられる。」わたしたちはまことに神の右に小羊を見たからである。また、わたしたちは証する声を聞いた。すなわち、「彼は御父の独り子であり、彼によって、彼を通じて、彼から、もろもろの境が現在創造され、また過去に創造された。そして、それらの住む者は神のもとに生まれた息子や娘となる」と。」 (教義と聖約76:22-24)

末日聖徒が、他のキリスト教会のほとんどが信じているように三位一体を信じていないのは事実です。( Lightplanet for a comparison of Mormon and Trinitarian views 参照。) 末日聖徒は別個の三方が目的において一致しておられますが、体は別々であることを信じています。つまり、三人の個別の御方が目的と意思においては一致して神会を成しておられるということを信じているのです。イエス・キリスは父なる神の御子です。聖霊は霊のお方であり、御父と御子とは別個のお方です。新約聖書には三位一体の教義を論破するに十分な教えが記録されています。イエスは、「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)と宣言されました。神とイエス・キリスを知ることは、永遠の命を得ることです。従って、神の恵みとイエス・キリストの贖罪を通して、人は神を知ることができるのです。アタナシオス信条で定義された「知られぬ神」という考えとは随分違っています。アタナシオス信条(祈祷書参照)では神について次のように述べています。

「[唯一]の神に三位あり、三位は一体なり。三位を乱さず、一体を分かたずして拝むべきなり。父一位、子一位、聖霊一位なり。されど父も子も聖霊も神たることは一つなり、その栄光ひとしく、みいつ限りなし。父のかくあるごとく、子もかくあり、聖霊もかくあるなり。父も造られず、子も造られず、聖霊も造られず。」

一方、イエスは御父とご自身との一致している属性を以下のように宣言されました。:

「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。」(ヨハネによる福音書17:20-22)

イエスは、彼と御父とがちょうど一つであられると同じように、彼の弟子たちも一つになることができると宣言されました。この一つになるということは、明らかに同一人物になるというのではなく、むしろ目的、栄光、完成、そして愛において一つとなるということです。この聖句はまた、イエスが御父に祈っておられることを示しており、もしイエスが御父であるならまったく訳の分からないことになります。新約聖書の別の箇所も、イエスが御父とは別個のお方であることを示しています。:

イエスがバプテスマを受けられた時、末日聖徒の言うところの神会を成しておられる神、イエス・キリスト、聖霊のすべて三人のお方がそこにおられたことが聖書に書かれています(マタイによる福音書3:15-17)。ヨハネによる福音書17章に記録されている「大いなる仲介の祈り」の中で、イエスは御父に祈りを捧げられました。またゲッセマネの園と十字架上でも、イエスは御父に祈っておられ、彼の御父がなぜ神は御子を見捨てられたのですかと問いかけておられます(マタイ27:46とマルコ15:34参照)。また使徒行伝7章にあるステパノの殉教の際、ステパノは、「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える。」と宣言しています。

これらすべての聖句は、イエスと神が別個のお方であるならば意味が明確になります。簡潔に言うならば、三位一体説の概念を拒絶することは、イエス・キリストを拒否することではありません。イエス・キリストが選ばれた聖徒と使徒らは、決して後世の信条の教義を教えたり、ほのめかしたことはなく、彼らのキリスト教はすべてのキリスト教徒の教会の主張にとって決定的なのです。

イエスはわたしたちの救い主です

末日聖徒の教義は明らかにイエス・キリストがわたしたちの救い主であると教えています。モルモン書には、「全能の主であるキリストの御名のほか、またその御名を通じてでなければ、どのような名も道も方法も、人の子らに救いをもたらすことはできない。」(モーサヤ書3:17)と書かれています。末日聖徒はイエス・キリストがその生涯ですべての人類のために完全な模範を示されたことを信じています。

末日聖徒の教義では、イエス・キリストは人類のために死なれたことを教えています。イエスのゲッセマネの園と十字架上での苦しみ、死、埋葬、そして復活はイエス・キリストの贖罪の核心をなす出来事であり、この贖いがすべての人類に復活をもたらし、イエス・キリストを信じ、彼に従う人々に救いの手立てを与えているのです。

末日聖徒の間で広く親しまれている賛美歌は次のように明言しています。:

街を離れたる青き丘に
主はわれらのため
死にたまいぬ
われらその苦痛 知りえぬとも
主の苦しみ
わがためと信ず
主のほかに罪を贖い得ず
天へとわれらに
門あけたもう
おお、主の愛深し
救いの血をおもい
主を愛しみ業をなさん
(“街を離れたる青き丘に、“ 末日聖徒イエス・キリスト教会賛美歌110番)

イエスは教会の頭である

モルモニズムは、イエス・キリストがご自身の教会、すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会の頭として立っておられ、キリストはその戒めと教えをこの地上で選ばれた預言者に啓示されることを宣言しています。聖書は、「イエス・キリストご自身が隅のかしら石である」(エペソ人への手紙2:20)と述べています。モルモン書では、さらにこれを説明し、イエス・キリストは復活し昇天なさった後に古代アメリカの先住民に現れて、次のように述べられたと記録しています。

「だから、あたながたが行うことは何事でも、わたしの名によって行いなさい。あたながたは教会をわたしの名で呼びなさい。また、父がわたしのために教会を祝福してくださるように、わたしの名によって父に呼び求めなさい。わたしの名で呼ばれなければ、どうしてわたしの教会であろうか。ある教会がモーセの名で呼ばれれば、それはモーセの教会である。あるいは、ある人の名で呼ばれれば、それはその人の教会である。しかし、わたしの名で呼ばれ、わたしの福音の上に築かれていれば、それはわたしの教会である。」(ニーファイ第三書27:7-8)

従って末日聖徒イエス・キリスト教会は彼の名を戴いているのです。

イエスは御父の長子であり、肉においての独り子です

パウロはイエス・キリストは「見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。」(コロサイ人への手紙1:15)と宣言しています。また詩篇89:28では、「わたしは彼を長子とし 地の諸王の中で最も高い位に就ける。」と書かれています。末日聖徒の教義は、イエス・キリストは前世においてすべての神の子供の長子であったと教えています。また末日聖徒はイエスが肉における独り子であり、ユダヤで[[処女[2]]]マリアからお生まれになり、世界の歴史の中で完璧な生涯を送られた唯一の方であると宣言しています。

イエスは全人類の完全な模範者です

現在教会の大管長であるゴードン・B・ヒンクレー大管長は、2000年4月に以下のように語りました。

「イエスはわたしの友です。イエスは誰よりも多くのものを与えてくださいました。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ13:15)イエスはわたしの為に命を捨ててくださいました。永遠の命に至る道を開いてくださいました。これができるのは神においてほかにいません。わたしはイエスの友としてふさわしい人物でありたいと願っています。
イエスはわたしの模範です。イエスの生き方、まったく利己心のない行い、助けを必要とする人に手を差し伸べること、そして最後の犠牲、すべてがわたしにとって模範です。とてもイエスのように完全な模範を示すことはできませんが、努力することはできます。
光と命の道を示し
主は神のもとへ導きます
(「高きに満ちたる」賛美歌112番)(リアホナ2000年7月号86ページより抜粋)

モルモニズムは、イエス・キリストはわたしたちが従うべき完全な模範を示されたことを宣言しています。モルモン書は次のように教えています。

「したがって、わたしの愛する同胞よ、もしあなたがたが十分に固い決意をもって御子に従い、神の前に決して偽善と欺きを行うことなく誠意をもって行動し、罪を悔い改め、バプテスマによって、まことに、あなたがたの主であり救い主である御方に従い、主の言葉のとおりに水に入り、バプテスマを受けることによって、キリストの名を喜んで受けることを御父に証明するならば、見よ、そのとき、あなたがたは聖霊を受ける。すなわち、そのとき火と聖霊によるバプテスマを受ける。するとあなたがたは天使の言葉で語り、イスラエルの聖者に賛美の声を上げることができるのである。」(ニーファイ第二書31:13)

イエスは王の王として地上を治めるために戻ってこられる

末日聖徒イエス・キリスト教会は、現在私達が住んでいるこの時代が末日であり、イエスが間もなく地上を支配し統治するために戻って来られると宣言しています。モルモニズムは、イエスの再降臨に地上を備えるために、ジョセフ・スミスがこの末日の最初の預言者として召されたことを教えています。 末日聖徒は、キリストがいつ再臨されるかを知っているとは宣言していません。イエスは弟子たちに次のように言われました。

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」(マタイ24:36)

末日聖徒は再降臨の前に戦争や争い、天災があり、義人はイエスの突然の再臨によって救われると教えています。再臨に次いでイエス・キリストご自身が治められる時、イエスは1000年の平和と正義が続く福千年の到来を告げられます。

モルモニズムはクリスチャンです

以上の引用と声明が明らかに示したように、モルモニズム、すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会の教義は、純粋で完璧なキリストの教義であり、最も正確な意味でのクリスチャンです。イエス・キリストが教会の頭としてお立ちになり、彼の栄えある教えと完全な模範が末日聖徒の教義の核心をなしており、すべての末日聖徒の持つ証の拠り所となっています。モルモニズムのメッセージは、イエス・キリストはその来るべき再臨に世界を備えるために、この末日に預言者を召され、すべての人は「キリストのもとに来て」、イエスの権限を持つしもべによってバプテスマを受けるようすべての人は招かれています。

キリストについてのモルモニズムの教えをさらに知りたい方は、末日聖徒イエス・キリスト教会の[[公式ウェブサイト[3]]]かモルモニズムについて教えている優れたウェブサイトをご覧ください。また[[末日聖徒の使徒[4]]]のイエスの証を読むことができます。

To learn more about Mormonism’s teachings about Christ, see the official website of the Mormon Church or the many excellent websites that teach about Mormonism. You can also read one Mormon Apostle's testimony of Jesus Christ.

外部のリンク(英文)