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出典: MormonWiki

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これは忠実な教会員の考えを基にした「末日聖徒イエス・キリスト教会」についての無料百科事典です。
現在 198 本の記事があります。
速報:D・トッド・クリストファーソン長老
新しく十二使徒定員会の一員として支持を受ける
教会ニュースルーム[1]
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  • ヒンクレー.com[3]
  • モンソン.com[4]

教会について

現在、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)は全世界160カ国以上に1,300万以上の会員がいます。会員はモルモン、LDSというニックネームで呼ばれることがあります。

124以上の美しい神殿が北米、南米、中米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、各地の島々に点在しています。また教会の人道支援プログラムは、宗教に関わらず、イエス・キリストの模範に従うことで世界中の大勢の人々に祝福を与えています。

残念なことに、末日聖徒イエス・キリスト教会についての知識に欠けているため、未だに誤解や多くの根拠のない作り話が信じられています。このサイトは教会のある特定のトピックや教会一般について知りたい方々に情報提供をするために作られました。このサイトに掲載されている記事は、末日聖徒イエス・キリスト教会の基本的な信条、教義、歴史とその指導者、神殿の業、家族生活、文献、そして教会の組織と人道活動などを網羅しています。

神殿特集

ソルトレーク神殿末日聖徒イエス・キリスト教会 が完成した6番目の神殿 で、現在ユタ州と呼ばれている地にモルモンの開拓者たちが到着してから4番目にできた神殿です。ソルトレーク神殿の建設には40年が費やされ、末日聖徒の献身と粘り強さという特筆すべき特徴を示すものです。また最もよく知られている神殿でもあり、世界中の人々にとって教会の象徴となっています。
ユタ州ソルトレーク市ソルトレーク神殿
ユタ州ソルトレーク市ソルトレーク神殿

1847年 7月下旬、 モルモンの開拓者 の最初の一団がソルトレーク盆地に到着しました。その数日後、当時の指導者だったブリガム・ヤングは、聖なる建物が建つべき場所を指して杖で地面を叩き、このように宣言しました。「神への神殿を建てるのは、まさにこの場所だ。」 使徒ウイルフォード・ウッドラフ はそのときその地点に印をつけました。神殿の建設は 1853年 2月14日に始まり、ブリガム・ヤングの指揮のもとに鍬入れ式が行なわれました。

ヤングは、「(近い将来再臨するキリストが統治する)福千年の終わりまで持ちこたえるような神殿を建ててほしい」と述べました(「Journal of Discourses」、10:254)。そして神殿はその指示通りに建てられました。ブリガム・ヤングは設計者トルーマン・O・エンジェルと密接に働き、主から与えられた示現や啓示に照らして、この神殿がどのようなものであるべきかの指示を与えました。神殿の建築スタイルは、神殿の教義的な象徴と啓示による設計とが調和しているゴシック様式だと言われます。

人物特集

トーマス・S・モンソン大管長
トーマス・S・モンソン大管長


2008年4月5日、故ゴードン・B・ヒンクレー大管長の後任として、 トーマス・スペンサー・モンソン末日聖徒イエス・キリスト教会の第16代大管長として支持されました。

聖会

総大会の前の数週間、数日前、数時間前は、新大管長、預言者の支持を待つ末日聖徒イエス・キリスト教会の一般会員(モルモン或いは末日聖徒)たちで、辺りは緊張と希望に包まれています。こうした期待の中、第178回年次総大会が厳かに開かれました。

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は、総大会を見ようと米国ユタ州ソルトレークシティーのテンプルスクエアにある新タバナクルとアセンブリーホールをはじめ、それぞれの親族友人が家庭のテレビの前や、または地元教会堂に設置された衛星放送、インターネットを通して大会の模様を見るために集まりました。春の訪れを伝える芽吹きの色と、ソルトレーク神殿の木陰で、現代の使徒や預言者の膝元に集った何千人という末日聖徒は、ちょうど古代のキリストに従う人々が、救い主と使徒のみ言葉を聞こうとして神殿の入り口や、会堂やガラリヤ湖に群れとなったようすを髣髴させます。

教会の大管長と二人の顧問が会員の支持を受けたこの総大会は、主と末日聖徒にとっては聖会と呼ばれる集会でした。この春の大会最初の午前の部は、2008年4月5日土曜日の朝に開かれました。そしてこの大会で、トーマス・S・モンソン長老、ヘンリー・B・アイリング長老、ディーター・F・ウークトドルフ長老が末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会として、会員の支持を受けました。

モルモンにとって、末日聖徒イエス・キリスト教会の新しく召された預言者を支持するために起立して右手の挙手でその意を表すことは、会員の特権であり、歴史的意義の深い霊的な瞬間でもありました。定員会ごとに割り当てられたように、各グループに属する会員は起立して挙手をし、新しい大管長会を支持しました。モルモンが信じ、これを証をするように、主は、これらの預言者、聖見者、啓示者は主が召され予任された神の僕であり、主のみ手がこの地上で神の業を推し進めることを目にすることは喜びです。

トーマス・S・モンソン: 概略

モンソン大管長は、前ヒンクレー大管長の管理する大管長会で第一顧問を務めていました。 モンソン大管長は、若年で教会幹部として奉仕するよう召されました。ビショップに召された当時、モンソン長老はわずか22歳で、ステーク会長会顧問を務めたのが27歳、伝道部会長として召されたのが31歳、そして使徒職に召されたのは36歳でした。

1927年8月21日、米国ユタ州ソルトレークシティーで、G・スペンサー及びグラディス・コンディ・モンソンの間に生まれました。1930年代に米国と世界を覆った大恐慌の中で育ち、この社会背景が彼の性格を形成したといっても過言ではありません。17歳で第二次世界大戦に参戦するため、米国海軍に参加しましたが、間もなく終戦を迎え、復員後、ユタ大学で勉学を修め、主席で経営学学士号を取得し1948年に卒業しました。同年年10月7日、フランセス・ビバリー・ジョンソンと結婚し、二男一女に恵まれました。

トーマス・S・モンソンを参照。

外部リンク

  • モンソン大管長の言葉や説教、及びブログは、トーマス・モンソン.com[5]を訪問ください。
  • 教会公式のモンソン大管長のウェブサイト[6]

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