アルマ(父)
出典: MormonWiki
アルマ(父) アルマ(父)(およそ紀元前173年~紀元前91年)は、ゼラヘムラの地の大祭司でした。モルモン書の中では、単にアルマと呼ばれていますが、彼の名を受け継いだ息子のアルマと区別するために、しばしば「父アルマ」と称されます。父アルマは、モーサヤ書の中で著しい活躍をした人物であることが記録されています。最初に登場したのはモーサヤ書17章で、預言者アビナダイの宣べ伝えた教えを通して、イエス・キリストの福音に改宗し、邪悪な人々から義しい人々の群れを導き出し、ニーファイの民の大祭司となりました。父アルマは、大祭司として教会を導き、紀元前91年に82歳で亡くなりました(モーサヤ書29:44-45参照)。
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略歴と背景
エルサレムから移住したリーハイとその一行に与えられた約束の地アメリカ大陸での最初の受け継ぎの地は「リーハイ・ニーファイの地」或いは単に「ニーファイの地」と呼ばれました。その最初の受け継ぎの地に帰還して住むことを望んだ一団のニーファイ人を率いてゼニフという名の男が、ニーファイ人の首都ゼラヘムラを出発しました。ニーファイ人と分離し敵対関係にあったレーマン人が「ニーファイの地」に住んでいることを見つけました。ゼニフの民は少数でしたが、その「ニーファイの地」の地域にレーマン人と別々になんとか平和に住みたいと願っていました。レーマン人の王は、この願いを聞き届けましたが、間もなくゼニフの民に宣戦布告します。ゼニフの民は少数であるにも関わらず、何度かレーマン軍の防衛に成功しました。
ニーファイ人のアルマが生まれ育ったのは、レーマン人・ニーファイ人間の緊張を背景に、まさにゼニフ王統治の時代が終焉を告げ、不義と偶像崇拝と贅沢三昧のノア王の治世のことでした。これらの詳細以外にモルモン書は、アルマの人生の初期については、何も記録されていません。
アルマの年齢
モルモン書の冒頭の出来事のゼデキヤ王の治世の一年目、即ち紀元前600年頃を起点として、モルモン書の記録者は、リーハイがエルサレムを離れてから何年目であるかという詳細な計算を保存しています。この計算に基づくとモーサヤ29:45の記述、すなわちアルマが82歳で死んだその年は、紀元前91年頃であったことが算出されます。従って、アルマが生まれたのは、紀元前173年頃という推算になります。そして、預言者アビナダイがノア王の御前に引き出され説教した後、火あぶりの刑で殉教したのは紀元前148年ですから、当時ノア王の祭司の一人であったアルマは、およそ25歳だったということになります。
アルマの改宗
アルマがこの地位に就くための資格や、地位を取得した方法に関する詳細は、モルモン書は告げてません。一方、これらの祭司たちは、宗教的役割と同時に、政治的影響力を持っていたように考えられます。祭司は自分たちをモーセの律法の教師として見立て、裁判のために王の御前に引き出された者に対して、王の判断を仰ぎ、判定を下したことも見られます。
アルマの祭司としての任期期間、ノアの民の中に、悔い改め、モーセの律法、イエス・キリストの降誕、また悔い改めない者は、束縛を受けることになるという預言をする預言者が現れました。この預言者の名前はアビナダイといって、ノア王の民は預言者の悔い改めのメーッセージに耳を傾けることを嫌い、アビナダイを縛って、ノア王の御前に引き出しました。
ノア王は、彼の祭司と会合を開き(モーサヤ12:17-18)、アビナダイの処分を協議します。このとき、恐らくアルマもこの会合に臨席していたのは明らかです。そこで、行動を起こす前に、アビナダイに尋問することが決まりました。そこでアビナダイは、ノア王と不義を行なう人々に対して激しく不義を非難し、悔い改めを説きました。ノア王は、アビナダイの処刑を命じますが、神の力がアビナダイの上にあったので、誰も彼に手を出すことができませんでした。アビナダイはさらにノアとその祭司の前で、福音を解き明かし、神に命じられたすべてのことを述べ終わるまで証を続けました。アルマは、このアビナダイの雄弁な証と教えを祭司の一人として聴いていましたが、やがて彼はアビナダイが語ったすべてのことを信じて改心します。そしてノア王にアビダナイの釈放を推薦しました。しかしノア王はアルマに怒って、兵を向けて殺そうとしました。アルマは、王の前から逃げ、荒れ野に隠れました。一方、主の使命を果たした預言者アビナダイは、ノア王に火あぶりの刑によって処刑されてしまいました。
荒れ野に逃げ込んだアルマは、アビナダイの教えを書き留めました。恐らくこのアルマの記録は、モーサヤ書13-16章に書かれている記述だと思われます。
モルモンの泉
アルマは、アビナダイから学んだ福音を個人的にノア王の民の間で教え始めました。宣教している間、アルマは王の召し使いの手を逃れる為に、ひそかに身を隠し続けていました。
- 「さて、ノア王の召し使いたちから逃れたアルマは、自分の罪と不義を悔い改め、人々の中をひそかに巡って、アビナダイの言葉を教え始めた。
- まことに、将来起こる事柄について、また死者の復活について、そしてキリストの力や受難、し、復活、商店に寄っても羅たらせる人々の贖いについて、教え始めた。
- そしてアルマは、自分の言葉を聞こうとする人々すべてに教えた。…そして、多くの人がアルマの言葉を信じた。
- そして、アルマの語ったことを信じた人々は皆、モルモンと呼ばれた地へ行った。」(モーサヤ18:1-4)
宣教の結果、アルマは、204人の人々にバプテスマを施しました。
- 「このようにして、彼はモルモンの地にやって来たすべての人にバプテスマを施した。その数は二百四人ほどであった。そして、これらの人々はモルモンの泉でバプテスマを受けると、神の恵みに満たされた。」(モーサヤ18:16)
そのときのバプテスマの様子をアルマは次のように記しています。:
- 「そして彼がこの言葉を語ったとき、主の御霊が彼のうえにあった。そこで彼は言った。”ヘレム、わたしは全能の神から権能を授かっているので、あなたの肉体が死ぬまで全能の神に仕えるという聖約を交わした証拠として、あなたにバプテスマを施す。主の御霊があなたに注がれるように。また全能の神が、世の初めから備えてくださっているキリストの贖いによって、あなたに永遠の命を授けられるように。”
- あるまがこれらの言葉を語り終えると、アルマとへラムはともに水の中に沈んだ。それから二人は立ち上がると、御霊に満たされて、喜びながら水から出て来た。
- さらに、アルマはまた別の一人を連れて、もう一度水の中に入って行くと、最初のときと同じようにバプテスマを施したが、今度は自分自身は水の中に沈まなかった。」(モーサヤ18:13-15)
この聖句の中でアルマは、彼が全能の神から権能を授かっていることを明らかにしていますが、どこからそれを受けたかは書かれていません。これは既に彼が祭司であったことから結論することで、ノア王の祭司たちは腐敗していたにも関わらず、彼がこの権能を適切な方法で受け継いでいたことが可能だ考えられます。
アルマの出国
アルマは、彼らの宗教生活の中で福音に忠実な人々とその家族の一行は、およそ450人に増加していました(モーサヤ18:35)。そして、生活の秩序を確立し、大祭司として、「説教する権能や教える権能」を授け、祭司と教師を任命しました(モーサヤ23:15-18。)
ノア王はアルマの民を捕まえるため、軍隊を遣わしましたが、「主から警告を受け、それを民に知らせたので、民は家畜の群れを集め、穀物を持ち、ノア王の軍隊を避けて荒れ野に出て行」き、「八日間旅をし」ました(モーサヤ23:1,3)。やがて、彼らはヘラムの地に、ヘラムという名の町を築き、「その地で非常に栄え」(同19)ました。民はアルマを王にしたいと望みましたが、アルマはニーファイの地でのノア王の前例を考え、次のように言いました。
- 「しかし、ノア王と彼の祭司たちの罪悪を思い出してほしい。わたし自身もわなにかかり、主の目から見て忌まわしいことをたくさん行い、つらい悔い改めをした。
- にもかかわらず、わたしが多くの艱難を味わった後、主はわたしの嘆願を聞いて、わたしの祈りにこたえ、わたしを主の御手に使われる者にしてくださり、このように、あなたがたの多くに主の真理を知らせることができるようにしてくださった。
- それでも、わたしはこのことを誇らない。わたしは自分自身について誇るにふさわしくないからである。」(モーサヤ23:10-11)
その後、レーマン人は、ヘラムの地のアルマの民を占領し、ノア王の祭司の一人でレーマン人にへつらい、利を得ていたアミュロンに支配させました。アミュロンはアルマが「アビダナイの言葉を信じて王の前から追い出された者であることを知っていた」ため、「アルマと彼の同胞に対して権力を振るい」苦役を課した上、神に祈る者は殺すようにレーマン人に監督させました(モーサヤ24:9-11)。
長い試しの後、神はアミュロンとその見張りの者たちを深い眠りに落とし、ある日、アルマの民が失踪できる機会を与えられました。一行は十二日間荒れ野を旅した後、ようやくゼラヘムラの地にたどり着きました(モーサヤ24:25)。
大祭司としてのアルマ
アルマが荒れ野に隠れ、留まっている間、ノア王の統治体制は崩壊し、その息子リムハイが民の王になりました。レーマン人はリムハイの民に厳しく当たりましたが、やがてリムハイの民もレーマン人の手を逃れて、ニーファイ人の首都ゼラヘムラへたどり着くことができました。
リムハイの民がゼラヘムラに到着して間もなく、アルマの民もゼラヘムラへ到着しました。この二つの民がゼラヘムラに帰還すると、モーサヤ王はモーサヤの民の歴史を読み聞かせ、アルマにニーファイ人の中に教会を設立させました。そしてモーサヤ王はアルマを大祭司として教会を管理させました。そしてリムハイの民のすべてにバプテスマが施されました。
アルマの到着する前のゼラヘムラに教会組織があったことを指摘している箇所はありませんが、彼の到着で顕著な変更が起こったことは確かです。モーサヤ王は義しい国政を敷いた王で、先代のベンジャミン王によって政府の制度自体が宗教的組織の上に成り立っていたとしても、宗教的組織を確立していたことを疑うことはできません。
アルマは、その後約30年間、息子アルマを大祭司に聖任するまでニーファイ人を大祭司として管理していました。この30年の間、アルマの息子、アルマが教会を迫害し、やがてイエス・キリストの福音へ改宗しました。息子アルマとモーサヤ王の4人の息子による迫害の激化に対して、父アルマと教会の人々は、熱心に彼らのために信仰の祈りを捧げていました。
